読書録:戦争と法
長谷部恭男『戦争と法』(文藝春秋)
今、世界は混迷を極めている。ロシアのウクライナ侵攻は衝撃的な事件で、状況によっては第三次世界大戦を誘発しかねない出来事であった。第二次世界大戦以後、一部地域で戦争は起きていたものの、大国を巻き込んだ大規模なものは起きていなかっただけに、大国ロシアが戦争を起こしたことはショックだった。イラク戦争から約20年後の出来事である。イラク戦争では大義名分があった(実際は言いがかりだった)が、ウクライナ侵攻にはそれがない。
本書は戦争と法(主に憲法)の関係を論じた本である。我々は戦争を超法規的措置と思ってはいないだろうか。だが、日本国憲法第9条で戦争放棄がうたわれているように、戦争も法の下にある。本書の約半分は戦争の歴史に割かれている。この部分はあまり「戦争と法」というメインテーマは感じなかったが、おもしろく読めた。戦争と法の関係が全面に出てくるのは本書の後半で、朝鮮戦争やアフガン侵攻などを通して、主にアメリカの戦争と法の現状を俎上に載せている。戦争には虐殺、暴行、略奪、捕虜の虐待など、ブラックな側面がつきまとう。これらの非人道的事象と法の関係はかなりデリケートで、本書第10章で詳しく論じられ、問題提起もされている。こうした非人道的行為は戦争という非常事態を言い訳に許されて良いものだろうか。
それだけでなく、本書ではアメリカが起こす戦争それ自体に法的根拠があるか疑っている。思えば、アメリカのアフガン侵攻は911同時多発テロへの報復という大義名分があった。だが、それに続くイラク戦争は大義名分が言いがかりであり、かつアメリカが世界の代表ヅラをすることに多くの人が違和感を覚えたのではないだろうか。本書ではドローンが用いられたことで知られるウサマ・ビンラディン殺害を俎上に載せているが、アメリカの開戦には法的根拠があるが、その後のウサマ・ビンラディン殺害作戦の法的根拠の有無を問題にしている。これはパキスタンに潜伏するビンラディンを倒すためにアメリカが軍事作戦を起こしたことで、パキスタンの主権侵害になる疑いがあるという。
戦争というのは基本的に国と国の戦いであり(国内の戦いは内戦)、どこまで行ってもグレーな部分がつきまとう。今生きている人の大半は先の世界大戦を生で知らない世代である。戦争が身近に感じられなくなったからこそ、戦争というものを本気で考えてみる必要があるのではなかろうか。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784163912387
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