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サイバー刑事スクハラ班



 §1 アフタースクール

 沙耶香(さやか)は今日もプリプリしていた。また、保健の先生に意地悪なことを言われたからだ。

 放課後。仲良し四人組で将来の夢を語り合っていた。
 カレンはパン屋さん、幸奈(ゆきな)は看護師、朱里(しゅり)はツアーコンダクターになりたいと言った。沙耶香の順番が回ってきた。

「私は歯医者さんよ」
 三人は訳もなくキャーキャーと声をあげた。
 沙耶香は理由を述べようとしたが、急に喉がいがらっぽくなり、咳が出た。しばらく咳が続いた。最近よくあることだった。三人は沙耶香の咳が収まるのを待った。

「小杉さん。あなたには歯医者さんなんか無理よ」
 いつの間にか教室に保健の先生が立っていた。教室の前を通りかかり、聞き耳を立てていたのだろう。

「患者さんの前で咳をしている歯医者さんなんかいないでしょ」
 保健の先生はピシャリと言った。

 沙耶香は保健の先生を睨(にら)みつけた。

「何よ、その目は」
 先生は沙耶香に、ツカツカと歩み寄った。
「沙耶ちゃん、行こ」
 女子生徒たちは先生から離れた。

 §2 甘ちゃん

 保健の先生は時間を持て余していた。前任校でも、そうだった。

 生徒があまり保健室に来ない。みんながちゃんと健康管理してくれているからだと、考えていた。体調を崩(くず)す生徒がいれば細々(こまごま)と注意を与えた。男子はよく話を聞いてくれた。しかし、女子は中学生になると、反抗的な子が多い。カレンの場合もそうだった。

 先月、カレンは青白い顔をして、フラフラと保健室にやって来た。
 お腹が痛い、という。やはり、生理だった。
「横にならしてください」
 カレンは訴えた。
 苦しそうに表情をゆがめるカレンを見て、先生は怒りを抑え切れなくなった。
「何よ! あなたの生理痛なんか大したことないのよ。まだ、学校に来れてるじゃない。先生はね、生理になると、起き上がることさえできない日があったのよ」

 いつもの対応だった。自分の経験を聞かせるのが一番、と先生は思っていた。

「分かりました。もう、いいです」

 カレンは涙目になっていた。下腹を抑え、足を引きずりながら、保健室から出て行く。ドアが音を立てた。先生はカレンを呼び止め、説教しようと思った。しかし、大声をあげれば、授業中なので、学校中に聞こえてしまう。

(ふん、もっと痛い思いをすればいいのよ)
 三分の一ほど開きかけたドアを閉め、先生はつぶやきながら、机に戻った。

 §3 それぞれの居場所

「あーあ。なんで、あんなのが教員になったのだろ」
 四人はバスターミナルに急ぎながら、ため息をついていた。
「一番行きとうないのが保健室やない。これって、おかしいよね」
 カレンが言うと、三人は声をそろえて笑った。

 夕方でもバスの乗客はまばらだった。乗客のほとんどはお年寄りだった。過疎化が進み、復路のバスは運転手だけで帰ってくるのがふつうだ。バスは減便され、乗り遅れると、タクシーを利用するしかない。タクシー代は、遠距離なので高かった。沙耶香は手持ちの金がなくて、自宅で治療院をやっている祖父に、払ってもらったことも度々(たびたび))だった。

 まず幸奈が、そして、カレン、沙耶香の順にバスを降りた。朱里は終点まで乗る。

 朱里は母親と弟の三人暮らしだった。母親は離婚し、関東から生まれ故郷の四国にUターンしてきた、と聞いた。観光施設に務めている。

 弟は学校に行っていない。転校してくると、弟の孝(たかし)の関東弁を珍しがり、クラスの男子が真似した。クラス中が笑った。

 そのうち、弟は朝起きなくなった。夜となく昼となく、動画ばかり見ている。母親が注意すると、弟はよくキレた。関東で家族四人、楽しく暮らしていたころの弟の面影はなかった。

