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攻撃する障害者の正体

結論:生存本能です

こんばんは。ご覧いただきありがとうございます。前提として私は医師、心理士、PSWといった専門職ではありません。私の理解、解釈が間違っている点は多分にあるとおもいます。
障害者雇用の現場に15年働いている経験からこの記事を書いています。
今回はのインパクトについて書いていきます。よかったら、好き、フォロー、コメントなどしていただけると励みになります。よろしくお願いいたします。今回は橘玲さんの著書バカと無知から見る障害者がなぜ攻撃的に映るのについて私なりの見解を書いていきたいと思います。

1.正義

この章のまとめとしては
1.人間は敏感な警報システムの元に動いている
2.人間は社会から外れていると感じると攻撃する
3.人間は社会から外れない程度に目立たないといけない
4.人間は自分より能力が低い、もしくは下位の者を報酬と感じ、自分より能力が高い、もしくは上位の者を損失としてとらえる
5.人間は上位の者が社会から外れた不祥事を起こすと徹底的に攻撃する

皆さんはTwitterなどのSNSなんかで社会や企業に対して攻撃している、もしくは攻撃的になっている障害者をみたことはあるでしょうか?私は週に5回は見ると思います。私も以前、車椅子乗車拒否問題についてNoteに書いています。

まず、大前提として知っていただきたいのは、車椅子で乗車拒否された方にしても、精神や発達障害などで何かを攻撃している人はその人なりの正義でやっています。しかし過剰に攻撃しているように見える方もいるし、車椅子乗車拒否問題のときは逆に健常者の方や私も車椅子の方を攻撃しました。なぜ攻撃してしまうのか。今回の著書の中で火災報知器の例が挙げられています。少しの煙でサイレンがなる火災報知器はうるさくてしかたないですし、鈍感な火災報知器だと平時は静かで良いですが、なったときには手遅れになっているかもしれない。人は生存競争にいくために脳の機能として感度が高い火災報知器がなるようになっています。脳の火災報知器は敏感に作動します。火災報知器がなったときに人は攻撃的になります。それは人間が少数の社会で生活し始めた時代は、社会から外されることは死を意味しました。そのため社会から外されたと感じた場合障害者に限らず誰もが攻撃的になります。そして少人数の社会の中では目立ちすぎると社会から放逐されて死にます。ですが目立たないと性愛のパートナーを獲得できず、子孫は残せません。社会の中では抜け駆けとただ乗りはなるべく排除しないといけません。決めた期日にみんな平等に配られる食物を抜け駆けして多く、もしくは全部を奪うものは許してはいけません。また、仕事をした人に配られる報酬について、並んだだけで貰おうとするただ乗りもまた許してはいけません。少人数の社会の中で人は自分より劣ったもの、下位の者は報酬と感じるようになり、上位の者は優れたものは損失と感じるようになったと著書の中で書かれています。人間に限らずすべての生物は快感を増やし、苦痛を減らすようにできています。なので芸能人や政治家、経営者、企業家などの不祥事があると徹底的に攻撃します。

2.バカと無知

この章のまとめとしては
1.だれしも全知全能ではない
2.だれしもがす全てにおいて、私は平均以上の能力をもっていると錯覚している
3.だれしもが、バカな部分があるのに自分がバカな部分にきづいていない
4.だれしもが、他人にバカとばれると致命的であると脳は錯覚する

強烈のタイトルですが私は全ての人間がバカであり、無知である面があると思っているスタンスの人間です。高名な学者であるほど専門外のことは知りません。しかし、今回の著書で書かれているのは最大の問題は、人間は自分の専門外の問題についても、ほとんどの方が自分が人並み以上だと答えるということです。

