笑う銅像

【1】
いつからだろうか、毎回うなされる「嫌な夢」を見る。
だいたいその場合、過去に何かトラウマなどがあることが多いと聞くが、思い当たる記憶がない。
以前付き合っていた女性からは、うなされていると、みるみるうちに顔に発疹が出来てきてびっくりしたと言われたことがあった。
しかし、困ったことに、自分ではその夢の内容をよく覚えていないのだ。
ただ、その夢が「嫌な夢」だということ以外は。

東北の吉野町出身のわたしは、今現在大学に通う21歳だ。
いずれ地元に帰って地元に貢献できる仕事がしたいと考えていて、それゆえに大学では文化人類学を学んでいる。
わたしが生まれ育った吉野町というのは、とても小さな町だ。
東西に長い形をした町で、その町を横断する象徴的な幹線道路が1本通っている。
東西にその道路を通り抜けてしまえば、ほとんど吉野町を制覇したようなものだ、とよく言われる。
東の端と西の端それぞれには、吉野東高校、吉野西高校がある。
わたしは西高出身なのだが、東高は旧古嘉悦高校といって、もうすぐ創立100周年を迎える、歴史ある高校だ。
校舎自体は20年前に建て替えられており、創立当初の古い木造校舎はモダンな新校舎の横でひっそり佇んでいる。
その旧校舎の脇で、さらにひっそり佇んでいるものがある。
吉野町の心霊スポットとして有名な、卒業製作の「銅像たち」だ。
ひとつの大きな台座の上に、高さ20センチほどの銅像が14体。
これがなかなか不気味な雰囲気を放っているのだ。
合唱しているようにも見えるし、何かを訴えているようにも見える。
そして人間のようにも見えるし、そうでないもののようにも見える。
何もない田舎の町では、若者の楽しみといえば、この銅像を含め町の各所に点在する心霊スポット巡りだ。
そしてそれは、夏の暑さをしのぐのにはちょうど良い恒例行事となっているのである。

【2】
また暑い夏がやってきた。
東北といえど、夏は暑い。
8月、いつものように新幹線で地元に帰省した。
しかし、今年の夏は例年とは違い、のっけから不穏だった。
父:「帰ってきてすぐ暗い話で悪いんだがな・・・」
わたし:「何、何かあったの?」
父:「あぁ、おまえ覚えているか?高校の同級生のそうすけ君って。同じクラスじゃなかったから分からないか・・・」
わたし:「そうすけ・・・?あ、あぁあの背の高いバスケ部の!覚えているけど、それがどうかしたの?」
父:「亡くなったんだよ、今年の3月に・・・」
わたし:「え?うそでしょ!何で?!」
父:「なんでも病気だってことらしいんだがな、かなりその症状がひどかったらしいんだ・・・」
わたし:「病気・・・、何て病気だったの?」
父:「それがよくわからないらしいんだよ」
聞けば、そうすけ君の父親も同じ症状で亡くなったらしい。
そうすけ君の亡くなるちょうど1年前に。
最初体の不調を訴えた時、肌に水泡のようなブツブツが大量に出来ていたという。
それらはやがて黒ずみ、喘息のような症状も出始め、発作が頻繁に出るようになり、その度に息苦しさを訴えることが多くなったそうだ。
初期症状が出てからおよそ1カ月半ほどが経ち、そうすけ君は息絶えたという。
父親に続いて、そうすけ君が父親と同じ症状で苦しみ亡くなってしまったことで、残された家族はショックのあまり笑顔が消えてしまったという。
父:「無理もないよな。立て続けに家族が2人も亡くなるなんて。耐えられないだろう・・・」
わたし:「そうだね、ちょっとこれからお線香あげに行ってくるよ」
父:「そうすけ君のおやじさんな、お父さんの消防署の同僚だったんだよ。明るくて気さくな人でな・・・。ホントいい人だったんだ」
父は静かに泣いていたようだった。