 朱里は家にいたくなかった。土日には沙耶香の家に泊まりに行った。普段の日でも、沙耶香と一緒にバスを降り、泊まらせてもらうことがある。

「沙耶ちゃん、今日、泊まってもいい」
 バスのシートから腰を上げかけた沙耶香に、朱里が言った。
「ええよ」
 沙耶香は急いで朱里とバスを降りた。

 宿泊を申し出たのは思い付きではなく、朱里は洗面具や下着類まで用意していた。

 §4 声はすれども

「なんぞ、あったん」
 早々に夕食を済ませ、二人は部屋で寝そべった。

 たいていの会話はSNSを使っていた。朱里の家族のことはSNSで粗方(あらかた)知っていた。

「孝がヘンなのよ」
「また、荒れとるん」
 いつか、弟が部屋の壁を蹴って穴を空けた、と言っていた。
「違うの。部屋に誰か呼んでるのよ。何か話してる。そっと覗(のぞ)くと、誰もいない。ママも心配してね。病院へ連れて行ってみようかって相談しているのよ」
 奇妙な話だった。沙耶香は怖くなった。しかし、友達が困っているのを見捨てておけなかった。

「今度の土曜、朱里ちゃん家(ち)、泊まりに行ってもええ?」
 朱里は喜んだ。
 その夜、朱里は関東の話をいろいろ語って聞かせた。

「孝、沙耶ちゃんのおばあちゃんにいただいたの。ショートケーキ、食べない」
 朱里が隆の部屋をノックした。
「後で行く」
 やはり隆の部屋から男の人の声が漏(も)れていた。

 孝は元気があった。四、五口でケーキは孝の腹に収まった。
「今日も、誰か来てるの」
 部屋に戻ろうとする孝に、朱里が訊(き)いた。
「うん。サイバー刑事(ポリス)さ」
「何よ、それ」
 朱里と沙耶香は同時に言った。
「二人とも、知らないの?」
 孝は大げさに驚いて見せた。
「ネット空間のパトロール隊だよ。来てるのは、スクハラ班って言ってね、学校でイジメなんかに遭(あ)った生徒の話を聴いて、問題を解決してくれるプロさ」

 朱里の表情が曇った。沙耶香はその場を取り繕(つくろ)おうと、とっさに質問した。
「へえ、そんな警察ができたんや。でも、玄関に靴はなかったし、どこから入って来たん」
「スマホの中に棲(す)んでるのさ」
 それだけ言うと、孝は部屋のドアを締めた。沙耶香も言葉を失っていた。

 §5 一件は落着

 翌週、沙耶香と朱里は口数が少なかった。カレンと幸奈は二人をそっとしておいた。

 金曜の朝、沙耶香のスマホにSNSの着信音があった。朱里からだった。
「孝 学校行くって ♡」

「分からないことばかりだけど、孝が学校へ行ったから、まあ、いいかってママも喜んでいたわ」
 朱里もホッとしていた。
「サイバー刑事のこと、まだ言うとるん」
 沙耶香には、孝の空想話のショックが尾を引いていた。
「たまにね。なんだか、信頼しちゃってるみたい」

 たまらずカレンが口を挟(はさ)んだ。
「二人とも、何いうとるん。サイバなんとかって誰や。朱里のママの新しい彼?」
 黙っていると噂が独り歩きしかねないので、朱里は孝から聞いた話をした。
「すごいやん。私にも現れてくれんかなあ。私やって、保健の先生のせいで不登校になりそうや」

 四人は急に黙った。
 学年には不登校の生徒が何人もいた。いつ誰が不登校になっても不思議ではなかった。生徒たちはその話題を口にするのは、好まなかったのだ。

 §6 あんた、誰や?

