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【落下の解剖学】フランスの裁判映画が面白い!

フランスの裁判映画が面白い

 五・八・五で言いたくなるほど、フランスの裁判映画が面白い。

 私が最初にそう気付けたのは結構最近のことで、2021年1月に『私は確信する』を試写会で鑑賞した時だった。以来、この映画は私が裁判映画を鑑賞するにあたっての指標となった。

※以前こちらのエッセイでも取り上げた作品👇

 この映画で私は、法廷とは何のためにあるのかをやっと理解出来た。それまでも頭では知っていたのに、分かっていなかったんだと気付かされた。
 この映画は裁判映画であり、探偵推理映画ではない。
 自分が中立で冷静な視線を保っていられる人間なんて、きっといない。

※詳細を書くとネタバレになるので、今はこの程度で。


 そして時は2024年2月。待ちに待っていた『落下の解剖学』が、華々しい受賞歴を掲げ日本で公開された。

カンヌ国際映画祭<最高賞>パルムドール受賞
ゴールデン・グローブ賞2部門受賞〈脚本賞、非英語作品賞>

 わあ、すごい🏆
 でも、そんな華やかなトロフィーがなくたって、この映画を観れば素晴らしさに誰もが気付けるだろう。


⚠️以下、『私は確信する』のリンク後からは、『私は確信する』と『落下の解剖学』のネタバレを含みます⚠️


『落下の解剖学』概要

人里離れた雪山の山荘で、男が転落死した。はじめは事故と思われたが、次第にベストセラー作家である妻サンドラに殺人容疑が向けられる。現場に居合わせたのは、視覚障がいのある11歳の息子だけ。証人や検事により、夫婦の秘密や嘘が暴露され、登場人物の数だけ<真実>が現れるが――。

公式ホームページより

 フランスの雪山・人が死亡する・白と赤を基調としたキービジュアル。
 この情報を知った時、私はこちらも名作の映画『悪なき殺人』を思い出した。
 文庫本の表紙を見てみれば、雰囲気をお分かり頂けるはず👇

 ただし、『落下の解剖学』の場合は転落死した夫が自殺なのか他殺なのかはたまた事故死したのかがわからないところから話が始まる。そして、『落下の解剖学』は想像していた以上に裁判のシーンが多い。そういう点で、『悪なき殺人』とはまた違った面白味がある。

 夫の殺人容疑をかけられたサンドラ(主人公のSandraおよび主演のSandra Hullerはカタカナ表記だと"ザンドラ"とも"サンドラ"とも書かれるが、今回の感想文では公式ホームページに則ってサンドラとする)は、弁護士(探偵ではない)であり友人のヴァンサンに協力を仰ぐ……。

 やっぱり!
 持つべきものは!
 かつて自分に惚れていて今は弁護士をやっている友人!

 というお話ではないけれど、サンドラは狭い交友関係を最大限に活用して、裁判に立ち向かうというわけだ。

人気作家のサンドラ(演じるのはサンドラ・ヒュラー。『希望の灯り』や『アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド』、『関心領域』に出演。大好きな俳優!)画像は公式予告編より。
サンドラの昔の友人で弁護士のヴァンサン(演じるのはスワン・アルロー。『グレース・オボ・ゴッド 告発の時』や『ジョーンについて』に出演)画像は同上より


『落下の解剖学』ここが好き

1)裁判映画としての軸のブレなさ

 本作を鑑賞後、映画館が明るくなった時に周りからたくさんの感想が聞こえて来た。

「結局、誰が犯人なの?」
「何にもわからないで終わっちゃったね」

 そりゃそうだよなと思う。『落下の解剖学』では、結局サンドラは無罪になるけど”本当に殺していないのか”や”夫が死んだ理由”ははっきりしない。無実になったサンドラがいきなり自白を始めるとか、後から夫の遺書を見つけるとか、そういった後出しどんでん返しは起こらない。

映画館で液晶画面に表示されていたキービジュアル。

 『落下の解剖学』の作中でも、ワイドショーのコメンテーターがこんなことを言っていた。

「作家の妻が夫を殺したと考える方が面白い」

 作中の第三者たちは、そしてスクリーンの前に座っている観客たちは、野次馬的な視線をサンドラに向けている。
 きっとその中には、
・成功した女性の(社会的な意味での)転落が見たい
・夫をないがしろにしていた妻が許せない
・あの人の作品が好きだったのにショック……
 