【3】
帰省するといつも会う同級生たちと連絡を取り、そうすけ君の家に行った。
皆でお線香をあげるためだ。
仏壇の前に座ると、満面の笑顔のそうすけ君の遺影があった。
頭の中でそうすけ君の顔を思い浮かべてはいたが、この遺影を見たとたん、当時の数少ないそうすけ君との会話が思い出され、涙が溢れてきた。
そうすけの母:「本当にありがとうございます。そうすけはあっちでとても喜んでいると思います」
消え入りそうなか細い声で淡々と話すのが印象的だった。
わたし:「あの・・・、父からはどんな病気か特定できないって・・・」
そうすけの母:「そうなんです、わたしたちには病気のこととか全然わからないんです。必死でいくつかのお医者さんに行ったんですけど、どこもよく分からないって・・・」
わたし:「お父さんも、ですか?」
そうすけの母:「そうなんです。伝染病か何かとは最初言われてはいたんですけど、でも症状がどうも違うということで・・・」

どんよりした気分でわたしたちはそうすけ君の家を後にした。
しばらくの間みな口をつぐんでいたが、そのうち一人がボソッと言った。
わたし:「え?うそだろ、それ本気で言ってんの?!」
いまここにいるメンバーは毎年集まって遊ぶ仲間だ。
いつものように心霊スポット巡りをしようと言ったため、わたしは驚いてしまった。
こういう時だからこそ、心霊スポットに行って発散して気分を変えるんだよ、というのが本人の主張のようだ。
よく考えたら、それも悪くないかも・・・と思った。
わたし:「それもそうだな」
遅ればせながら、いつもの地元の夏が始まった。

【4】
旧古嘉悦高校の卒業製作の銅像は、われわれの心霊スポット巡りのいわば大トリだ。
幾度となくこの銅像を拝んできている。
それなのにだ、今回だけは・・・なぜだか何かが変だなと感じた。
そのためか、改めてシゲシゲとこの銅像たちを眺めたことで、今まで全く気付いていなかったことに気が付いたのである。
ひとつは、台座の中央部分にある製作の日付を記したプレートだ。
「1940年3月」と書かれている。
そしてもう一つは、この銅像たちが本当に不気味だということだ。
全14体の銅像は、2列横並びで前列が6体、後列が8体という配置だ。
すべてがほぼ同じ方向を向いていて、まるで卒業式の際に全員で合唱しているかのように見える。
しかし、銅像は汚れや損傷がひどいからか、なんとなく悲しそうな顔で何かを訴えているようにも見えるのだ。
おそらくは卒業生たち自身の銅像ということなのだろうが、人間ぽく見えない、まるで化け物のように見える銅像も中にはある。
わたしはこの銅像たちが一体どういう経緯で製作されたものなのか気になってしまい、いても立っても居られなくなった。
翌日、わたしは東高の先生に連絡を取った。
わたしの高校の部活の先輩のお父さんだったため、良く知っていたのだ。
東高の先生:「当時の資料?そんなもの一体どうするんだ?」
わたし:「旧校舎の脇にある銅像のことがちょっと気になっちゃって・・・」
東高の先生:「あぁ、あれか。また心霊スポット巡りか?好きだよなぁ」
わたし:「ま、まぁそうなんだけど。でもそれとは関係なくてね、なんていうかすごく気になるんだよね」
先生が出してくれた資料を順々に見ていった。
東高の先生:「あぁ、これだな。1940年の卒業製作は銅像・・・。あれ、でもここの「テーマ」ってところが黒ずんでてよくわからないな」
わたし:「古い資料だから仕方ないんだね。人数が・・・、19人?あれ、あの銅像って14体だよね」
ほかの年度の資料とも照合すると、あることが分かってきた。
旧古嘉悦高校は、自校の校歌をとても大切にしている学校らしく、創立当初から卒業時には全力で校歌を歌うというのが伝統になっていたようだ。
そのため、卒業製作には、「校歌を歌う」ことやそれに関連した何か、というのがテーマになることが多かったのだという。
偶然、1940年時は銅像を製作することになったため、こうやって後世にまで残っているというわけだ。
わたし:「じゃあ、つまりこの銅像は合唱している卒業生たちの様子を表現したものってこと?」
東高の先生:「ん~・・・と、思うんだけどな。でも肝心の「テーマ」が書かれているはずのところが分からないからなぁ」
さらに資料を読んでいくと、この銅像はそれぞれの生徒が自分自身をモチーフとして製作された、とあった。
わたし:「やっぱりそうなんだね。でも、そしたら人数が合わないのはおかしいよね。銅像は全部で19体あっていいはずなのに・・・」
つまり5体分の銅像がないことになる。
しかし、この銅像が立てられている台座を見ても、5体分が欠けているような箇所は見られない。
要するに、最初から14体の銅像だけを作る予定で製作されたということになるのだ。

