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承認欲求とどう向き合うか?―「疑似インフルエンサー」にならないために

承認欲求という言葉は現代の社会において当たり前に使われるようになりました。

承認欲求とは、他者から価値のある存在であると認められたい欲求です。ですが、この承認欲求に振り回され、自分を見失う人があまりにも多いなあと思います。

そこで今回は、承認欲求に振り回されないようにするためにはどうすればいいのかを考えていきます。

承認欲求があるのは別に構わないし、仕方がない

様々な書籍や記事を読んでいると、「承認欲求があること自体が良くないから、無くすための方法を考えるべき」といった旨の主張を見かけます。

承認欲求があることで他者の目線を気にしてしまい、自分の人生を生きることが難しくなるという因果関係を主張しているのだと思います。

確かに上の主張は理解できます。ですが、溢れ出る承認欲求を無理に抑制し、苦しくなったり孤独を感じたりするのであれば本末転倒でしょう。なので、承認欲求を抑えることが出来ない人は承認欲求をうまく使ってあげると楽になるのかもしれません。

承認欲求の最大の落とし穴

承認欲求をうまく使えば生きやすくなるという話をしました。ですが、承認欲求は大別すると2パターン存在しており、そのうちの1つには大きな落とし穴があると考えます。

①自分の心に嘘を極力つかず、誰かを幸せにしたり欺いたりしたことによる承認欲求
②自分の心に嘘をついて、誰かを幸せにしたり欺いたりしたことによる承認欲求

①の後者(結果的に欺くこと)はいわば法やモラルにはんする行為の正当化なので、言わずもがな論外です。大きな落とし穴なのは、②の形の承認欲求で幸せになろうとすることです。自分の心に嘘をついているので、自分という存在を見失うことに繋がるということです。

「映える」という概念が若者の間では一般化されました。「映える」ために様々なスポットに行って写真を撮ってSNSに載せるという行為は、日常の一部を構成する当たり前になりつつあります。この行為自体は別に構わないと感じます。「映える」の否定は、趣味の否定といって当然過言ではありません。法やモラルを犯さないという前提で、趣味に貴賤はありません。

では落とし穴とは何なのか。それは、自分を何度も何度も戦略的に偽って他者を欺く「映える存在」へと変容させることです。いわゆるインフルエンサーを全否定していると捉えられるかもしれませんが、そうではありません。インフルエンサーは多くの人の心の拠り所、ロールモデルになる職業です。芸能人やスポーツ選手と立場は違えど、果たしている役割は同等であると考えます。

戦略的に自分を偽り、他者を幾度も欺くことで自分を「映える存在」へと昇華させようとする「疑似インフルエンサー」になることが真の落とし穴ではないかと考えます。この「疑似インフルエンサー」は自分だけでなく、他者をマイナスの方向へと傾けると考えます。

人間は皆「疑似インフルエンサー」という幻想

この「疑似インフルエンサー」になってしまうことは脅威であると考えます。ですが、その脅威の説明の前に、ありそうな誤解を解いておきます。

嘘をついていない人間などおらず、生きている限りは誰かに影響を与える。よって、人間はみな「疑似インフルエンサー」である。

一見なるほどと頷いてしまう反論かもしれませんが、「疑似インフルエンサー」の定義において重要な点を外しているので、反論にはならないと考えます。「疑似インフルエンサー」は、自分を戦略的に偽って、他者を欺くという特徴があります。戦略的という言葉がポイントです。

この戦略的という言葉は、「誰かから憧れられるというゴールに対して自分を意識的に嘘で巧みに塗り固める」という定義で用いています。嘘をついてない人間などいないという指摘は理解できます。しかし、他者からのリスペクトへの希求から自分について嘘で塗り固める人間ばかりか、といわれるとそうとは言い難いのではないでしょうか。

自分の深淵にある欲求をもがきながらも素直に自覚し、その欲求に即して自分や他者をよくしようとしている人は、この世にごまんといます。仮に人間は皆疑似インフルエンサーならば、災害時のボランティアなんてほとんど集まらなかったり、非営利組織という概念も生まれず継続した運営など不可能だったりすると思うのですが、いかがでしょうか。

歳を重ねるにつれて、自分の欲求を素直に自覚することなど不可能である。

これは明らかにおかしいです。最近ではいわゆるシニア世代の方がライフワークとしてyoutubeに動画を投稿したり、tiktokでお孫さんと共演して踊るということを行っているという光景が散見されます。

シニア世代の方がyoutubeで動画を発信する意図は、「自分の経験を若者に伝えたい」というシンプルなもの。tikitokでお孫さんと共演する意図は「健康維持」とか「お孫さんと共通の話題を持つことで仲良くなる」といったシンプルなものではないでしょうか。これらの考えはまさに素直な欲求であり、そこには複雑で嘘にまみれた戦略などない気がします。

「youtubeで動画を投稿して集客して、概要欄に自分が執筆した高い書籍のリンクを貼ってそれを買わせる戦略もあるだろ」みたいなことを言う人も居るかもしれませんが、それこそ考えすぎです。

かなり調べましたが、そんな戦略をわざわざ取っておられるシニア世代の方は居ませんでした。上の集客云々の話は経営における典型的なフロントエンドとバックエンド戦略を指しています。ですが、そんな面倒な戦略を組み自分を必要以上によく見せてお金を稼ごうという魂胆はないようです。精神的に余裕がある様を体現されているのでしょう。

「疑似インフルエンサー」になることの脅威

「疑似インフルエンサー」になることの脅威を一言で言うと、自分という存在が信じられなくなり、いつのまにかどん底に突き落とされる可能性があるということです。

自分という存在を偽って、自分の存在が他人にとって大きくなればなるほどどん底へと突き落とされる可能性は上がります。

承認欲求の解消のために始めた「嘘まみれのセルフブランディング」によって、承認欲求どころか自立して生きていくことが難しくなるという悲劇が往々にして起こり得ます。

これは非常に大きな脅威であると思います。

自分の承認欲求とうまく向き合うためには

結局、自分の承認欲求とうまく向き合うためには、

自分の深淵にある欲求をもがきながらも素直に自覚する

多分これしかないのだろうな~と思っています。換言するなら、自分に向き合って、自分のことを知ってあげてくださいということです。

自分は何をしたら/されたら嬉しいのか?嬉しくないのか?1人がいいのか?誰かと一緒がいいのか?誰かと一緒がいいなら、その誰かってどんな人なのか?何が出来て、何が出来ないのか?何をすべきで、何をすべきでないと思っているのか?etc...

自分の心に嘘をつかず、向き合うと辛さを感じる瞬間もあります。ですが、自分の心に嘘をついて戦略的かつ短期的に承認欲求を得ながらも、自分も誰かも傷つけ得る未来。自分と向き合って出できたものを受け入れ、動いて、果敢に挑戦し続けたその対価として承認欲求を得る未来。


どっちの未来があなたにとって幸せそうですか?


おわりに

自分と向き合うことは辛いのは事実ではあります。垣間見える自分の汚い感情にも目を向けてあげることこそが、自分と向き合うことなので当然ではあるわけです。ですが、向き合って出てきた自分を赦し、自分が幸せを感じる空間を体現していった先で生まれる承認欲求を感じる瞬間というのは、何事にも変えられない理想郷であると僕は思っています。

非常に長い文章になってしまいました。ここまで読んでくださり本当にありがとうございます。









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