といった思いを抱えていた人がたくさんいただろう。

 でも、法廷は”気に食わない人間を罰する場所”ではないし、”犯人探しをする場所”でもない。”彼女は有罪か無罪か”を判断する場所だ。
(そういう意味では、有名なゲーム『逆転裁判』は法廷の域をかなり大きく飛び越えている。)


 この、”有罪か無罪かを判断する場所”としての法廷劇の面白みを私が知ったのは、『私は確信する』だった。

『私は確信する』では、主人公ノラが音声記録を聴きながら熱心に事件の真相に迫ろうとしている。だから私も一緒になって、「誰が犯人なんだろう?」と前のめりで事件を追いかけていた。

 だからこそ、弁護士エリック・デュポン=モレッティの「(法廷は)犯人探しをする場所じゃない!」という叱責が身に染みた。自分の中に、“私はなるべく中立に・冷静に事件を見ている”という無意識の傲慢さがあるのに気付いた。私も所詮は、センセーショナルな方を求めていた野次馬にすぎなかったのだ。

『私は確信する』では、事件の真相は暴かれない。わかるのは、有罪か無罪か。それだけだ。(ちなみに、『私は確信する』の監督は、フランス司法の“合理性ではなく人の確信に頼る”曖昧さに疑問を呈していたそうだ。)

 この、”確信する・心を決める”というフレーズは、『落下の解剖学』でも登場する。サンドラの息子ダニエルと、裁判期間中に彼に付きそうマージ・ベルジェの会話で登場する。

「(有罪・無罪を)確信するの。確信するフリではなく、心を決める」

マージとダニエル。(画像は同上より)

 フランスの司法では、この”確信”という言葉が使われているそうで、重要なものなんだそうだ。

『落下の解剖学』を見ていると、何が正しいのか・何が真実なのかを”確信する・心を決める”のがいかに難しいかひしひし感じる。
 だからこそ、人はセンセーショナルで面白い方へ意識が向いてしまう。その方が楽だから。でも、法廷は野次馬が茶々を入れて犯人探しをする場所じゃない。
 真実が明かされない『落下の解剖学』で、改めてそれに気付かされた。

 ちなみに、映画館で聞こえた感想にはこんな会話があった。

「結局、奥さんが旦那を殺したの? 自殺? 犬は関係あるの?」
「大事なのはそこじゃないですよっていうお話だったんだよ」


2)ヴァンサンとサンドラの繊細でこざっぱりした関係

 ヴァンサンとサンドラが、サンドラの家の前で再会する場面がとても興味深かった。雪の中という足元が悪い環境とは言え、2人のハグはあまりにぎこちない。

 劇中では詳しく語られないが、2人は”かなり古くからの友人”だけど”今回の事件で久しぶりに再会した”友人同士らしい。
 2人とも、この(幸せとは言えない状況下での)再会に戸惑うように、
「こんなことで再会するなんて」
 と口ずさみながら、油が切れたブリキのロボットみたいに手を伸ばしてハグをする。

再会の場面。(画像は公式ホームページより)

 この繊細な描写だけで、「この2人、何かあったのかな」と思わせる。
 なんて上手で自然なんだろう……と私は感動した。

 ヴァンサンは自分の仕事をする時いつも険しい顔をしている。それでも、ふとした時(例えばサンドラと夜にサンドラの自宅の前でお酒を飲む場面だとか)には表情をやわらげ、「(初めて会った時に)君に恋をした」なんて言う。
 ああ、だから仕事中はキリッとしているのに、サンドラとの再会の時はあんなにハグがたどたどしかったのか……。

 この場面で、一方のサンドラはヴァンサンとの初対面について「何も覚えていない」といった返しをするのがまたすごい。サンドラからヴァンサンへの感情がいかに少ないかが静かに伝わって来る。

 サンドラから見ると、ヴァンサンとの関係は結構こざっぱりしている。

 彼女が、かつてヴァンサンから向けられていた好意をどこまで認識しているかはわからないけれど、”交流が途絶えていた友人をわざわざ久しぶりに呼び出した”という時点で、ヴァンサンが自分のために尽力してくれる人だと認識していたんじゃなかろうか。
(だって、いくら交友関係が少ないとはいえ、人気作家である彼女ならツテを辿って優秀な弁護士に辿り着くのは容易なことだろうから)

サンドラの台詞。(画像は同上より)

 実際、ヴァンサンはサンドラを信じ弁護士として邁進した。もちろん、ここまで注目される裁判を担当するのだから弁護士生涯にかけてぜひとも勝ちたい仕事だっただろう。
 ただ、そこにヴァンサンの何らかの気持ちがこもっていなかったとは言い切れない。

