下手な横の広がりは妨害でしかない

 意外なcollaborationというものは、驚きの化学反応が起きることがある。別々で活動している有名人が共演する企画は、それ自体がスゴイ!みたいな感じで興奮するものである。音楽の分野でもこのジャンルの人と全く雰囲気の違うジャンルの音楽をやっているグループの共演や合作は、新しい音楽ジャンルが生まれる瞬間を目の当たりする。

 もっと広く、芸術という大きなくくりでのコラボもよくある。昔であれば派閥争いが起こり、忌み嫌いあっていたかもしれない分野同士も、異文化理解の流れからむしろお互いを尊重しあい、力を一つに新たなイノベーションとして作品を作り上げるということが今となってはよく見る光景になった。 

 学問領域も文系、理系を明確に分けることはナンセンスだという論調も騒がれるようになった。まだまだ理解しあうにはほど遠い両領域であるが、融合分野の登場によって、総合的に学ぶことがこれからの発展には必要であると考えられるようになった。

 世の中色々な物事が互いに複雑に影響しあって、出来上がってるとはよく言ったもので、今挙げた目に見えるものだけではなく、目に見えない形で関連していることは多分に存在している

 それを知ってか知らずか、最近世の中で活発に行われている議論のなかで、突拍子もないことを引き合いに出して、あたかも自分の意見は正論であるかのように言い放っているシーンをよく見る。途切れることなく放たれる言葉の数々の中に突然、全く関係のなさそうな話題を取り上げて、自分の押し付けたい理論を正当化している。あまりにも言葉数が多く、膨大な知識量を持っているかのように印象づけて、余談ともとられかねない話を、本題と密接に関係してるかのように錯覚させて、持論を展開している人が多い。

 その発言を直接受けている人々は少し考えれば、その領域と本筋とは根本的な考え方が違うので、その理屈に違和感を覚えて議論の軌道修正を試みる。そのように議論できればまっとうな議論を続けることができる。

 ただこれは対等に議論している場合の話である。この論法を同じ思想を持つものどうしで行った場合どうだろう。この場合ある種、盲目的に話を受け入れてしまう節があるので、そういった突拍子のない話を取り上げることで、その角度で考えることができるのか!を感銘を受けることになる。そしてその論法を優れているものととらえ、その話を受けたその人が、また更に別の話でそういった発言をしていく。

 このような発言の連鎖は非常に危険であると感じる。

 優秀な人ほど例を挙げる際には気を付けていただきたい。

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