第56回: リテラシーの体得機会 (May.2020)

 “共生” を前提に世界が再始動した。当初、Covidiotと冷笑された振る舞いも、今後も時折り予告なく訪れるであろう日常の制約をユーモアで乗り切る術としては、正しい試みに思える。Lockdown 3.0の終了を週末に控えた火曜夜、Modi首相はいつも通り20時からの会見で “各州の状況を踏まえてこれまでとは違う形態になる” と当然の如くLockdown 4.0を宣告した。

 メッセージは “Vocal for Local"、自給型社会とでも訳そうか。この危機は医療用品を内製化する良い契機になったと言い、太陽光発電やYogaや製薬をインド発世界貢献の例に掲げて、GDPの10%・Rs.20L Cr. (30兆円) の出動を表明。経済困窮層やMSME (中小零細事業者) を支援して国土の大きさ・人の多さを “国産品の消費拡大” につなげ、脱中国が進む世界の中で “Make in India” を更に進めようとしている。

 さてここまで8週間の引き籠り生活、振り返ればさほど暇でもなかった。年度末納期の仕事を完遂させ、納品困難に陥った案件を調整し、世界情勢に一喜一憂しながら多くの邦人を見送り、我が家の “新たな生活様式” を築いたのが当初の3週間。"残燃料"と次の補給機会を気にしながら新たなネタを仕込み、年度の締めと計画をする内に迎えた "3.0" では社会が戻り始めた。子どもの宿題に付き合い30年ぶりにBasicを書き、強中薄力粉と全粒粉とイーストと重曹の働きを掌で覚え、文房具と床屋の鋏の違いも実感した。そろそろ仕事のアポも入りそうだが、対面で、とは限らない。

 リモートワークは間違いなく “ポスコロNew Norm” の筆頭だ。我が家の小学生すら続々導入されるツールを使い分け、回線不具合やエラーにも騒がず自ら対処し、どこからかネタを拾ってきては授業とも宿題とも悪ふざけともつかないチャットを一日中続けている。デジタルネイティブでなくとも、およそ誰にでも使えるようデザインされたツール類、ちょっと試せば慣れるからより便利なものを求めてどんどん増えていく。が、ふと日本を見ると率先垂範すべき者がその環境変化を受け入れ難いのか、黙殺してやり過ごしたいのか、奇妙な現場が多そうだ。

 先週、西部での事故はインド全国で報じられた。旅客列車の運休が続く中、出稼ぎ労働者20名が故郷への想いに耐えかね線路伝いに歩き始めた。夜通し40km、歩き疲れて線路を枕に仮眠していたところ、早朝の貨物列車に轢かれて16名が亡くなった。環境がどうあれ頭を高くせずには寝られなかったのか、皆で頭を並べて寝るのが同胞の証か、この悲劇、どうもリモートワークに挑む日本の姿に重なってしまう。

 旗振り役の永田町・霞が関が自ら積極的に取り入れている様子はない。日本を代表する企業も執行役員以上は毎日必ず出社し、“みんな来ないがサボってないか、どう管理したものか” と会議室で議論を重ねているという。“社長のオレが出るんだからお前らもな” という雰囲気に支配された職場も多そうだ。世界がどう変わろうとも定位置で仁王立ちを続ける以外の振る舞いを知らないのか、仲間や部下の懸念を敢えて無視して危険に巻き込む必然性はあろうか。誰もが大なり小なり躓きながら前進する中、従来通りの型にそこまで頑なになることもないではないか。

 スマホもなかった15年前、10名足らずで全米をカバーする営業部門の強化を任されたことがある。専ら移動中の電話が互いの主なコミュニケーション、メールはおろか、メモすらろくに取れない・取らない。一堂に会するのは年2回、1年以上顔を見ていない部下もいると聞き、そんな "組織" があるものかと当初は途方に暮れた。が、問題はコミュニケーションの量ではなく中身の方だと見えてくる。斜陽産業の再生企業、増員もシステム投資も叶わないが、幸いチームワークは機能していた。以来、私自身は馬上枕上厠上を問わず、チームも連絡が付く限りどこに居ても構わない働き方に馴染んできた。

 コロナ下ではリモートワーク歴の長いIT企業も、改めて価値を実感しているという。職位を問わず同列に同サイズの枠に収まるビデオ会議を "正" とすることで、一人ひとりの発言を皆が等しく聞き、読むべき空気も漂わない分、率直な議論をし易いという。小さな挑戦を重ねて新たなリテラシーを体得するには絶好の機会ではないか。

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