見出し画像

「さみねの島」の「石の中に身罷れる人」考

『万葉集』に柿本人麻呂がさみねの島で「石の中に身罷れる人」を見て詠んだという挽歌がある。少し長いが引用しよう。

玉藻よし 讃岐の国は 国柄か 見れども飽かぬ 神柄か ここだ貴き 天地 日月とともに 満りゆかむ 神の御面と 継ぎ来る 中の水門ゆ 船浮けて わが漕ぎ来れば 時つ風 雲居に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺見れば 白波さわく 鯨魚取り 海を恐み 行く船の 梶き折りて をちこちの 島は多けど 名くはし 狭岑の島の 荒磯面に いほりてみれば 波の音の 繁き辺べを 敷栲の 枕になして 荒床に 自伏す君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉鉾の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ 愛しき妻らは

この長歌に短歌2首が付く(略)。この歌の台詞に「讃岐の狭岑島に、石の中に死れる人を視て、柿本朝臣人麿の作れる歌一首并て短歌」とあり、歌中に詠まれている死者が石の中に横たわっていたことが知られる。

万葉歌人、柿本人麻呂

狭岑(さみね)島は、現在の沙弥島のこととされ、この歌を刻んだ万葉歌碑が建てられている。沙弥島は現在は半島だったが、元は独立した島であった。瀬戸大橋記念公園などで知られるが、ナカンダ浜には弥生〜古墳時代の製塩遺跡があり、古墳も築かれている。
ところで、この「石の中に身罷れる人」は、犬養孝先生が『万葉の旅』の中で漂流死体と考察されてから、行旅死人と解釈されている。人麻呂はたびたび行旅死人を詠んでおり、他の万葉歌人にも行旅死人を詠んだ挽歌がある。当時、行旅死人は多かったと推察されるが、ふと石の中という点が引っかかったのである。仮に、犬養先生が言われるように漂流死体であれば、浜に打ち上げられたあと石の隙間に挟まるものだろうか。歌中には「荒磯」という表現があるので、岩場に打ち上げられていたとも解釈できるが、私は別の解釈を取りたい。
沙弥島には千人塚古墳という古墳があり、この周囲では箱式石棺などが検出されている。もしかすると、人麻呂は偶然露出した箱式石棺内の遺体を目撃したのではなかろうか。それはまさに「石の中に身罷れる人」である。

沙弥島の千人塚

これという根拠はないが、「石の中に身罷れる人」を行旅死人と捉える通説に一石を投じてみた。とはいえ、どちらも後世の人間の想像でしかない。実際にどうだったかは人麻呂に訊くしかないのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?