バカの問題は、自分がバカであることに気づいていないことだ。

私の知る限り、万物の天才といわれたのはレオナルドダヴィンチしかいません。私の友人でイエスキリストの生まれ変わりで仏教の世界でいうところのすべての悟りを開いたものだという統合失調症の友人がいますが、すべてのことでNo1だといわなかくても、すべてのことで人並以上だと思っています。私からすると統合失調症の友人も世間の一般大衆も大差ないなと思ってしまいます。知と無知に4パターンあります。一つ目は知っていることを知っていること。足し算の法則をしっていれば2+6=8になることを知っています。二つ目は知らないことを知っていること。例えばスマホやPCやシステムがどう動いて正確性があるのかはよくわからないけど、日々いろいろな情報を取得できることは知っているような状態です。知らなくても誰かがうまくやってくれている(自分が知らないことを知っている人にやってもらっている)ことをわかっています。3つ目は知らないことを知らない。私自身、知らないことはいっぱいありますが、世の中の必要な知識の何割知らないかがわからないです。4つ目は学説的にはいわれてないことですが、知っていることを知らないことです。これは直感とかですね。例えば初対面であった人でもこの人はいい人そうだとか、この人は悪い人かもしれないとわかることです。これは学校、会社なんかでの教育、トレーニングで大きな問題となります。なぜなら、フィードバックを受け取った側が何がわからないのかわかってない方が存在するからです。たいていの会社員がそうだと思いますが、管理職の上司がなにをやっているかわかっていないのに、部下からの評価が著しく低くなったりもします。これは人間が少人数の社会でいきていたときから高い能力がもったものが評価されて高い地位についてきます。逆説的に言えば自分が低い能力であっても高い能力だと偽装できれば地位は上がります。ですが自分が低い能力だと他者にばれると致命的になります。

3.自尊心

この章のまとめとしては
1.自尊心は他者との関係性できまる
2.自尊心はマジョリティ(強い集団)に所属していると高まり、マイノリティ(弱い集団)に所属していると低くなる
3.自尊心は先に高めてしまうとかえってひどい結果になる
4.自尊心はうまくいくと高まり、うまくいかないと低くなる
5.自尊心が打ち砕かれたとき、自尊心が高い人は個人主義になり、低い方は集団主義になる。

自尊心が高い方はおられるでしょうか?私自身もそうですが、何の障害があっても自尊心高く保って生きているなという方は私は見たことがありません。面と向かってでなくてもSNSなどで罵詈雑言をあびることは殴る蹴るなどの暴行、リンチを受けたものとして脳に刻み込まれます。日本だと皇族の方が海外に嫁いでいかれました。世論は「あんな男と結婚したら不幸になると善意のアドバイスをしただけだ」と思っている方は多いと思います。皇族は事実上、名誉棄損などで訴えることができません。自ら選んだ身分でもないのに集団リンチに耐えなければいけません。哲学者サルトルは「地獄とは他人だ」といわれているとのことです。自尊心は他者との関係性で決まるものだと著書には書いてあります。他人に対して圧倒的に優位であれば自尊心が傷つくことはありません。たいていの親が子供に反抗されてもなんとも思いません。これは力の差が圧倒的にあるからです。徹底的に社会的な生き物である人間は自尊心が低下すると攻撃的になりますし、個人としての自尊心が揺らいだときも極めて危険であると著者は作中で述べています。自分が虐げられていると感じると怨恨が噴出します。それがアメリカではトランプ現象を起こし、日本では皇族へのバッシングになっています。生活保護のバッシングも「働かずにうまいことやってくらしている」ように見えることで、非正規雇用でかつかつの暮らしをしている方が攻撃します。建前では「みんな平等」とはいうけれども生まれや、法制度のゆがみによって、自分より恵まれているものがたくさんいるのではないかと思っている。自尊心は所属する集団から大きな影響を受けます。自分のお気に入りの野球チームが勝てば自尊心が上がるし、負けると下がります。強い集団に所属していると自尊心が高まり、弱い集団だと自尊心が低くなる。人はどんなことをしてでも自尊心を高めたいと思っている。集団が与えてくれないのなら自力で承認要求をみたして自尊心を高めようとします。強い集団は現代の日本だと、日本人、男性、異性愛者、がマジョリティです。弱い集団は外国人、女性、同性愛者、障害者などがマイノリティです。ある意味偏見でしかありませんが、発達心理学の世界では教育によって弱まるとされています。ですが教育ではできないことを知らない子は教育できません。現代社会では自尊心や自己肯定感を高くすることが重要だと考えられるようになってきました。様々な調査結果で自尊心が高いと社会的、経済的に成功し、健康で幸福度が高いといわれています。なので褒めて伸ばす教育や運動会で最下位だったこにもトロフィーを渡すようなことをやってみた結果、全員が自尊心が高まるわけではありませんでした。著書の中では自尊心は報酬だと書かれています。頑張って勉強してテストでよい点をとって先生に褒められることで報酬としての自尊心が高まる。褒められて先に報酬を受け取ってしまうと、頑張らず、勉強せず、テストでよい点はとれなくい。ですが自尊心の報酬としては同じです。自尊心が高くても何もかもがうまくいくわけではなく、教育や子育てで先にほめてしまうとかえってひどいことになります。自尊心についての大量の研究結果でわかったことは「うまくいくと自尊心が高まり、うまくいかないと自尊心は低くなる」という当たり前だなと思うことだけがわかりました。自尊心が打ち砕かれたときの対応も変わってきました。自尊心が高いかたは「どうすれば自分の能力をもっと発揮できるようになるか」に関心をもち、自尊心の低い方はどうすればもっと他人から好かれるのか」に関心をもった。ここから自尊心の高い方は自分の能力で打開しようとし、自尊心の低いかたは対人関係スキルで危機を乗り越えようとしました。