【5】
あの銅像の不可解な点について一部は解決したが、まだ謎が残っている。
翌日、当時からよく行っていた近所の公園で、東高の先生に資料を見せてもらったお礼の電話をしている時だった。
わたしの電話の内容を聞いていたのか、近くにいたおじいさんが声をかけてきた。
おじいさん:「すいません・・・、今の話なんですがね」
わたし:「え?何か知っているんですか!?」
聞くと、そのおじいさんのお父さんが、1940年に旧古嘉悦高校を卒業した生徒だという。
おじいさんが小学生のころに、お父さんから聞いた当時の話をわたしに聞かせてくれた。
当時吉野町では、恐ろしい流行り病が猛威を振るっていて、何人もの死者が出ていたらしい。
それは、まるで妖怪のように見た目が変わり果て、途轍もない苦しみを伴いながら、やがて果てるというもの。
おじいさん:「でもなぁ、当時のお医者さんが言うには、まったく原因が分からなかったそうだ・・・」
わたし:「町全体でどれくらいの人が亡くなったんですか?」
おじいさん:「そうだなぁ、3、40人くらいはあれで亡くなったんじゃないかなぁ」
わたし:「そしたら、その卒業生の人たちにも?」
おじいさん:「あぁ、うちのおやじの代にも何人か亡くなっていたと言っていたよ」
これで卒業生の人数と、銅像の数が合わないということの説明は付く。
わたし:「あの銅像は、校歌を合唱している様子を表しているんですよね?」
おじいさん:「いやいや違うよ。あれはね、流行り病で亡くなった同級生たちを悼んで、泣きながら天国に送り出す様子を表現したものだって聞いてるよ」
なるほど、資料を見てもどうしても「テーマ」の部分が分からなかったが、これでまた一つ答え合わせが出来た。
おじいさん:「ひさしぶりにこんな話をしていたら、あの銅像が見たくなってきたよ」
わたしはこのおじいさんと、歩いて東高旧校舎のあの銅像を見に行くことになった。

