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コロナ受験生。

2020年12月2日。
他の受験生に比べて早く、第一志望校の合格を勝ち取った。

自分は広島出身、現在は京都の某大学に進学し一人暮らしをしてる大学生です。

自分は、ついこの前まで高校生でした。高校は県内で中の中といった偏差値で、別に進学校という訳ではなかったですが、多くの人が県内の大学や専門学校に進学する学校でした。

部活は割と強く、全国大会に出る部活もありました。自分もバレーボール部に所属し3年間バレーボールに打ち込んだ。1年生の時には中国大会に出場し、3年生の引退試合(事情があって自分はベンチ入りせず)では県四強入りしたこともありました。

2020年夏、とうとうやってきた受験期。

ただでさえ苦しい受験戦争に覆いかぶさるようにやってきたのが、新型コロナウイルス。

2年生の学年末試験中に突然学校が休校になり、校舎は許可がないと入れない閉鎖状態に。


これは、そんなコロナ禍に受験生だった自分が、2020年に感じたり
思ったりしたことを書き残そうと思い書きました。

18年生きてきて、特に頭を抱え考え込んだり悩むことが多かった2020年。

そのエッセイみたいな日記みたいな文章を見ていただければ幸いです。


当たり前じゃないことが、当たり前

不謹慎な話ですが、元旦の早朝、うちの祖母が脳梗塞で倒れました。

幸いにも早期の発見と通報だったため、命に別状はなく1ヶ月半ほどで退院できました。

大晦日はとても元気にみんなとすき焼きや年越しそばを食べ、翌日のおせち料理やお雑煮の準備していた祖母が、突然倒れたことに自分は悪夢を見ているのではないかと思いました。

「もし祖父が発見するのが遅かったら」「もし近くに誰もいなかったら」なんてことを考えると怖かったです。

その後、徐々に回復していった祖母は以前に比べて歩くのが多少困難になったものの、杖があれば市内の繁華街を出歩くくらい元気になりました。

その直後に新型コロナウイルスがやってきました。

1月には中国で流行している、と遠い国の話だと思っていたことが、2月には日本で、世界で流行し、TVのニュース番組は感染者の数や死亡者、関連死の数、政府や地方自治体のコロナ対策についてを毎日毎回伝えてきました。

そんなことが1ヶ月ぐらい続いた3月20日、突然TVでコメディアン・志村けんさんの訃報が流れました。
ついこの前までTVのバライティー番組に出演していた「バカ殿様」がなんの前触れもなく突然、私たちの前から消えました。

「だいじょうぶだぁ」なんて言ってまたTVにも戻っって来るのではないか、と家族と話してりしていたこともありましたが、結局、志村さんはTVから消えたままです。

祖母が突然倒れたこと、志村さんが亡くなったこと、このことから自分はずっとどこかで目を背けていた「人の死」についてすこしずつ考えるようになっていきました。

今まで、ドラマや映画のように、病院の病室、或いは自宅の寝室で、家族に見守られながら死んでいく、それが当たり前だし、自分も、自分の家族もそうなると、勝手に思っていました。

しかし、人は突然死んでしまうことがある。

そんなことを考えているときにTwitterである四コマ漫画が話題に上がりました。

TVニュースでも取り上げられ、知っている人も多いだろうが、「100日後に死ぬワニ」という作品です。

自分は、この作品について、最初は「病気か何かで100日間の余命を生き抜くワニくんの話かな」と思ってみていました。

しかし、話の内容はワニくんが過ごす何気ない日常が描かれており、その暮らしは自分たちの暮らしとどこか似ている感じでした。

最終回、Twitterのトレンドが大盛り上がりの中で投稿された話は、春の花見に遅刻しそうになっていたワニくんが、車にひかれそうになったひよこを助けたところで物語は終わった。

この作品の作者は「何があるか分からない中で、限りある時間を大切にしてほしいとのメッセージを伝えたい」と最終回のインターネット生配信で語っていました。


今もなお、新型コロナの新規感染者や感染死亡者、コロナに関連する死亡者の数がTVやWEBニュースで流れ、増え続けています。

いつ自分や家族が感染し、最悪二度と会えなくなってしまうかわからない状況が続いています。

だからこそ、自分も含めて、家族や友人との当たり前な会話や時間を見直してみませんか?