 山の暗闇の中で2人は「お互いが動物に似ているかどうか」なんて子どもじみた会話をする。即答したヴァンサンに対して、サンドラが「(あなたが何の動物に似ているのか)わからない」と返事した時のヴァンサンの心境が気になる。彼は笑いながら言った。

「こんなに長い付き合いなのにわからないなんて」

 このシーンでは、サンドラはヴァンサンとの初対面を覚えていないと告げ、ヴァンサンはかつての恋心をサンドラに吐露し、サンドラはヴァンサンがどの動物に似ているのか答えられない(もしくは考えない)という色んな情報が発覚した。なんなら寸前にサンドラは「動物に似ていない人は信用しない」とも言っていた。

弁護士としては大変頼もしいヴァンサン。(画像はナタリーより)

 裁判関連の話題であれば、話のボールを握っているのはヴァンサンであることが多い。サンドラから事件当時の状況を聞き、自分の無実にこだわるサンドラを諭すこともある。
 だけど、友人としての会話になると立場は薄っすら逆転する。言葉数は変わらなくても、結局のところの会話の行方を決めるのはサンドラの発言だ。(メタ的に言えば、それが主人公という役割なんだけれど。)

 この状況で、ヴァンサンはどんな思いを抱いていたんだろう。

 作家である彼女なら、いくらでも言葉を紡げるだろうに。サンドラは、過去のヴァンサンについても、今のヴァンサンについても語る言葉がないらしい。サンドラの目に心に、ヴァンサン自身が写っていないことを彼は実感して失望しただろうか?
 と言うか、夫殺しの容疑をかけられている女性に「恋していた」と言ってしまうのは、彼の揺らぎを感じる。弁護士としてのヴァンサンと、昔サンドラに恋をしていたヴァンサン。その間で起きる脆い揺らぎだ。

 サンドラの無罪が確定した後の中華料理屋で、2人はまたぎこちないハグをする。隣り合った座席、酒に酔って乱れたシャツの胸元、2人きりの店内。
 それでもサンドラは自分の椅子に座ったまま、ヴァンサンに全体重を預ける姿勢にはならない。ヴァンサンも彼女の頭を抱くだけで、全身を引き寄せたり強く抱き締めたりはしない。サンドラはヴァンサンの両頬に手を置くけれど、キスするでもなく離してしまう。
 やっぱり、2人の行方を決めるのはヴァンサンではなくてサンドラ。
 その後の何となくぎこちない2人の空気、特にヴァンサンの気まずそうな表情が妙にリアルだ。

 言葉の通り、ヴァンサンはサンドラを車で家まで送ったんだろうけれど、きっとさっぱりと別れたんだろう。ぎこちないハグをもう一度だけして。

 その最後の場面が描かれなかったことで、サンドラから見たヴァンサンとのこざっぱりとした関係ヴァンサンからすれば脆く複雑な感情で引き受けた仕事の幕引きがどれだけさっぱりした割切ったものだったのかがうかがい知れる。

 それを、言葉でストレートに表現するのではなく、何気ない会話や仕草、空気感で表現しているのがとても好きだった。(物語に不要なロマンスを安易に付与しない姿勢もとてもいい。)

『落下の解剖学』のパンフレット。真っ白が故に存在感がある表紙。


3)成功した妻とワナビな夫のリアルな歪さ

 サンドラの夫・サミュエルは、法廷でヴァンサンに「小説も民泊の件も構想だけで成し遂げていない」と評される。彼は教員だそうだが、執筆活動をしていて編集者に連絡もしている。しかし、サンドラとは違い出版までにはこぎつけていないようだ。
 このサミュエルの状況を敢えて俗っぽい言い方で表現するなら、いわゆるワナビ(何かに憧れ、それになりたがっている者)だろう。

 そこへ来て、執筆などで忙しいサンドラよりもサミュエルの方が育児をしている(とサミュエルは認識している)ため、サミュエルは「執筆にあてる時間がない。サンドラも家のことに時間を使え、協力しろ」と不満を抱えている。
 サンドラがかつて女性と不倫していたこと、フランスで暮らしながらもサンドラ(彼女はドイツ人で母語はドイツ語、フランス語は苦手だと認識している)に合わせて英語で話していることも根に持っているらしい。

 一方、サンドラはサミュエルに合わせてロンドンからフランスの田舎に引っ越してきたこと、ご近所づきあいの面倒くささに不満を感じていた。
 そもそも、ダニエルの目が見えなくなった交通事故から数日間は、事故の責任を彼に押し付けていたとも語っている。