 カレンにまた憂鬱(ゆううつ)な一週間が訪れた。
 今回は頭痛がひどい。朝、ベッドの上でじっと耐えていた。

 ママも頭痛持ちだった。生理が始まると、カレンやパパに当たり散らした。普段でも、ママは厳しかった。つまらないことで、パパと口喧嘩(くちげんか)していた。パパが黙ってしまうまで、責めた。

 パパは遅く帰るようになった。お酒を飲んでいる日が多かった。
 ママと二人だけの夕食は寂しかった。

「あんな、パパと別れることになったんよ。カレンはどないする? パパとこ行く? 向こうにも中学生の男の子がおるって言うとったけど」
 いつの間にか別れ話が進んでいた。

 カレンとママが買い物から帰ると、パパの荷物がなくなっていた。半月後、ママは市内のドラッグストアに務めることになった。

 今朝も、ママは頭痛薬と水をカレンの机の上に出して、お勤めに出た。
 カレンは何とか学校に行きたかった。しかし、前回の腹痛のことを思い出すと、吐き気がしてきた。お腹が痛くなり、保健室で休もうにも、待ち構えているのは、あの先生だった。

 かすかに着信音がした。カレンはスマホを取った。
「辛(つら)そうだね」
 男性の声がした。
「うん。こんなにひどいの初めて」
 釣られてカレンは答えたが、我に返った。
「あんた、誰や?」
 カレンはスマホを放り投げた。

「私はサイバー刑事だよ」
 朱里と沙耶香が言っていた刑事だった。
「私たちはネット空間に棲んでいる。姿は見えない。私たちは電波に乗って、どこにでも現れることができる。私は学校のハラスメント全般に対応するセクションにいる。ここ数年でハラスメント事案が激増し、担当を増やしてもらったが、とても追いつかない。君に会えたのは、本当に幸運だったよ」

 サイバー刑事のアカウントを教えてくれた。
「これが君のパスコードだよ。忘れないでね。他人に教えてはいけないよ。何かあったら、いつでもログインしてね」
 サイバー刑事からログアウトした。

 カレンはトイレに立った。頭痛のことを忘れていた。

 §7 登校はしたけど

「やあ、今日は気分はどうだい」
 サイバー刑事は少し馴れ馴れしかった。
「昨日よりだいぶん楽です」
 カレンは微笑(ほほえ)んだ。
「いい笑顔じゃない」
 サイバー刑事には、こちらが見えているようだった。

 別れた両親のこと、学校のことなどを話した。サイバー刑事は黙って聴いてくれた。

「なんや、明日は学校へ行けそうや。嫌な先生の顔、見んとけばええし、保健室に近寄らんようにしたらええだけや」
 サイバー刑事は終始「そうだね」と繰り返していた。

 学校に行くと、やはりお腹が痛くなった。保健室には意地でも駆け込みたくなかった。長い一日が過ぎた。バス停から家までが遠く感じられた。ベッドに倒れ込み、ママに起こされたのは午後九時過ぎだった。

 サイバー刑事にログインした。
「そうだったの。大変だったね」
 サイバー刑事はいつもの感じだった。カレンは保健室のことを話した。「私の生理痛は生理痛に入らんって言うの。『先生なんか起き上がれなかったほどよ』やって」
「どういうつもりで言ってるのだろうね」
 サイバー刑事の声が小さくなった。
「そう思うやろ」
「悪いけど、カレンちゃんのスマホ、バッテリーが切れ…」

 §8 怒り心頭

 保健の先生はイライラしてきた。生理が近づいていた。
 最もひどい時は、文字通り地獄の苦しみだった。教員になりたての頃は、学校を休んだこともあった。両親も同僚の女性教員も、一人として優しい声を掛けてはくれなかった。

 それにしても癪(しゃく)に障(さわ)るのは、生理だと理由をつけて、保健室に逃げ込んでくる女生徒たちだった。なかでも、生意気なカレンのことが頭を離れなかった。

 眠れなかった。時間を確認しようとスマホを見た。
「今晩は」
 いきなり声がした。呼び出し音は鳴っていなかったはずだ。
「何、あなた!」
 声を荒(あら)げた。見知らぬ男が自室に踏み込んできたかのような驚きだった。
「夜分、失礼。お悩みのようでしたので」
 まるでスマホからうかがっていたみたいだった。

