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三年間ボカロPをやってみた

こんばんわ。やみくもと申します。

「石の上にも三年」ということわざがありますが、気付けば私が初めてボカロ曲を投稿してから三年が過ぎていました。

このnoteでは(恐らく)平々凡々なボカロPである私がなにをきっかけに、どんなものを使って、何を作り、結果どう変わったかをお伝えします。

6月14日追記
ニコニコ文化に育ててもらったことから、また、みなさんにニコニコ動画を見てもらいたかったことから記事中に出てくるボカロ曲のリンクを全てニコニコ動画のものにしていたのですが、件のKADOKAWA・ニコニコサイバー攻撃の影響で動画の閲覧ができないのでYouTubeのリンクを併記します。復旧したらニコニコで観てくれると嬉しいです。


ボカロとの出会いとボカロPになるまで

現在20歳の私ですが、ボーカロイドという存在は小学校低学年の頃(多分2011年ごろ)から知っていました。ですが、自発的にボカロを聴くようになったのは小学校4、5年生(2013〜2014年)の時でした。
その頃クラスでkemuさんの『六兆年と一夜物語』が流行っており(オタククラスだったんです)、その人気を追いかけ、3DSでニコニコ動画にアクセスし、そこからボカロを追いかけ始めました。
その当時のヒットだった『妄想税』、『ドーナツホール』、『脳漿炸裂ガール』や過去の人気曲として『裏表ラバーズ』なんかを聞いていた覚えがあります。

私は幼少期音楽と無縁の子供だったので、私の音楽に対する探究心はボカロから始まったと言えるだろうと思います。
ボカロに対する情熱はアニメを見たり漫画を読んだりするのと並行して2017年くらいまで続き、初音ミク十周年各曲を聴いたあたりで一旦熱が冷めましたが2019年の初頭にDECO*27さんの『乙女解剖』を聴いてボカロシーンをかなり深く探るようになりました。

そこで、私の運命を変える曲との出会いをしました。r-906さんの『パノプティコン』です。

この曲に衝撃を受けた私はすぐに「何か創作をしなくては」という衝動に襲われました。
それまでも漠然とクリエイターという職業に憧れを持ったり少しだけ絵を描いたりしていましたが、本気で「創作をしなきゃ」という気分になったのです。それくらい強いインパクトでした。


ただ、その時は自分が曲を作ることなんて無理だと思っていたので小説を書いたりしていました。

しかし、2020年のある日偶然ピアノアプリで(何も弾けないのに)遊んでいた私はとある白鍵を押した時、「あれ、この音って続きがあるな」という不思議な感覚になり、感覚に沿って別の鍵を押していくとフレーズが完成して、それが『東京テディベア』のサビだったのです。

「作曲をするためにはまずは耳コピができる音感が必要」ということを知って作曲を諦めていた私はこの時、「これって耳コピというやつなのでは」と感じ、それから何曲かのメロディを耳コピにトライして成功したことで「自分でも作曲ができるのでは」と認識を改めました。

そして、r-906さんが使用していたということからiPhoneのGarageBandで作曲ごっこみたいなことを始めました。
「絵は模写が基本」ということは知っていたので、最初は耳コピをよくやっていた気がします。

もちろん、その先には「ボカロ曲を作る」「ボカロPになる」という目標があり、PCに移行する前段階として作曲の練習をしていたのです。

しかし、実はiPhoneでもお金を出せばボカロのソフトが入れられる! ということに気がついたのが多分2021年、その時点で私はiPhoneでボカロPになることを決めました。
今でも一貫してiPhoneのみで曲を作っています。

そして2021年5月8日、前々から使っていたinstに衝動的に歌を入れてやっつけで絵を描き、ニコニコ動画に投稿しました。

この日、「やみくも」というボカロPが生まれました。

(ちなみにこのnoteを遡ればわかりますがそれよりちょっと前からその名前でnoteは書いてました)


ボカロP一年目(前半)

まずは、ニコニコ動画に投稿した際に「youtubeにもあげてくれ」というとても嬉しいコメントがあったので、新しくYouTubeのアカウントを作りました。
処女作以外は全てニコニコ動画とYouTube、同日に投稿しています。

それから、Twitter(Xになるのは遠い先)のアカウントを新しく作りました。
「ボカロ曲を投稿したよ」という発信の場が欲しかったのと、ボカロPの友達が欲しかったのです。

一年目の私は受験を控えた高校三年生だというのにボカロ曲制作に対するモチベーションがめちゃくちゃ高く、ほぼ毎月新曲を出していました。

2024年の私はまだ二曲しか曲を出せていません(これには一応理由があるので、また後で記述します)。

それから、当時はとにかく「伸びたい」という欲求に支配されていました。

今はもう少し他のことに目を向ける余裕があるのですが(もちろん気にならないといえば嘘になります)、当時は新曲の数字ばかりを気にして、大体落ち込んでいました。
正直言って、「ボカロ楽しい」というモチベーションよりも「次の曲で伸びたい」というモチベーションでやっていたと思います。

