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トイレの蓋 *短編小説*

~ひねもすのたり小生無職生活~シリーズ 第二編

「トイレの蓋」

 小生は築50年の団地に住んでいる。理由わけ あって無職生活を送っている。

 朝早く起きて掃除をして洗濯をして炊事をして、まるで専業主婦のような生活をしているが、同じことを既婚の若い女性がしていたら「偉いわねぇ」とほめられるらしいが、小生は独身で若くもない。男性の主夫という存在もあるらしいが、それでも世間からはヒモと呼ばれることもあるときく。
 自分がどうあるかではなく、所詮他人が勝手に想像した人物として認証される。それが社会というものだ。広く一般公募したものも、結局優勝はプロと名の付く人の作品が選ばれ、同じような言葉を発しても、幼い子供が発すれば名言になり、フリーターが発すれば中二病と言われる。何事も誰かにわかりやすく承認されるということが要だと小生は思う。

 小生の部屋のトイレにはふたがない。風水や衛生面からトイレのふたの閉め忘れはやめましょうと言われて久しいが、そもそもふたのない便器があることが考慮されていない。とはいうものの小生もこの部屋に住むまでは、住居のトイレにフタがないという経験がなかったため、内見をした際、蓋のないことに驚かされたのを覚えている。
 トイレというのは一日の内長く居続ける空間ではないのに、心身に与える影響がことのほか大きい。気づかされたのはやはり転居してからである。
まず、シャワートイレがないことにより痔や硬便による排便難への不安が否めない。北側に面し換気扇もないため窓を開けていることが多いのでとても寒い。寒くてシャワートイレのないトイレへ排便に行くことへのおっくうな気持ちが芽生え、余計に便秘になる。便座があたたかいかそうでないかがこんなに気持ちに影響するものかと思い知らされた。ものごとの大切さは当たり前のように享受していたものを失った時にのみ気づかされる。
 ちなみに配管もむきだしのため、上階の住人が用をたして流したものがおりていく音がマル聞こえなのだが、これもまた音だけだというのに、なんとはなしにそこに今他人の汚物が流れていると思うだけで結構な不快感を覚える。

 小生は一人で行動することが多く、出不精のひきこもりだ。今まで人の大勢いるところは人酔いするため避けることも多く、群れることも、べったりとしたつきあいも好まない性格で生きてきた。ところが無職になって、家事にも慣れて、ときおりぽつんと時間が空くことがあり、そんなとき猛烈な孤独感が襲うことがあった。
 することがありすぎて忙しすぎる日々を送っていると、「独りになりたい」「ゆっくりしたい」「働きたくない」と思うことが多かった。しかし働かずに独りで過ごすのも長く続くと人恋しくなったり、働きたいと強く思ったり、仕事があることのありがたみを感じられるようになる。そんな風に考えることができるようになったことは、ポジティブに捉えればこれはこれで良い経験となるのだろう。しかしながら小生はきっと、おそらく、喉元過ぎれば熱さを忘れる。仕事を始めればまた愚痴や文句が泉のごとくあふれ出し、あーあ、つくづく働きたくないものだなんて言ったりするだろう。
 トイレの蓋もしかり。蓋つきのトイレのある部屋に引越したら、今度はウォームレットの方が温かくて良いと言い出し、やっぱりシャワー付きトイレが欲しいと思い、小銭が入れば取り付ける。そして「あ~やっぱりシャワートイレなしではやっていけない」なんて言い出すだろう。
 仕事でも、人間関係でも、賃貸住宅でも、ないことを考えれば、あるだけでもありがたいことなのに、何度失敗しても、頭ではわかっていても、どうしようもなくちょっと上の満足を求めてしまう。それが小生の心根というものかもしれない。あるいは、人は皆同じようなもので、ただ自分を戒め、言い聞かせ、折り合いをつけながら生活しているのかもしれない。

今日も蓋のないトイレを見ては、そんなことを思う日々である。


<© 2022 犬のしっぽヤモリの手 この記事は著作権によって守られています>

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