「あいにくですが、悩んでなんかいません。仮にも私は教師なんですよ」
 急いで通話をオフにしたが、相手の声は聞こえていた。
 電話の主は自己紹介した。

「スクール・ハラスメントって、誰の差し金なの」
 怒りのあまり、先生はスマホの電源を切った。

 先生は嫌なことを思い出してしまった。
 前任校でも、先生のことをスクール・ハラスメントだと投書してきた保護者がいた。学内に調査委員会が設けられた。先生は泣いて説明した。その生徒が欠席がちなこと、保健室登校が多いことなどをあげ、生理痛はなまけるための口実だと主張した。

「当該教員の指導がハラスメントに当たるとは認められない」

 まっとうな結論が出され、先生は自信を深めた。転勤になったのは、翌年だった。

 §9 母親の監視

(だいたい、最近の中学生は我慢が足りないのよ。私の時代は、どんなに生理痛が辛くても、学校を休めなかったよ)
 少女期の思い出が蘇(よみがえ)ってきた。

 母親は娘を教員にするのが夢だった。母親も教育学部をめざしていたが、地元の国立大学は受からなかった。家庭は裕福ではなく、大学進学をあきらめ、信用金庫に就職した。

 母親は果たせなかった願いを娘に託した。
 娘が机に向かっていると、母親は手離しで褒(ほ)めた。食事の時など、よく娘の勉強ぶりが話題になった。父親も目を細めていた。幸せなひと時だった。

 中学一年の冬、学校から帰るなり、冷たい板の間に正座させられた。母親は、娘が机の奥深くしまってあったノートを広げた。
「これは何なの。こんなことを書く時間がいつあったの。それに、何よ。セックスだとかキスだとか、汚(けが)らわしいことばかり書いて」
 創作ノートだった。

 母親の監視がきつくなった。初潮が来て、寝込んでしまったが、母親は
「また、同情を買うことばかり考えて。本当にずるい子や」
 と冷ややかだった。

 父親にも告げ口した。
「この子ったら、男女のいやらしいこと、ノートに書いとったのよ。私が見つけたからよかったけど。お父さんも、注意してよ」
 父親は蔑(さげす)んだような目で娘を見た。

 父親から娘に声をかけることはなくなった。母親に何を言われようと構(かま)わなかった。しかし、父親に無視されるのはいたたまれなかった。
 生理の時でも無理して学校に行った。母親に厳しく言われたからではなかった。怠けている、と父親に告げ口され、創作ノートのことを今さらのように話題にされることに耐えられなかったのだ。

 気になる男子生徒はいた。考えがその生徒に及びそうになると、ほかのことに集中した。たとえ淫(みだ)らなことでなくても、異性のことなどを思うと、父親からますます軽蔑されるに決まっていた。

 母親の知り合いが見合い話を何度か持ってきた。そのたびに断った。
 三〇歳を過ぎて、一人住まいを始めた。もう、鬱陶(うっとう)しい見合い話は来なくなった。

 §10 聴き役

 気が引けたが、先日教えられたアカウントにログインしてみた。
「なんだか、眠れなくて」
「考え事でもしていましたか」
 スクハラ刑事の口調は優しかった。

「私、このまま生きていていいのでしょうか」
 思わず口から出てしまった。
「どんなことを考えていたのですか。良かったら話してください」

 なかなか言い出せなかった。スクハラ刑事は黙って待っているようだった。電話の向こうに、あるはずのない息遣(いきづか)いを感じた。

 話は長くなった。途中、何度も言葉に詰まった。

「どんに辛くて苦しくても、それを言えなかったのですね」
 スクハラ刑事の一言に、声を出して泣いた。

「もう遅いから休みましょうか。創作ノートの話、感動しました。あなたの意識の外に追いやっていたことをもう一度書いてみるのもいいですよね。ぜひ、読んで聴かせてください。また、お会いしましょうね」

 §11 暗転する体育祭

 梅雨入りの前々日、中学の体育祭があった。
 朝は一五度ほどで肌寒かったが、昼前になると二五度以上の夏日になった。

 吹奏楽部に入っている沙耶香は、運動神経もよく、フォークダンスを楽しみにしていた。沙耶香には推しの男子がいた。予行演習でも、その子とペアになると胸が高鳴った。

 運動会当日、フォークダンスの時、思いっきりジャンプして、その男子とハイタッチを交わした。空中で一瞬ながら、確かな手ごたえがあった。
「最高! 手、洗いとうないわ」
 カレン、幸奈、朱里の三人は、有頂天の沙耶香を冷めた目でながめていた。

