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「保守=善・良いもの・日本の国益に適う」というのは誤解です。

※以下はSNS上のやり取りを元に微調整したものです。

「保守主義の超克」
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まず、日本における”保守”は大きく五種に定義できます。

より詳しくは上記の電子書籍にまとめていますが、簡単にまとめると、次のようになります。

①政治思想としての保守主義(国制の精神を守るために漸進的改革を続ける)、②冷戦期に形成された西側自由主義グループとしての保守派閥、③現状維持を志向する守旧派、④保守主義と同じく漸進的改革を手段として用いる改良主義、⑤日本の国益増進古来の国体を守ろうとする自称保守。

②は革新勢力に対抗する雑多な勢力をグルーピングした呼び名に過ぎない為、同グループに分類されていても同質ではありません。

所謂”様々な保守が居る”とは、結局のところ、民族主義的な一派やグローバリズム的な一派など全く別々のものを反共反左翼という一点の一致のみで一纏めにし続けてしまったが故の誤謬です。

さて、①~⑤の内、③④は似てるだけの別物という事は一目瞭然ですが、政治思想としての保守主義に適うのは、実は①と②の主流派、つまりは河野談話を出して継承し続けちゃったり、グローバリズムを推進する人らだけになります。

これに違和感を覚える人は多いと思いますが、これは現代日本の状況を保守主義の原理原則に照らした結果としての偽りの無い事実です。



政治思想としての保守主義はよく”雑多過ぎて一致するところが無い”と言われますが、エドマンド・バークをその源流として認める点においては異論は殆ど見られません。

つまり、エドマンドバークの思想を紐解けば保守主義に通底する骨子が分かる事になります。

その保守主義の骨子とは何かというのも詳しくは前述の電子書籍、あるいは種本の(高橋和則,エドマンド・バークの政治思想,2017)をご覧になって頂くべきですが、

かいつまんで言えば、【国制の精神=その国の制度の理念】を守り伝えるために常に小規模な改革を行い続けるというものです。

バークはウィリアム征服王が土着の慣習や価値観(習俗)を尊重した時点から、「自由」こそが英国の【国制の精神】であったと述べ、英国における議会主義の発展は【国制の精神】に基づいて制度が改良され国民の習俗が洗練され続けた結果であるとします。

翻って、現代日本の制度を見ると、その【国制の精神】にあたるものは占領政策であり、その一環で作られた日本国憲法です。

ご存じだと思いますが占領下では日本国憲法の発布、WGIPに代表される加害意識の滋養からパン食への転換まで様々な政策が行われました。

無論、それらは日本国民の慣習や価値観に沿ったものではなく、逆に人々の慣習や価値観を変革し占領者の都合よく塗り替えるために行われたものでした。

ちなみに財務省がインフレ抑制しか考えてないのもドッジラインの精神を現代まで保守していると考えることが出来ます。

バークはこうした国民の習俗を無視し、また習俗を好き勝手に変革しようとする統治を「専制」と呼び、それまでの【国制の精神】を破壊してしまうものだと言います。

【国制の精神】は国民の習俗によって自然に形成され成長するものであるため、誰かが故意に手を加えたり、あるいは新しく作り出すのでは、それまで存在した【国制の精神】が台無しになってしまうからです。
バークがフランス革命に反対した最大の理由はこれです。



もうお分かりかと存じますが、戦後日本は天皇と国民からなる国体そのものの存続には成功したものの、

占領期、GHQによる制度・国民習俗の変革によって、明治維新でもかろうじて引き継げていた建国以来の【日本古来の国制の精神】を破壊された上、【”悪しき古来の日本”を否定し”正しい外来のもの”で塗りつぶす】という日本人を物質的にも精神的にも無力化するために製造された【戦後日本の国制の精神】へと置き替えられてしまったのです。

冷戦がはじまったため、GHQは当初の日本無力化方針を転換しましたが、制度(国制)を維持しようとする『保守派』と日本を無力化したい『東側勢力』によって【戦後日本の国制の精神】を現代まで堅持し続けてしまいました。



さて、保守主義には改良・洗練、時効という概念がありますが、これらは簡単に言うと時間が経つほど【国制の精神】に対応した風に制度や習俗がより良い具合になっていくという事です。

(いわゆる時効の憲法は長い時間をかけて調整され良くなってきたものを今の人が勝手に変えてはダメというものです)

これを戦後日本に当てはめて考えれば、日本人は自ら「より古来の日本を否定し、より外来のもので塗りつぶす」方へと制度や考え方を更新していく事になります。

これが実際に起きてしまった事は昔は憲法九条を盾に出兵しないという強かといってもいい立ち回りをしていたのが、近年では憲法九条で手足を縛ったまま戦地に送りこむという憲法前文(自国のことのみに専念して他国を無視してはならない)に沿ったふるまいへと洗練されている点からもわかります。

また慰安婦問題や河野談話が戦後50年近く経ってから生じた事、構造改革路線が時間を経る毎に進展していく様も、戦後日本が「改良・洗練」され続けている事を示しています。

これも、保守派を代表とする戦後日本人が【戦後日本の国制の精神】を後生大事に”保守”し続けたおかげなのです。

ここで『いや私は占領後では無く、古来の日本の国政の精神を保守するのだ』という風に考える方もいると思います。

そう言いたくなる気持ちはよくわかりますが、保守主義は「古い国制の復古」を歴史的に淘汰された野蛮をよみがえらせる行為として強く否定しています。

よく”保守は歴史を大事にする”と聞きますが、保守主義において歴史が大事にされるのは「今現在」を導出するが故であり、保守主義で尊ばれる伝統とは過去から現在まで受け継がれているものだけです。

保守主義において、「今現在」は過去の紆余曲折の結果です。

これはつまり、「今現在」が過去のどの時点よりも試行錯誤が重ねられた『史上最善の状態』であるという事です。(このあたりは時効からもつながっています)

断絶され現在に残らなかったものは、歴史上、何らかの不都合によって淘汰されたもの、即ち劣等ないし害悪であると考えられ、否定的にしか顧みられなくなるのです。

これは、まさに戦後の戦前観そのものだと思います。

さらにいうと”過去や現状とは関係なく日本のための日本の未来を創ろう”なんてのもフランス革命と同じ”革新”なので以ての外です。

畢竟、保守主義で許されるのは日本人が物質的にも精神的にも無力化するよ
う漸進的な”改良・洗練”を進め、それを阻む物事を防ぐ事だけなのです。



結局のところ、戦後日本で保守主義を適用すると、弱者は守られるべきという日本的価値観や助け合いを基調とする日本的社会、天皇皇統のような古来の日本を引き継ぐ存在は未だ消し切れていないだけの抹消すべき”残滓”に過ぎないという話になってしまいます。

しかも、その抹消作業を進めているのは【戦後日本の国政の精神】によって徐々に変革されてきた日本人であり、そうした子らが政治家や官僚となって構築した各種制度です。

そうした環境で子供や人材がどう育つかはお察しです。
私たちは無意識に日本を貶める方・日本を弱める方を志向して生きるようになってしまっているのです。

以上から、⑤の日本を守ろうとする人々は保守を自称しているものの、現代日本において保守主義を実践すると日本を棄損してしまうため、実際には『保守であってはいけない』事になります。

この状況を何とかするには、保守的な復古的革新というべき『保守主義の超克』が必要になるというのが私の説ですが、これについても詳しくは電子書籍をご覧ください。

この電子書籍は後々動画化して全編無償で公開する底本のために作ったものですが、動画化にはかなり時間がかかると思います。

出来た際はよろしくお願いします。

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