喧嘩中の2人(画像は公式予告編より)

 この2人の喧嘩を聞いて、
「サンドラはなんて酷い妻なんだ! 夫に家事を任せきりにして!」
「サンドラは夫より仕事が出来る強い妻なんだから、サミュエルは黙って家事をしろ!」
「女のクセに不倫してけしからん!」
「妻より仕事が出来ないなんて駄目な夫だ!」
 と、妙に憤った人は気を付けた方がいいかもしれない。

 なぜならそれらの憤りは、従来の“家事育児は女がやること、外の仕事は男がやること”とか“男は女より優れているべき(女は男より劣っているべき)”という古い価値観にとらわれていることの表れだから。
 そして何より、裁判における有罪か無罪かを判断する場面において、憤りという感情は偏った思考への入り口になる。引っ張られた途端に、あなたは野次馬の仲間入りだ。

 とは言え、サンドラとサミュエルの関係の歪さはこの喧嘩(サミュエルが隠れて録音していた音声)に現れている。
 この夫婦は、運の悪いことに同じ分野での成功者とワナビのカップルだ。ここにある不幸は、妻が夫より成功したことではないし、夫が妻より家事をたくさんしていることではない。両者間で意思疎通がまるで出来ていないのが、一番の不幸だ。

法廷で音声を聞いているサンドラ(公式予告編より。)

 成功者であるサンドラは、「今のあなたと話している時間が無駄。その時間であなたもやりたいこと(執筆)をやれば?」と言い放つ。ワナビのサミュエルは、「家事をやっているせいで執筆が出来ない、お前はいつでも”今だけは(家のことにかまけていられない)”ばかりだ」と不満たらたら。

 正直、両者の意見はどちらも一理ある。だけど2人は、家事育児・仕事・やりたいことのパイを奪い合い、押し付け合うことしか考えていない。
 でもまあ、夫婦なんてこんなものかという気持ちにもなるが。

 同じ執筆という分野で活動する夫婦なら、お互いの苦悩を理解しながら高め合うことも出来たんじゃなかろうか。
 サミュエルが書いた小説の骨子は、ダニエルの事故を題材にしたものだった。それを元に作品を書いたなら、サンドラは小説の冒頭やあとがきでサミュエルとダニエルについて言及出来ただろう。サミュエルはいい骨子が書けるんだから、物語の膨らませ方についてサンドラにアドバイスを求めればよかっただろう。事故を題材にした物語を2人で作り上げることで、夫婦としてダニエルの事故から立ち直る道もあったかもしれない。

 でも多分、彼らはそうしなかった。それぞれのプライド、自尊心、多忙さ、焦燥感……。あらゆるものが邪魔をして、2人は高め合い癒し合うのではなく邪険にし合う選択をした。

 でもまあ、人間なんてそんなものだ。
 そのリアルな歪さが、観客にも問いかけて来る。

 さっきから野次馬してるそこのあなたは、本当に中立で冷静な視線を持って“確信”出来るのか?


長尺だけど引き込まれる名作

 まだまだ、『落下の解剖学』の好きな所はたくさんある。芸達者な犬(死にかけ→復活の演技、どうやって教えるの……?)、しっかりしていて危うさもある少年、綺麗な景色……。挙げ続けたらキリがないので、今回はこの辺りで。

 上映時間は152分という驚きの長さ(長尺でお馴染みマーベル映画『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』は上映時間150分)。それなのに、退屈する瞬間は一度もなかった。
 ハラハラしたり疑問が浮かんだりと、とにかく目が離せない。それは、名優たちの演技力や緊張感のある雰囲気、ストーリーの魅力のおかげだ。

 華々しい受賞歴を引っ提げて上映された本作『落下の解剖学』。
 ただのセンセーショナルな観点だけで評価されるのではなく、観た人それぞれの中に染み渡る“何か”によって高く評価されればいいなと、心の底から私は思う。

 映画『落下の解剖学』は2024/2/23から順次全国にて上映開始。詳細は公式ホームページ・SNSをご参照頂きたい。

映画配給ギャガ Xアカウント
映画『落下の解剖学』公式 Xアカウント


今回取り上げたその他作品まとめ

 大好きな映画なので、ぜひ何らかの手段で接して頂きたいです👇

 この並びに『逆転裁判』入れるのテンション違い過ぎてよいですね👇


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2023年上半期映画ベスト10はこちら。

その他、矢向の映画感想文はこちら。

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© 2024 Aki Yamukai

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