しかし、おじいさんはその銅像を見た途端、顔面蒼白になった。
おじいさん:「な、これは一体どういう・・・」
わたし:「どうしたんですか?!」
どうやら、14体の銅像すべてが悲しそうな顔をしていたはずなのに、そのうち1体の顔だけが「気味の悪い表情で笑っている」というのだ。
わたし:「確かに、この前見た時はこんな顔はしていなかったような・・・」
はっきりとわからないが、確かに笑っているように見える。
おじいさん:「いや、間違いない・・・。こんな顔は絶対にしていなかったんだよ!」
おじいさんはそう言うと発作でも起こしたかのように、肩を上下に揺らし息苦しそうにしだした。
救急車を呼んだほうがいいか心配になってしまったほどだ。
おじいさんの背中をさすりながら、落ち着きを取り戻すのを待った。
わたし:「大丈夫ですか?」
おじいさん:「あぁ、すまんね。あ、ありがとう。実は思い出したことがあるんだよ」
そう言って、おじいさんはお父さんから聞いた別の話を聞かせてくれた。
資料にもあったように、あの銅像はそれぞれが自分の銅像を1体作ったものだ。
この笑っている銅像は、おじいさんのお父さんの親友の男の子らしい。
しかし、その子は卒業後、しばらくして亡くなってしまったという。
親友の子は、この銅像を製作している最中に、同じクラスのある友達から故意に流行り病を移されてしまったということだ。
その子はみるみるうちに体調が悪化していったが、使命感に駆られるように休むことなくあの銅像を作り上げたんだと。
自分に流行り病をうつしたその友達のことをかなり恨んでいたという。
おじいさん:「おやじがね、その子が銅像を作っている時に声をかけても、返事ひとつしなかったって。鬼のような形相で苦しそうにしながらもひたすら黙々と作っていたって、そう言ってたっけな」
おじいさん:「その子が卒業後亡くなったって話を聞いてから、それ以降流行り病を移したその友達の家では立て続けに死人が出たって話だよ。原因不明の病気だったり、事故で亡くなったって話も聞いたかなぁ・・・」
おじいさんは、その子は強い恨みを持ちながら、恨みを銅像に込めるかのように、自身の銅像を作り上げたんじゃないかって、そう言っていた。
呪いなんてことを信じているわけではないけれど、それを信じないと辻褄が合わないんだ、って。
話を聞いていて、途中からまさかと思ってはいたが・・・。
わたしは聞くのが怖かった。
わたし:「おじいさん、その子の家って・・・、久間って家じゃないよね?」
おじいさん:「そう・・・、いや、なぜそれを??」

【6】
そんな時、父からそうすけ君の妹がそうすけ君たちと同じ症状が出て苦しんでいるという連絡が入った。
わたしは、おじいさんとそうすけ君の妹が担ぎ込まれた病院に急いで駆け付けた。
病院に向かう途中、わたしはおじいさんに、久間家ではここ数年でこの妹さんの兄と父が亡くなっているという話をした。
そうすけ君の妹は、病院のベッドの上でもだえ苦しんでいた。
顔、腕、足などいたるところが水泡だらけとなり、若干黒ずんでいる部分もあった。
苦しんでいる目の前の女の子を見て、おじいさんは顔面蒼白になり、着ていたジャケットのポケットから数珠を出し、手を合わせ何かを唱えだした。
しばらくすると、おじいさんは女の子の母親に、すぐにお祓いに行った方がいいと言い出した。
わたし:「おじいさん、お祓いでどうにかなるんですか?!」
おじいさん:「さっきも言っただろう!信じたくはないが、呪いと言わずしてこれは一体何なんだ!実際に医者も病名がわからんのだろう?!」
おじいさん:「この呪い、この邪気を祓ってあげないと、この家ではこれからもずっとずっと同じような死者が出るかもわからんのだぞ!」
そうすけの母:「わ、わかりました!やれることはなんでもやります!」
そうすけ君の母は、絶対安静という担当医の制止を振り切って、おじいさんに紹介された神社に、苦しむ娘を連れて行った。

【7】
呪いというものはやはり存在するのではないだろうか。
呪いが存在するから、お祓いという神事も存在する、という理屈になるのではないだろうか。
果たして、お祓いの効果は絶大だった。
お祓いの後、見る見るうちに妹の容態は快方に向かっていった。
この現象を目の当たりにして、わたしも呪いという非科学的な事象を信じざるを得なくなった。
実際、現代医学で死因を特定できないというケースが少なからずある以上、やはり信じざるを得ないのではないか。
そうすけ君の妹のお祓いのあと、程なくしておじいさんは亡くなった。
自分の役割を果たしたから、と解釈した方が良いのだろうか。
おじいさんの葬式の帰りに、ふとあの銅像のことが気になり、旧古嘉悦高校の旧校舎に行ってみた。
すると、あの笑っているように見えた銅像は、ほかの銅像と同じ表情を浮かべていた。
わたしはというと、あのお祓いに同席して以来、「嫌な夢」を見ることは無くなった。

((完))

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