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思い描いていた将来はもう手に入らない。

諦めたり、宥めすかしたり、夢や希望は変化してきた。どうやら、そのどれも手に入らなかったようだ。

幼い頃の自分が将来と呼んでいた年代はとうに過ぎ去った。
思春期、大人になってからも、これまで思い描いてきた分の希望した将来は手に入らなかった。

***

こだわってきたものが、バカバカしいと思うようになった。
何をそこまで必死になっていたのか?と恥ずかしくなるほどに。
「だから何?」と思ってしまうようになった。

***

現実を直視すると辛くなる。現実逃避も虚しくなる。

この苦しみを、可笑しみを、クリエイティブなものへ昇華できるのなら、それもまた全て意味のあることとなるのかもしれない。けれど、私にはその術も才能もない、ことにも気づいてしまった。

西田敏行が歌う「もしもピアノが弾けたなら」という名曲がある。

もしもピアノが弾けたなら
思いのすべてを歌にして
君に伝えることだろう

だけどぉ~僕にはピアノがない。
君に聴かせる腕もない。

阿久悠作詞「もしもピアノが弾けたなら」歌詞より

そういうことか。


<© 2022 犬のしっぽヤモリの手 この記事は著作権によって守られています>

#思い出の曲


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