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読書録:神、人を喰う

六車由実『神、人を喰う』(新曜社)
ショッキングなタイトルに興味を惹かれて買った本。その後、依頼原稿で人身御供を取り上げることになり、「先見の明」に慄いたりした。
本書は人身御供伝承について論じた4つの論文を中心に構成される。人身御供伝承は大まかに言うと
①神が生贄を要求する
②旅僧や猟師がその様子を見る
③その神の敵となる犬を探し出す
④翌年の祭で神を退治
という構成を持つ。古くは『今昔物語集』などに見られる。
こうした人身御供は実際にあったのだろうか。また、なぜ人身御供の伝承が生まれたのか。それを本書は考察している。
まず著者は尾張大国霊神社の儺追祭を考察する。この祭は儺追人という役男を儀礼的に追放する一種の厄祓いの祭だが、近世の史料に人身御供と結びつける言説が見られるという。この言説はおおかた想像のようだが、人身御供とスケープゴートの類似点が興味深い。著者の目的は人身御供伝承の考察にあるので、スケープゴート論の観点からの叙述はないが、考証してみるのもおもしろそうである。
次いで東北地方の事例から神饌が獣肉→魚肉という変遷の背景を穢れ思想から考察する。肉食による触穢は獣肉→鳥肉→魚肉の順に軽く、魚肉の場合は触穢と見なさないこともあった。興味深いのは、この伝承の筆頭に人身御供があることで、時代の変遷とともに神饌が人肉→獣肉→魚肉と変遷したと語られるところである。
また、地域によっては神饌に人形の御供を饗するところがあり、そこにも人身御供伝承が見え隠れする。
人身御供が実在したか。現状、考古資料や文献資料からその存在を裏付けることはできない。そうすると、人身御供は事実ではなく、起源説話の一種と考えるのが妥当なのではないだろうか。本書では触穢思想との関連で、殺生に伴う罪悪感の軽減作用として人身御供伝承が起源説話として語られるとしている。
ただ、視野を世界に広げると、古代中国やアステカ文明のように人身御供を実際に行っていた時代・地域もある。また、儀礼的な「首狩り」を行ってきた民族もある。そうした実際の人身御供との比較検討も今後は必要かもしれない。
いろいろと示唆に富む、いい論考であった。おもしろかった。


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