 プログラムは進み、リレーになった。軽快な音楽、声を限りの応援で、グラウンドは興奮のルツボと化した。
 気が付くと、幸奈の姿がなかった。いつまで経っても帰ってこない。三人は探しに行った。

 幸奈は本部席横の給水場にいた。
 若い体育の先生が両手を腰に、幸奈を見下ろしていた。
「そうやろ。選手は一生懸命走っとるんや。みんなで応援せんといかんやろ」
 幸奈は下を向いている。黙っていると、体育の先生はますますエスカレートしそうだった。沙耶香は幸奈に声をかけた。
「どないしたん、幸奈ちゃん」
 先生は沙耶香たちに食って掛かった。
「どないもこないもあるかい。ここでボーッとサボっとったんや」

 §12 絶体絶命

 騒ぎが大きくなり、幸奈は半泣きになった。
「ウチ、喉乾いたけん、水飲みに来たんよ。そしたら、急にめまいがして…」

 幸奈は軽い熱中症だったのかも知れない。椅子に腰かけて休んでいるところに、運動場を巡回していた体育の先生が通り掛かった。キレやすく、直情型の若手教師だった。沙耶香たちに言わせれば、幸奈はアンラッキーとしか言いようがなかった。

「どうしたの。幸奈」
 保健の先生だった。幸奈の形勢はますます悪くなってきた。これから二人の先生にネチネチと説教されるのだ。

 保健の先生は幸奈の額に手を当て、目を見て、脈を測った。
「早く、保健室のベッドで休ませてやって」
 突っ立っている沙耶香たちに指示を出した。
「先生。こまめに水分を補給するように、開会式でも言ってあったでしょ」
 体育の先生に言い残して、保健の先生は幸奈を抱えて保健室に急いだ。

 保健の先生はテキパキと動いていた。

「いいわ。かなり落ち着いてきたようだから、三人はグラウンドに戻りなさい」

 §13 骨折り損

 沙耶香たちは、幸奈を保健室に残していくことは忍びなかった。幸奈は嫌な時間を過ごすことになる。
 体育祭が終わるのを待ちかねて、沙耶香たちは保健室に戻った。

 幸奈はベッドに起き上がり、あろうことか、保健の先生と談笑していた。
「さっきから先生みてて、ますます看護師になりとうなったわ。先生、かっこよかったよ」

(なんだよ。心配して損した)
 三人からガクッと力が抜けた。

「若いんだから、何でもできるよ。頑張りなさい。私なんか、来月の一日(ついたち)で三九歳よ」
「うちのママと同い年か。先生は中学生のころ、どんな子だったん」
 先生は訊かれるまま、子供のころ小説家を夢見ていたことなどを話した。

 三人も話に加わった。
「沙耶香は歯医者さん、カレンはパン屋さん、朱里はツアコンか。みんな、なれるといいねえ」

 四人は危うく最終バスに乗り遅れるところだった。

 §14 忘れられない人

「お疲れさまでした」
 枕元のスマホから声が聞こえた。
「今日のこと、知ってたの」
「ええ。ずっと、先生のスマホから外の様子をうかがっていましたよ」

(今度から、勤務時間中はスマホを切っておかなきゃ)
 そんなことを考えた。
「もう、その必要はないですよ。今日はお別れに来ました。我々ますます忙しくなってきましてね。先生の小説、第三章までしか聴けなかったのが心残りです。それでは、こちらから切らせていただきます」

  保健の先生は時おり、無性にスクハラ刑事の声を聴きたくなる。もちろん、パスコードは無効になっている。

「どんな方だったのかな。一度でいいから、顔を見たかったな」
 などとつい思ってしまう。
「いかん、いかん」
 そんな時はかぶりを振り、夢想家の自分を現実に引き戻すことにしている。

  一方、沙耶香、幸奈、朱里の三人はカレンの家に集まり、パウンドケーキを作った。月が改まろうとしていた。明日、保健室に届ける。


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