ボカロ界には若い人がとても多いです。
例えば、みなさんご存知Kanariaさんは17歳で処女作『百鬼祭』が殿堂入りしたりMaretuさんにRemixされたりして、18歳になってからすぐ二作目『KING』が爆発しました。
そういう人たちと自分を比較し、勝手に焦っていたのだと思います。

ただ、「焦り」と言って終えばマイナスなもので終わってしまいますがそれがモチベーションに繋がっている部分もあり、毎回「次の曲では新しいことをしよう」と思っていました。

そのため、この頃の曲はピアノポップスだったり変拍子曲だったりシンセポップだったりエレクトロスウィングだったりして、一貫性はありませんでしたが挑戦としては良かったと思っていますし、この頃の経験が今の自分のスタイルを作っているとも思います。

もちろん、制作のモチベーションが上がるのに伴い、音楽を聴くこと自体のモチベーションも高まりました。

再生回数の少ないボカロ曲を聴いていろいろな発見を得たり、好きなボカロPの人がメジャーシーンにいってやるようになった音楽を聴いたり、好きなボカロPの人が影響を受けたと言っていた曲だったりと殆どボカロ曲だった私や音楽鑑賞は(ややボカロに偏ってはいますが)どんどん豊かになっていきました。

ボカロPになる以前の話になるのですが、私はCDを買うという経験を全くしたことがありませんでした。
しかし、音楽を作り始めてから音楽を聴くのが楽しくなりCDを買ったり借りたりするようになりました(ちなみに一番最初に買ったCDは米津玄師さんの『STRAY SHEEP』です。それくらい遅いです)。

もちろんボカロPになってからもそれは引き継がれ、サブスクが流行ってきていたこともあり色々なジャンルに手を出すようになりました。
ボカロとは全く関係ない文脈で(昔のアニメの主題歌でした)ヒップホップにハマったのもこの頃だったように思います。

昔の私は音楽を平坦なものだと思って聴いていました。
どういうことかというと、音の先に楽器が見えていなかったのです。
ギターとベースとドラムの曲があってもそれを演奏する三人の姿は思い浮かばず、一つの音だと認識していました。
それが変わったのも音楽を作り始めてからです。

音楽に対する想像力、音楽を観察する力のようなものが養われたのが一年目だったような気がします。
そして、それはもちろん現在も続いています。

ボカロP一年目(後半)

2021年10月、『ノンシャラン』、『マイグレイターズ』という二曲を双子曲としてボカコレルーキー部門に出して(余談ですが、これはr-906さんの『モノクロセンス』『メカクシアニン』の影響です)それなりくらいの結果に終わった後、私は少し別のことをしようと思いました。

というのも、それまでは全て一枚絵+文字で作っていたところを何枚か絵を入れて動画っぽくしようと思ったのです。
多分、いよわさんの影響だったんじゃないかと思います。

そして作ったのが『あたらしいきもの』という曲。

なんと、前に出した二曲に比べて全然伸びませんでした。
これは相当キツかった記憶があります。
一月に一曲という自分ルールを無視してまで時間をかけて作ったのに(12月投稿でした)全く振るわない。


一年目の後半はこの後3曲出していますが、これに懲りて全部一枚絵か一枚絵+差分です。
相当ダメージを受けていたことがなんとなくわかります。

今思えば普通に注目度のあるイベントで少し伸びた後それが無くなっただけな気がしますが、そういう冷静な分析をするだけの精神的余裕が出てくるのはもう少し後の話です。

しかし、動画に挑戦したことは自身の画力を向上させるという意味で結構大きく、今まで副産物だと思っていた自分の絵をMVのように捉えるきっかけになったような気もします(実際にそう意識するのはもう少し先です)。

一年目の後半とわざわざ項目を分けていますが、音楽に対する意識などは前半述べた通りです。

ボカロP二年目

ボカロP二年目は私にとって結構嬉しい年でした。色々な意識が変わった年でもあります。
ちなみにここでいう二年目というのは処女作から一周年経った後という定義でお願いします。つまり、2022年5月8日以降ということです。

まず、(ボカロと直接的な関係はないですが)大学に入りました。
私はちゃんと高校生をしていなかったので、ちゃんとした大学生になって相当忙しくなりました。

また、手先が不器用で楽器に対する苦手意識があるので軽音部には入らなかったものの、小説を書いたことがある縁で文芸部に入部しました。
小説を書き始めたきっかけがr-906さんだったことを考えると、これもボカロの影響のような気がします。

そういうこともありボカロP一年目後半最後の曲に当たる2022年4月22日の『スキャンダル』という曲を作った後しばらく作曲活動から離れていました。

しかし、やっぱり続けたいという気持ちが大きかったので「一周年で何か面白いことをしよう」と思い、何も考えず投稿した処女作『雨の匂い』の続き的な曲を書けないだろうかと考えました。

