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新卒プロパーから社長就任、それからのこと その21

半生もすでに20回を経過した。
ありがたいことに喜んで読んでくれる方もいて、多くの感想も頂き嬉しかったり・・・。
今の若いメンバーが半生ブログを読んだところでどう感じるかは分からない。
ただの昔の話と思うだけかもしれない。
それはそれで仕方がない。

しかし、これも主観的にみた名大社の歴史。
違う視点で見れば全く違う会社像になるかもしれない。
過去は自分の解釈で事実も大きく変わる。

現段階で働き始め19年が経過しているが、この社会人生活は客観的に見てどうなんだろうか。
一般的なサラリーマン人生なのか、波乱に満ちた人生なのか。
今思えば良くも悪くも中小企業で多くの経験をさせてもらっているが、所詮東海圏内の話。
全国を飛び回ってとか、海外と交渉を繰り返してとかは無縁。
小さな世界であるのは間違いない。
その小さな世界でしか経験できないこともあったり・・・。

やばい、今月中にこのシリーズを終えなきゃいけないが、まだ10年以上残っている。
本来なら今回含め、あと4回。
ちょっとムリかも・・・。
月曜のアップだけでは終わりそうにない。

いかん、前置きが長くなった。

2008年のリーマンショックで業績が大きく崩れていった。
それはバブル崩壊ともネットバブル崩壊とも比べようにならな過去見たこともない落ち込み。
僕は独りぼっちで営業をする日々。
会社を辞めようと思い、人材紹介会社に登録するものの、らしい会社には出会えない。

仕事へのモチベーションも上がらない僕に叱ってくれた大切なクライアントもあった。
「役員降格中の話」というブログでも書いたが、
こういった有難い方のおかげで会社に留まることができた。
以前、「山田さんは人間性だけだね」と言われたように、
僕の存在価値はそれだけだったかもしれない。

気持ちを切り替え、みるみる売上が下がっていく会社に正面から向き合うようになった。
一方で会社はギスギスした状態。
僕の代わりに役員に昇格した後輩は部下を怒鳴りつけ罵倒し、
会社としては理想の上司だった。

蚊帳の外にいた僕は冷めた目で見ながら、黙々と自分の仕事をこなしていた。
叱られもせず、褒められもしない。
「今はやるべきをやろう」
孤独ではあったが、そんな気持ちだった。
会社を見限る社員も増え退職者は続出。
会社の雰囲気はどんどん悪くなっていった。

ちょうどこの頃からマラソンを始めた。
長距離を走ることなんて好きでも何でもなかったが、
自分と向き合い、自分と戦うにはいい材料だった。

今一つ元気のない僕を誘ってくれたのはビジネススクールの仲間。
それにより自分に向き合えるようになった。

それからのことは以前のブログに書いた通り。
「社長になるまでのこと(前編)」
「社長になるまでのこと(後編)」
2007年度から2009年度までの2年で売上は15%までに減った。
15%減ではない。
リーマンショックの年に55%まで下がり、その翌年はさらに30%まで下がった。

過去経験したことのない赤字額。
名大社のかつての栄光はどこに・・・。
大げさにいえばそんな状況。
名大社は終わったと思った関係者は多かった。

そんな時に僕は社長になった。

続く・・・。

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