当たり前のことは、今回のコロナのように、簡単に崩れてしまいます。

当たり前だと思っていたことは、以外にもかけがえのないことだったりするかもしれません。

当たり前じゃないことが、当たり前なんだと思えるようになりたいです。


おうち時間は、案外自分探しによかった?

4月1日から6月1日までの2か月間、全国の学校が休校となりました。

あまりに突然のことではあったが、実際は不安とかより「春休みが長くなった」と呑気なことをいうヤツが大半でした。

オンライン授業や課題は学校側が準備ができておらず、実際にオンライン授業や課題について学校側から知らせがあったのは、5月の下旬で、対面授業再開まで一週間というところでした。

そんな訳で、自分たち学生はゲームやYouTubeを見たり、友達とLINEなどで電話をして話したりなど自由気ままに過ごしていました。

YouTubeやTikTokなどでは、コロナで外出できないのを利用して、様々な人が動画投稿を始めて、それがきっかけで人気になった人もいました。

なので、YouTubeなどを「第二のTV」としてみることが多くなりました。

しかし、ずっと家に缶詰になっていると、流石に今までやっていたことに飽きてきました。

そこで、気分転換に今まで見たことがなかったドラマや映画、部活で見ることができなかった小説や本(作者は本が結構好きです。)を見るようになりました。

今までは、それこそ学校に行って授業を受け、夜8時まで部活をして、帰ったらYouTubeやSNSをみて寝る、という感じで、あまり好きなことをする時間がありませんでした。

幸いにも、YouTubeやアマゾンプライムビデオをはじめとした動画配信サービスが普及したことで、様々なジャンルの作品が見れるようになり、いちいちレンタルビデオを借りにいかなくてもよくなりました。

なので、家から一歩も出ずに”新しい出会い”に出会うことができました。

今までアニメや漫画ばかり見ていた自分にとって、俳優さんが迫真の演技で演じているドラマやハリウッド映画は、自分にとって新鮮で面白かったですし、電子書籍で購入した池上彰さんの書籍や、文豪・太宰治の「人間失格」は自分にとって新たな価値観や視点を与えてくれました。


世間では、休校になって友達と会えず、不安な中過ごしている中高生がかわいそう、という風潮がありましたが、自分的には、このコロナ休校で”新しい自分”に出会えた気がします。

家に一人でいて、外界とはスマホやTVでしか繋がれない。そんな状況だからこそ、あえて外界と絶ち、一人だからこそ「あえてやったことのないことをやる」として、改めて自分自身を見つめなおし、”新しい自分”に出会えた気がします。

コロナ休校でのおうち時間は、案外自分探しによかったのだと思います。


あれ、部活ってなんのためにやってんだっけ?

学校が再開し、部活動も段階的に再開しつつあったなか、夏のインターハイが開催中止になりました。夏の甲子園、吹奏楽のコンクールなども次々に中止になりました。

自分はインターハイの県予選を引退試合に見据えて練習していた中でのニュースで、最初は驚きもしたし、悩みました。

というのも、高校のバレーボールの大会は一般的に大きく分けて4つあり、季節順に地区選手権、インターハイ予選、春の高校バレー(以後、春高)、新人戦の大会があり、3年生が出場できるのは春高までなのですが、進学を目指し受験をする3年生にとってはインターハイまでが精一杯で、春高は進路が内定している人か、全国大会に出場するような強豪校しか3年生は残れません。

