第26回: 何故、Bengaluruか? (Apr.2019)

 “シリコンバレーの先を行く” 当地Bengaluruは “インドの軽井沢” と紹介するのが伝わり易い。デカン高原の南端にあり標高約900メートル、歴史的にも隣市Mysuruを居城とする王様が避暑地としたことから開発された街だという。時に摂氏35度を超え20度を下回ることもあるが、基本的に気候は快適、空はいつも青い。

 今や平屋は2階、3階と積み増され、高層ビルも珍しくないが、古くから Garden Cityとも呼ばれる街の中心地には代々木公園の2倍相当のCubbon Parkや植物園がある。表参道・代官山に相当する商業・住宅エリアは一年を通じて緑のトンネルが茂り、季節ごとに南国らしい鮮やかな花をつける。地元民によれば昔は雨でも傘がいらないくらい、どこまでも緑に覆われていたらしい。

 他方、街の設計は基本的に古いまま、爆発的な交通量増加に対応できていない。新興都市の通例に漏れず空港が郊外に移され、環状道路が通され、メトロが開通してもなお、殊に朝夕は時間が読めない。たった数キロに数時間かかることも珍しくなく、戦略的に移動の時間帯と経路を設計し、“Indian stretchable time” を口実に融通を利かせない限り、1日1件か2件の訪問がせいぜいだ。

 元来、当地は防衛・航空・宇宙産業の中心地である。“JUGAAD” の好例とされるMangalyaanを生んだISRO (インド版NASA/ JAXA) がHQを置き、HAL (Hindustan Aeronautics Limited, 防衛省インド航空局) 本部前のMinsk Squareには今も戦闘機が飾られる。2008年開港の新空港Kempegowda International Airportは本年中に “南インド初の二本滑走路運用” となるそうだが、既に民間運用を中止したOld Airportも都心近くに残され、引き続き公益・軍事用途に供されている。これら高度産業を支える学術機関も多く集積し工学技術を学ぶ学生も多い。ISRO出身者がトップを務める学校や技術企業もよく見かける。詰まるところ、二足歩行で重力に縛られた人類にとって “空を飛ぶ” ことへの期待が集まった当地が、Innovationの起点・震源地として発達した、ということか。

 と考えると、当地でITが発展したのも必然だ。王様の避暑地に人が集まってCosmopolitan化し、防衛・航空・宇宙産業を支えるIntelligenceが欧米との連携を促した。比較安価で豊富に存在する優秀な頭脳が、伝統的な身分制度を超えた枠組みであるITを一大産業に育て、2000年問題の受け皿となって世界的な認知が広がった、といった感じだろう。

 直近では、トランプ政権によるH1Bビザ厳格化により次の行き先を探すNRI (印僑) が、高騰する一方の西海岸と比べてより安価で、その割に等しく快適な当地に流れた、という事情もあろう。経済性ばかりでなく、NPO/ NGO, Socialが注目される中、技術や工夫をもって解決可能な課題に溢れるインドはアイディアを実践する地、“スタートアップの道場” にも相応しい。エコシステム形成の起点には、歴史的経緯と社会的背景があったに違いない。

 日本もこれと同期して2017年に総領事館、2018年に日印スタートアップハブを設置した。“中国・ASEANのその先” を期待する日本企業に対して投資誘致・工業団地案内・会社設立や操業支援ばかりを手掛ける “Phase 2のグローバル展開” から、ガイドの役割も替わりつつある。むしろ奇抜な挑戦者が集まる土地柄、支援者の役割にもInnovationが求められる。当社も “Innovation in India !!” と謳い、産官学の連携により日本企業に新たなR&D手法を提供し、インド、ひいてはグローバルでシェアを獲れる製品開発を試みている。

 複雑で大いなる可能性を秘めた広大なインド、BengaluruはNon Veg (非菜食主義) の選択肢が多く飲酒に寛容であるばかりか、Distillery, Winery, Breweryが多くコーヒーの産地も近いのが何よりの美点に思う。現に国内各所を拠点とする日本人もこれらを目当てに出張や旅行に訪れるくらいだ。目前に迫る総選挙は注目されるが、Intellectual toughness に裏打ちされたInnovation の気風は当面揺るがないはずだ。

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