創作モチベーションが下がっても
「こころの支え」だと言い過ぎかもしれないけれど、どうにもならない気持ちの穴埋めに、救いとして創作という趣味が残っていた。と思っていた。
諦めという名のポジティブのような、まだこれがあるだけマシという感じ。
暇つぶし。退屈しのぎ。ライフワーク。趣味。生きがい。心の支え。依存。癒やし。拠り所。
いろいろ表現の仕方を並べてみたけれど、どれもあてはまらないような、どれもあてはまるような、どちらとも言えない。
それが、絵を描いたり、文章を書いたり、手芸をしたりだった。のだと思う。
このところ、今まで楽しく感じていたものやコトが、つまらない、がっかりする、苛々する、楽しめない。そう思うことが増えてきている。
受動的なものは、その対象コンテンツがつまらなくなったり、単純に飽きたり、趣味がかわったり、気分がかわったり、面白い作品がたまたまその時期公開されてなかったとかもあるだろう。
けれど、能動的なことは?
イラストを夢中になって描いていたかと思ったら、描くものがパタリと浮かばなくなったり、なんのために描いてるのかしら?とか思ってしまったり。
何か他のことをしたい。いや、何もしたくない。いや、何かしたい。という矛盾した気持ちが右往左往したり、ぐるぐるまわったりしている。
気持ちが自分の思考にばかり向かいすぎているせいかもしれない。
「他者のことばかり気にしてないで自分はとうしたいかが大事」といったような言葉をよく耳にするけれど、そればかりなのも、かえって堂々巡りで答えのない答えを求めて迷走することもあるのではないだろうか。
他者にふりまわされてばかりは嫌だし、誰かと比べてどうこうばかりも、不毛な競争みたいなこともあるし、結局は自分がどうするかなのだけれど。
自分ばかりを見つめていても何もみつからない気もする。
深く考えず、ただ体を動かすとか、嫌でも働くとか、行動しているうちに刺激を受けて、ぐるぐる同じところをまわることから抜け出せることもあるのかもしれない。と、とりあえず日課の散歩は続けている。
毎日続けていると、習慣化されていくので、何日続けた!とか記録をつけるような感覚ではなく、日常の1つになっている。
森の旅人のように、ただまっすぐに進めば、いずれ森からは出られる。(ちょっと違うかな?)
とりあえずでも、なんでも、続けられることを続けてみると、何か道が開けるのではないかと思う。
「とりあえずでも何か描けたらnoteに投稿してみよう。続けていれば、何かこの不調みたいなものから抜け出せるときがくるかもしれない。」
そう思いながらnoteも投稿継続しています。
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