だから、インターハイ予選でやめるべきなのだが、それがなくなってしまい、やるせない気持ちがあった当時は春高まで残ろうかとも思いました。

そうなると大学進学は絶望的になります。

悩みに悩んだ結果、代替試合が開催されても試合には出場せず引退する、という結果でした。

あれだけ頑張っていたのに最後の試合がなくなってかわいそう、ということを親戚の方とかによく言われたりしました。

自分自身、引退を決めてからはあまり後悔はありませんでした。

「試合がなくなっても自分が3年間やり続けたことは、今後の人生で変わることはない」と思っていたからです。

しかし、友達やほかの先生はどこか部活に触れないように気を使われたり、先ほどもあったようにどこか「かわいそうな3年生」と思われているのも感じていました。

TVでも、「コロナで機会を奪われたかわいそうな高校生」という感じで番組が放送されたり、高校生の泣いている姿しか見せなかったりしていました。

後悔なく引退した自分のどこがかわいそうなのだろう。それはあなたの感想でしょ?と思いイラつくこともありました。

また、部活のことに関連して、こんな事件が起きました。

甲子園の土を全国の高校野球部の部員に配る、というプロジェクトが行われ、その土がネットのフリーマーケットアプリで売られるという事件が起きました。

「野球で何を学んだんだ」「甲子園の土をなんだと思っているんだ」などと物議を醸しましたが、自分はこう思いました。

「みんながみんな甲子園を目指しているのか」そして「もらった甲子園の土は価値があるものなのか」ということです。

自分のバレー部もそうだが県4強になることが目標でした。それぞれの部活のチームにそれぞれの目標があります。全国制覇が目標のチームもあれば、大会で一勝することが目標のチームもあります。自分の知り合いには、みんなで楽しく部活して試合で勝てたらいいよね、という気持ちでやっているひともいました。モテたいからという理由でテニス部に入ったひともいました。

それぞれの目標に向かっていく過程では普段の学校生活では学べないことも学べますが、学べることはチームによって違うと思います。

そして最後の大会もそれぞれのチーム、個人で価値が違うと思います。

必ず勝って有終の美で終わりたい、という人もいれば、今までの部活が楽しかったから別に勝っても負けてもどっちでもいい、と思う人もいます。


みんながみんな全国大会に行きたいわけではありません。

みんながみんな甲子園の土に価値があるとは思わないでしょう。

しかし、スポーツ系の部活動には、感動的なエピソードやスポーツマンシップの鏡になるような人、を連想する人が多いです。

実際に、甲子園や春高、高校サッカーがTVで放送されたら必ずと言っていいほど感動的なシーンが放送されます。

負けたチームが悔しさに涙を流すシーンや、優勝したチームが感謝を述べたりするシーンが流れます。

でも、勝ったり、全国大会に行ったり、大会に出て結果を残すことがすべてでしょうか?

感動的なエピソードが、部活動のすべてでしょうか。

だから、引退した自分にあえて問いたいです。

あれ、部活ってなんのためにやってんだっけ?


未来の予言書、それはアニメかもしれない

2020年東京オリンピックの延期が決まり、SNSで話題になったのが「AKIRA」というアニメ映画でした。作中で2020年東京オリンピックが中止になっているという描写が、今の状況と一致しているではないか、と話題になりました。

また、宮崎駿監督の代表作「風の谷のナウシカ」も、マスクなしでは生きられないという世界観が今の状況を示唆していたのではないかと話題になりました。

しかし、自分がコロナ禍で改めて見直したいと思った作品は細田守監督の「サマーウォーズ」でした。

仕事の会議や学校の遠隔授業、遠隔地での医療診断、行政の手続きから買い物の決済まで可能となり「サマーウォーズ」に登場する”オズ”の世界観のような世界になってしまいました。

自分が小学生のころ、SNSやインターネットは調べたら何でも出てくる百科事典でもあり、学校では犯罪につながる恐ろしいものだと教えられ恐怖の対象でもありました。

しかし、今ではどこかの観光地に行ったり、友達と食事に行ったり、なにか悩みがあったりと、なんでもSNSに投稿するようになりました。

インターネットの中で有名になる人や、楽曲を発表し社会現象を巻き起こしたり、趣味で執筆していた小説が書籍化したりと、今やインターネットは多くの可能性を秘めている、ユートピアでもあります。