雨から連想してお題は「傘」、一枚絵ではなくやっぱり動画がやりたいという気持ちで絵を何枚か描くことにし、曲は処女作の路線を追いかけてピアノを使った不思議系ポップスにしました。

当初は5月8日に合わせたいなと思っていたもののクオリティを上げるため予定は後ろに倒し、結局7月26日に『Sounds of Umbrella』という曲をリリースしました。

結果から言うとこれも数字は全然伸びなかったのですが、一年目の時とは違い、あんまり落ち込んだりはしませんでした。

それは、自分が納得できるものをリリースしたからだと思います。


一年目の時はやはり数字を追いかけていて、クリエイティブな工夫も数字を取るための技術という意識だったのですが、この曲になって初めて自分のための曲を書けたのです。

それは結構気持ちがいいもので、この曲から意識が変わって自分の満足できるものを優先して作るようになりました。

また、数を多く作るよりも質を重視したくなったのもこの頃からです。
結果から見ると、一年目は10曲を投稿しましたが二年目は6曲に留まっています。

その次に作った『あぐのーしゃ』という曲はボカコレルーキー(最後だったので)に出した曲ですが、結果的にはこれが一番マイリス数が伸びました。
自分でも気に入っています。

嬉しいことは立て続けに起きるもので、この辺りからボカロPの友達が何人かできました。


元々根がボカロ好きなのでニコニコ動画などから曲を見つけては感想をツイートしていたのですが、そういうのが作者の人に届き、私の曲を聴いてもらったりしているうちに仲良くなったパターンが多いです。

それからは、面白いことをするようになりました。
TuneCoreというサブスクサービスがシングル無料配信キャンペーンをやっていて、前述の『Sounds of Umbrella』を配信に出したらなぜかポーランドで何かのチャートに入ってたりしました(後に解約忘れでお金を取られちゃいましたが……)。


無色透名祭Ⅱに出した『嗚呼、鮮やかな花が』という曲では、歌詞を全文字母音aで作りました。曲はそんなにですが、歌詞は気に入っています。

リリースした曲や多くを今まで描いたことのない構図だったり、動画として複数枚書いたことで画力が向上したのもこの年です。
実は、『愛舐』という楽曲から長らく続けていた「スケッチブックに絵を描いてそれを写真で撮ってスマホのアイビスペイントで線をなぞって色を置く」という作業をやめました。Apple Pencilを購入し、iPad一本のデジタル環境で絵を描くようになったのです。

そういったこともあり、絵を描くことが気軽なものになりました。

また、ボカロしかなかった自分のクリエイティブに新しいものが加わった年でもあります。

大学で文芸部に入部したことは前述しました。
その文芸部がやっている部誌に出した作品を褒められたことをきっかけに、私は小説の世界に入りました。

小説は音楽よりも自分にあっていたみたいで、自分が満足できる作品を書けることが多いです。それが楽しく、現在は小説をメインに活動しています。

今年の1月30日に出した『オリジナル・サンクチュアリ』という曲では自分で書いた小説を曲にしてみる、ということをしてみました。

元々noteでボカロ紹介記事などを書いていて字を書くのは好きだったのですが、まさか『パノプティコン』から始まった創作したいという感情が小説に落ち着くとは思っておらず(ここからまた変わる可能性はありますが)自分でも驚いています。

今のボカロに対する意識は、完全に「趣味」です。
好きなことを好きな時にできればいい。
最初に比べてすごく健全な位置に来てくれたように思えます。

長くなってきたのでそろそろ締めましょう。

総括:ボカロPを3年やってみたら?

・ボカロPの友達ができた
・数字よりも面白いことを優先して作曲するようになった
・絵が上手くなった
・ボカロしかなかったクリエイティブに小説が追加された

あとがき-三周年のやみくも-

想定してたよりもだいぶ長い記事になりました。
三周年を迎えた自分の立ち位置を見直すという意味で良いマイルストーンになったかと思います。

今年の1月31日に20歳になり、5月8日で三周年を迎えた私ですが、最新の活動は日付が変わって一昨日リリースした17曲目の楽曲『蚕録』になります。

これも自分で書いた『回顧録』という小説を原作に作曲をしたもので、原作小説は養蚕家のお嬢様である女の子と蚕の女の子の恋愛というちょっと変わったコンセプトを描いたものです。


興味がある方はチェックしてくれると嬉しいです!

また、小説を書く際の別名義である「やみくろーみあ」で今週末(5月19日)に文学フリマに出展します!

前述の『回顧録』を含めた百合短編五篇を収録した『全員失恋百合短編』という146Pの短編集を会場限定で500円で販売します。

「ボカロの話を聞きに来たのに急に百合小説の販促をされた……」と思っているそこのあなた!

笑い話にしてもらって大丈夫です!
オチに納得できなかったらすみません!

でもこれが私のリアルで、私の創作なんです!

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