“ 自分にしかできないこと ”によって奪われ、縛られる

先月、こんなことを思ってツイートしました。

なんか、1ヶ月くらい経って今自分で読むとちょっとカッコつけてる感あって恥ずかしくなるんですが、本当はもっと個人的でもっと具体的なところで違和感を覚えていました。

「“自分にしかできない仕事” “自分にしか分からないこと” を創りだしてしまうことで、生きてる間に自分自身に与えられてる貴重な時間とその時間によって生み出し得る未来を奪ってしまっていたんだなあ。」

       *  *  *

今、僕は東京の企業で働いているんですが、その中では編集長(まだ慣れない…)として限られたメンバーしかできない仕事や役割を請け負うことが少なくなくて。

最初の頃は、そういう仕事や役割に誇りややりがいを感じていました。でも、最近はなるべくなら自分がそうした状況に置かれないように周りの環境を整えたりコミュニケーションをとったりしています。

なぜなら、いわゆる“自分にしかできない仕事” “自分にしか分からないこと” を作り出してしまうと、それらによって自分の時間が奪われたり縛られたりするような感覚を覚え始めたからです。

そんな感覚の変化を自覚して捉え始めたのは、たぶん2ヶ月くらい前。

この仕事に携わるようになってから、最初はとにかく自分自身が目の前の仕事1つ1つをやり遂げることに必死で。「前回よりもイイものを…」と自分に言い聞かせ、1つ1つベターを追求し続けました。

そしたら、ありがたいことにお客様やメンバーからたまに企画や文章を褒めてもらえるようになりました。言葉を借りるなら、まさに下記のような感覚。

『技術や努力が追いつかなければ、表現したいものは外に出せないし、休んだからって溜まる一方だし。だから、出るまでやる。出せたら、心底昇華され、楽しいのでまた次、出るまでやる。その積み重ねが、年月を経て、まわりから見て「突如うまく」なったように見える。』
おとなの小論文教室。| 山田ズーニーさん


そうしているうちに、気づいたら1人、また1人と部のメンバーが増えていました。やがて数人のチームになってきたので、仕組み化や組織化を考えていかないといけなくなりました。

正直、こういうリーダー的なポジションには苦手意識や黒歴史的な記憶があるのでできればやりたくないのですが、なぜかこうした役が回ってくるので半ば諦めて取り組みます。

そうした中で、自分の仕事(タスク)とチームのために行う仕事(マネジメント)とを抱えている方には共感していただけるかもと思うんですが、ついストレスを感じてしまう場面がありました。

それは、自分の仕事に集中しなければならない時、中長期的な計画を立てようとしている時に周りから質問や相談を持ちかけられることが重なってしまうような場面。

それらに答え終わると、また後ろから声をかけられる。それぞれに答え終わって時計を見ると、時間は無情にも流れ去っていっていて。

部屋を出て、壁に頭と自重を預けながらひとり深いため息をつくしかない。

そんな日が少し続いたある時、ふと思いました。

「この状況って、自分で変えられるんじゃないか。」

少し大げさに聞こえるかもしれないですが、ここで僕自身は吹っ切れました。

それからは、できる範囲で少しずつ、自分がしていたことをマニュアル化・仕組み化していったりメンバーに判断基準や役割を与えていったりするようになりました。聞かれそうなことは「これを見ればわかる」というようなものを作ったりもしました。

そうすることで、“自分にしかできない仕事” “自分にしか分からないこと” は減っていきました。

そしたら、自分に聞かれたり頼られたりするターンが減り、自分がやるべき仕事に集中できたり中長期的な自分やチーム、組織のことを考える時間ができました。多少リモートで作業することがあっても支障は無くなりました。

そんなこんなで、だんだんとマイペースに仕事に取り組めるようになった今、また気づくことがありました。

「“自分にしかできない仕事” “自分にしか分からないこと” を創りだしてしまうことで、生きてる間に自分自身に与えられてる貴重な時間とその時間によって生み出し得る未来を奪ってしまっていたんだなあ。」


このことに気づけなかったら、僕はまた自分の大切な時間を軽く扱って、“他の誰かにとっての都合のいい人”になってしまうところでした。

未来を思い描いたり過去を振り返ったり、全く意味のない面白おかしいことをしてみたり。そういう余白の時間を生み出し、大切にしていたい。

何よりも尊くて、愛おしい自分にだけ与えられたこの時間を大切に。


あとがき

自分に与えられた時間は有限で、その時間の積み重ねが遠いようで近いような自分の未来に続いてると思っています。だとしたら、1日1日、明日明後日をどう過ごし、どんな生き方をしていたいか。

“ できるなら、その有限の時間の中で、他の誰かの人生の片隅にいる名もないサブキャラクターで終わりたくない。

自分の人生にとっての主人公であり、他の誰かの人生にとっても楽しい冒険を続けるキャラバンの一員でありたい。”

そんな欲張りで、図々しいことを妄想する休日です。

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