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名もなき花 *短編小説*

~ひねもすのたり小生無職生活~シリーズ 第三編

「名もなき花」

 名もなき花が咲いている。散歩の途中、ふと路肩に目をやると小さく可憐な花をつけている草花をみかける。本当は名前があるのだろう。しかし世の中的には雑草とよばれる類かと思う。
 よくみると変わった形の葉のものや、群衆で咲くと風情のあるものもある。何て名前なのだろうと毎回思うのだが調べようがない。写真をとって専門家に聞くこともできない。専門家の知り合いがいないから。図鑑も片っ端から写真をみないと見つけられない。そこまでするほど雑草の名前に強いこだわりを持ってはいない。だから、小生の中ではいつまでたっても名もなき花のままだ。
 
 花屋に売っている草花や木には名前がある。お金を出して購入し、鉢や庭に植えて肥料や水を与え大切に育てたり、花瓶に入れて飾ったりして愛でる。多くの人に名前を知られ、手間とお金をかけられる花たちと、野に咲く名もなき花。どちらも美しく咲き誇る花にはかわりない。最後は枯れてしまうのも一緒だ。雑草は刈り取られ、踏みつけられ捨てられるかもしれない。売られた花も手入れをおこたり病気になったり、飾られた切り花は生ごみといっしょに捨てられたりもする。
 
 小生は名もなき花に注目する自分をちょっとだけ知的だと思う。ましてやその草花の名前なんぞをスラスラと口にできたなら、結構カッコイイのではないかと、浅はかな考えを浮かべてしまう。
 店先に並ぶ華やかな花たちは、名札をつけられ誰もが知ることになるので凡庸である。おまけに値札を付けられ、日が経つごとにその価値は下がり、売り物にならなくなれば処分される。比べて野に咲く雑草は、普段は誰の目にも映りながらも認識されず、承認されない。その他大勢のままだ。小生のようにふと目にとめる者がいれば、非凡な珍しい花となる。肥料を与えなくてもお金をかけなくてもたくましく育ち、花を咲かせ、そして凡庸であることを好まない者の知的好奇心と虚栄心をくすぐる。なかなかの賢さではないか。「何とか」という名前を持つ雑草たちよ、あっぱれ。

<小判草 © 2021 犬のしっぽヤモリの手>


ある日、見知らぬ若者が道端で雑草をスマホで撮影していた。
小生はその植物が小判草という名だと知っていた。ちょっと知識をひけらかそうとして声をかけた。
「これ、何ていう植物か知ってるかい?」
若者は少しスマホをいじってから、
「コバンソウですね」と答えた。
「よく知ってるな」と驚く小生にむかって若者は、
「写真で検索かけたんですよ」とスマホを見せた。


<© 2022 犬のしっぽヤモリの手 この記事は著作権によって守られています>



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