日本語に対する想いについて、あらためていえば日本語への愛か?
明治時代、日本語がローマ字に変わろうとした時代があった。
初代文部大臣となった森有礼は、日本が欧米列強に後れを取ったその原因こそ、この日本語であると信じていた。日本語は、ひらがな、カタカナ、漢字まであって学ぶべき文字数がとてつもなく多い。漢字に到っては集約が進められた常用漢字でも2136文字を数える。それに引き換え、西欧の文字はアルファベットのたった26文字である。おそらく明治の頃は万を超える漢字があったのだろうと想像できる。
このことは、現在日本語を学ぶ外国人にとっても大きな障害や負担となっている。
そういった事情からこんな風に考える明治の文化人はたくさん居た。
事実1549年に日本に来たイエズス会の人々は、ローマ字で書いた「平家物語」や「イソップ物語」を書いて日本語を勉強しようとしていたのだ。おそらく彼らにとってもこの日本語は厄介な存在であり、ローマ字で書かざるをえなかったのではないかと思われる。
私は会社勤めをしていた頃、一時ベトナムのハノイに暮らしていた。そこで初めてベトナム語に接したのであるが、このベトナム語こそローマ字で書いた言語であった。もともとベトナム語は中国と接していたので、言語も中国の影響を強く受け、言語自体のベースも中国語である。語順もSVO(主語+動詞+目的語)であり、中国語や英語と基本的には同じである。おそらく中国語そのものであったのだろうと思われる。
その後ベトナムはフランスの植民地となり、その折に漢字が無くなり、アルファベットに変わった。すなわち漢字の読みだけが残りローマ字化されたのだ。いわゆる日本の明治の人達が考えた言語のローマ字化がなされた。正直この事実にはとても驚かされた。
そんな訳で日本語とよく似た言葉があることにも驚かされた。結婚はケッホンであり、離婚はリーホンと発音される。もともと同じ中国語であることが容易に想像できる。日本では漢字と共に発音も残り、一方ローマ字化したベトナムではその発音だけが残っている。
そんな言葉がいっぱいある。
衣服は、イーフック。意見は、イーキエン。改革は、カイカック。改善は、カイチェン。管理は、クアンリー。注意は、チュイ。
決定的なのは、国語はクオックグーと呼ばれ、まさに国語(こくご)である。
このようにベトナム語におおいに親近感をもった。現在の日本語は漢字とひらがなが併用されているが、もともとのベトナム語も漢文とチュノムと呼ばれるベトナム独自の文字を使用していたようだ。ただし語順は中国語の通りであり文法面では似通っている。
現在のベトナム人は、若者も含め、このクオックグーで育っており、漢字は全く読めない。しかし彼らの名前ももともと漢字があり、意味があることを知っている。そんな訳で漢字に憧れを持っている人達も少なくない。今のベトナムで漢字が残っているのは、お寺だけである。
彼らは新年にお寺に行くとお祈りをし、福や春などと漢字で書かれた色紙を購入してうちに持ち帰る。
そんなローマ字で書かれる言葉となったベトナム語を知って、また日本語のことを思った。
この学ぶに難のある日本語のこと。小さい頃は漢字の難しさによく泣かされた。そのせいもあってか、理数系の学科が好きになり、事実成績も良かった。
そんなこともあり国語の成績はすこぶる悪かった。そして文章とて何を意図しているのかが、良く読み取れなかった。本当に情けなかった。
しかし本を読むようになってすっかりこれが変わってしまった。
ベトナムにも住んでいてわかったが、同音異義語の区別が難しいのだ。どうやら前後の文脈をみてその言葉をおしはかるようだ。おそらく日本語もこの同音異義語をローマ字で書いたら区別がつかないだろう。
しかしこれが漢字かなまじり文であれば、すんなり頭に入ってくる。ひとめ見ただけで意味がわかり文脈がわかる。
日本語の良さは他にもある。言葉の情緒、あるいは言葉の美しさ、漢字の美もそこに入っている。
例えば日本語の雨を表わす表現の多さ。そして美しさ。
梅雨、小ぬか雨、小雨、霧雨、雷雨、五月雨、氷雨、長雨、豪雨、時雨、春雨、緑雨、秋雨、秋霖‥‥‥。
私の好きな作家吉行淳之介の小説の題名「驟雨」(しゅうう)。
もしこれらの漢字が無くなり、ローマ字で書かれるようになったらあまりにも悲し過ぎる。
小学生時代は漢字に苦労をするかも知れないが、大きくなったらその宝物の大きさに驚くはずである。
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