ゆきてかへらぬ

 先般、私に金儲けの才能がない、ということを書いた。しかし、無欲で生きてきたわけではない。現に、知り合いが逃したチャンスに、歯ぎしりをしたこともある。

 ★生き証人
 もう40年以上前の話になる。
 知り合いの出版社編集長と飲んでいた。同年配だったろうか。
 彼がかつて出入りしていたビルの屋上に、変わったお婆ちゃんがいた、という。ハトを飼い、毎朝、体操をしていたらしい。
「あたしゃねぇ、中也(ちゅうや)も小林秀雄も知ってんだよ」
と、話していたというのである。
 100%、長谷川泰子(1904ー1993)である。
 泰子の年譜を見ると、1961年から12年ほど、日本橋でビルの管理人を務めた、とある。

 ★三角関係
 泰子は京都で中原中也(1907ー1937)と知り合い、同棲生活の後に揃って上京を果たす。恋多き女優は、中也の生涯の盟友となる評論家の小林秀雄(1902-1983)と出会い、同年冬には同棲生活を始める。
 この三角関係は文壇史のハイライトである。ビル管理人時代、中也を捨てた女ということで、中也ファンが泰子を恫喝する事件も起きている。当該ファンの心境には、私の理解は及ばない。

 74年、泰子は村上護の聞き書きによる『ゆきてかへらぬ―中原中也との愛』(講談社)を上梓(じょうし)する。
 私の知り合いが泰子の話を聞いたのは、同書の出版以前である。文学関係の出版社ではなかったので、後々も、彼はこの「変なお婆ちゃん」に特段の関心を寄せていなかったようだ。
 泰子はその後20年近く生きた。ほとぼりが冷めた頃、小林秀雄との愛も交えて、二匹目のどじょうを狙う手もあったのに。
 もったいないことをした、と今でも思っている。
 


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