4.差別と偏見

この章のまとめとしては
1.すべての人が何かしらのレイシスト(差別主義者)である
2.差別は集団の競争なかから生まれた
3.カテゴリー化された差別はテクノロジーの進歩でなくなるが、それがユートピアかディストピアかはわからない

障害者の中には障害者は差別や偏見を受けていると思っている方は多数派になると思いますが、分かりやすい障害者差別主義者は誰かといわれると答えられないと思います。差別や偏見を客観的な数値として計測するのは困難だし、街頭インタビューを行って、私は差別主義者ですと答える方はほとんどいないのではないかと思います。ですが差別はあるんだと主張する側からするとこういうことが差別だと揚げ足をとるようなものでも差別だといわなくてはいけなり、誰もが相手に「差別主義者(レイシスト)」というレッテルを張られることになるかもしれません。私自身、発達障害の方とかかわるようになった10年前くらいに、発達障害の方から発達障害はもっと社会で平等であつかわれるべきなので、精神や知的と違うから清掃や単純作業はの仕事はしたくありませんといわれたことがあります。障害者に限らず誰もが偏見をもっています。部落解放運動をされていた方の娘さんが部落の方と結婚するといったときに、俺が一番しってるから部落の奴なんかと結婚するなといったブラックジョークも聞いたことがあります。反同性愛差別をしている方がIATという自分の偏見を測るテストを受けた際に同性愛は良くないと思っているという結果がでたこともあります。IATが明らかにしたのは誰一人として偏見から逃れることができないということです。差別はなぜうまれてくるのか。それは人間が少人数の社会的集団であったころ、環境から得られる資源や収入が一定であった場合、集団が大人数になってくると集団は分裂して複数の「社会的集団」になります。そうなると生存戦略としては同じ集団とは協議し、異なる集団に競争して勝つことが生物的進化の最適解となります。人間は旧石器時代ですら数千人規模の集団で行動するようになっていました。そうなってくると人間の認知できる限界人数を超えるので共通のしるしとして、方言、文化(特定のマークの入れ墨をいれる)などで仲間であることを認識しようとしました。差別のない社会を作るにはカテゴリー化をわけることやめればいいことは誰でもわかっています。集団ではなく一人ひとりの個性をみていこうというリベラル戦略です。しかし、人間が単体で覚えれる人数は50人くらいです。数百人、数千人の集団を一人一人の個性で見分けるのは人間の認知的境界をはるかに超えています。近い将来AIによって、SNSなどのビッグデータから一人ひとりを個別に判断し、信用スコアのようなものをつけることも可能になってきます。そうなると人種、民族、宗教のようなカテゴリーによる差別はなくなり、知能、外見、能力、発言内容などが点数化されて、誰と付き合うべきか、誰と付き合うべきでないかまでAIが判定してくれる未来が来ます。

結論:生存本能です

何かを攻撃している障害者の正体は生存本能です。人間は社会から疎外感を受けると脳内の警報装置がけたたましくなります。人間の脳内の警報装置はゆるめに設定されています。そうでないと死ぬからです。人間社会の中においては目立ちすぎると殺され、目立たないとパートナーを得て子孫を残すことができません。人間は自分より上位の者がなにかスキャンダルや不祥事があると徹底的に攻撃します。それが自分が上位に上がれる可能性があることだからです。人間はだれしも全知全能ではありませんが、だれしも自分がすべての事柄において自分は平均以上と錯覚しています。自分がバカだということを知らないのでその解決方法も自分ではわかりません。また社会集団において自分がバカだとバレることは死に直結すると脳は思っています。
そのため人を見下して自尊心を高めようとします。ですが障害者はマイノリティなので自尊心が低いです。ですが現代教育において努力や結果をだしていないのに褒められて自尊心を得ている障害者もいます。自尊心が高い障害者の方が自尊心を打ち砕かれたとき、自分の能力で状況を打開しようとします。障害者自身はマイノリティでありますが、マイノリティの世界の中のマイノリティの集団を差別することもあります。差別は集団の中から生まれます。ですがカテゴライズされた差別はテクノロジーの進歩でなくなります。ですがその描く未来がユートピアではなくディストピアになる可能性のほうが高いです。

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