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無拠点・家無OLになって早1年が経った

家をなくすつもりじゃなかった。気がついたら家がなくなっていた。

家がなくなった経緯

都内の狭い家に住んで、街中を庭にして走り回っていた自分。コロナで外出がしづらくなったとき、孤独でつらくなった。東京に家があるのに、都内の宿泊施設を転々とするようになった。

わたしが求めたのは「ただいま」「おかえり」が言い合えるひとがいる場所。それを叶えてくれるのは、人と人との距離が近い、ドミトリーのある小規模なホステルだった。あるときは6人部屋に宿泊しながら、都内のオフィスに毎日通っていた。ホステルに帰ってきたら共用スペースのキッチンから、トントン、グツグツと、誰かが今日の晩御飯をつくる音が聞こえてきて、人の暮らしの気配を感じて心底ほっとした。
またワーケーションという言葉がもてはやされていた時期だったので、ワーケーションのイベントも各地で開催されていたので、たまには遠征して参加して皆で寝食を共にしながら仕事をして毎日を過ごしていた。

あのとき契約して住んでいた住居は寝る場所ではあったけれど、すでに安心して帰れる場所ではなくなっていた。寂しくて、世界から隔絶されているように感じられる、怖い場所だった。家を「自分が安心して戻ってこれる場所」とするのであれば、わたしは家を持ち合わせていなかった。だからホテルを転々としはじめた時、わたしはすでに家を無くしていたのかもしれない。

家は無いけど婚約者ができた

都内近郊の宿を転々としているうちに、同じようなライフスタイルをしている大学時代の先輩と時間を過ごすことが増えた。移動時間を共に過ごす中でいろんなことを話しているうちに、2人の人生に対する価値観が実はすごく合うんじゃないかということになり、交際0日で婚約した。

彼は会社員でありながら、このときすでに1年ほど無拠点で全国を車で移動して生活をしていた。2人で生活をすると決めたとき「本当に定住する家って必要?」という問いを投げかけられ、いろいろ考えてみた結果、家が必要だというのは思い込みに過ぎないのかもしれないと思うに至った。そういうことで定住する家を決めないままに結婚生活をスタートすることにした。
いま振り返ってみると、そんな疑問を投げかけるヤツもヤツだと思うし、家は必要ないかもしれないという結論に至る私も私だと思う。

無拠点・家無の生活スタイル

いまは一週間単位で住む場所を決めている。条件は2人がそれぞれテレワークできるように部屋が2つ以上あること。できればキッチンがあると良い。

いままで住んだ場所は単純計算でざっと50ヶ所。徒歩圏内に何件もうどん屋さんのある香川、北海道の窓を開けたらすぐそこに牛がいるお家、風呂なし物件だけど毎日ちかくの温泉に入れる別府の家。

2人とも平日は朝から晩まで仕事だから観光らしい観光はほとんどできない。その代わりに道の駅で買った旬のお野菜で料理をしたり、たまには外食してご当地グルメを食べるのが日々の楽しみ。あくまで旅行じゃなくて生活だから、できるだけ地元の人が行くようなローカルな場所に足を運ぶようにしている。

週末にはドライブもして、弾丸旅行じゃぜったい来ないようなB級スポットをめぐるのが趣味になった。

日本中を巡って変化したこと

圧倒的海外旅行派だった私。日本はどこにいっても何があるかだいたい予想ができるし物足りないと思っていた。けれど、それはとんだ勘違いだった。

どの土地にいってもその場所に住んでいる人がいる。わたしがいままで想像もしていなかった日常を、ごく当たり前の日常として過ごしていることに気がつく。こんなスーパーでこんな食材を買って、こんな銭湯に来て、週末はこんな公園で遊んで、こんな病院に通って・・・。
思い込んでいた「あたりまえ」「日常」が小さな音を立てて崩れていく。そして新しい日常が自分にインプットされて蓄積していく。

そのダイナミックな多様さは、同じ日本で同じ時を過ごしているのが不思議に思えるくらい。まるでパラレルワールドをどんどん発見するかのような感覚。

まだまだ知られていない日本の魅力を発見する喜びを知ってしまった。宝探しみたいなかんじ。見つけたときのドーパミンがすごい。

君が隣にいれば、どこでも家になる

たしかに定住する家はない。テレワークが推進されたおかげで、事実上、リモートワークができるだけのインターネット環境があればどこでも住めるようになった。
でも都会のど真ん中でたくさんの人に囲まれながら、寂しくて心細くて怯えていた私だからこそ思う。どこでも住めるんだけれど、そこには「おはよう」と「おやすみ」を言い合える人がいるから、どこにいてもそこが家になるのだと。


#どこでも住めるとしたら

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