しかし、SNSやインターネットが普及しすぎたことにより、「サマーウォーズ」の世界が現実味を帯びてくるようになったと自分は思います。

ーーインターネットを通じて人が死ぬ。

自分が小学生の時は都市伝説や呪いの話と思われていたことが現実になってしまいました。

SNSの誹謗中傷によって木村花さんが亡くなったことです。

この事件以前からインターネットの誹謗中傷は問題視されていましたが、この事件がきっかけで多くの人がこの問題に向き合うようになったと思います。

しかし、心のどころかで「自分には関係のないこと」と思っていませんか。

顔を隠し、人によっては偽名で活動するSNSで気軽に思ったことをつぶやける世の中。

いつの間にか、被害者にも加害者にもなりうるかもしれません。


サマーウォーズの作中で主人公がこんなことを敵キャラにむかって言います。

「ネットの中だからって何でもやっていいと思ったら、大間違いだ!」

自分たちにとって気軽に、そして身近になりすぎてきているSNSやインターネット。

日本にあるアニメ作品は今の私たちに警告を向けているのかもしれない。

これからの未来の預言書はアニメかもしれません。


今は戦時中、敵は見えないウイルスなんじゃけん

8月6日、75回目の原爆の日を迎えました。

自分の祖父母は父型も母型も両方戦争体験者で、父型の祖父母は小学生の時に広島の郊外でキノコ雲を見たことがあり、祖父の兄は徴兵の訓練中に原爆で亡くしている。

母型の祖父に至っては高校生ぐらいの歳に市内に働きに出ているときに被爆した。なので、自分は被爆三世になります。

夏休みになると必ずと言っていいほど、祖父たちは自身の戦争体験を語ってくれる。

父型の祖父は、兄が軍服を着て立派に家を出ていき、帰ってきたときには金歯と死亡証明書だけになっていたこと。

母型の祖父は、原爆が投下し地獄と化した広島のまちの姿、何日も何日も帰りを待ってくれる家族のために傷だらけの体で30キロ離れた家まで帰ったこと。

自分と同じくらいの年齢の人が兵隊として何万人も死んでいったこと、育てたお米は国にとられお芋しか食べれなかったこと。

今となっては考えられないような光景が、75年前は広がっていた。

そして、ある意味今の世の中も、考えられなかった光景が広がっている。


父型の祖母がコロナのニュースで自由が制限されている、と報道されたとき、こんなことを言った。

「こんなの戦争に比べたら屁でもない。戦争の時は全部我慢せんにゃいけんかったんじゃけ。今は戦時中と同じ。敵が見えんだけで」

ある意味、今の時代は”見えない敵”との戦時中なのかもしれないですね。


スマホは悪影響?いいえ、最強の武器です

夏休みが終わり、いよいよ本格的に受験シーズンに入っていきました。

自分も夏休みの間に個別指導の塾に通いはじめ、受験対策に追われる日々でした。

参考書や問題集、赤本を大量に買い放課後も遅くまで学校に残り勉強をしていましたが、自分が勉強している上で最も役に立ったのが、スマートフォンでした。

先ほどインターネットやSNSについて短所を多く語りましたが、ここからはスマホの長所を語っていきます。

様々なところでスマホは学習には悪影響である、と言われているが、それは使い方次第です。

というのも自分は、スマホのアプリで暇な時間に一問一答や単語を確認したり、参考書でよくわからないところは映像授業を見て確認をしていました。

スマホのアプリは無料のものが多かったですし、いちいち単語帳や単語カードを作る必要もなく、また先生が忙しくわからないとこがあっても教えてもらえない時でも、映像授業を見ればわかってしまうこともありました。

また、SNSで同じ大学を受験する高校生の今のつぶやきや、先輩の受験対策のアドバイスも知ることが出来ました。

自分は県外の大学に進学するために勉強していました。県内の大学や専門学校に進学する人が8割の学校で少し肩身の狭い思いをしていました。

また、進学する人のほとんどがすでに10月に内定が決まっており、中には夏休み前に指定校推薦が決まっていた人もいます。

そんな中で同じ大学を目指す人や受験で頑張っている人に出会えるのはSNSのみでした。

SNSやスマホは勉強や学生にはあまりよくない、というような意見が多く言われたりしています。

実際にスマホには“便利さ“という快楽が潜んでいます。利用者の中にはスマホがないと安心しない、スマホ依存症という病気もあります。

でも、使い方さえ間違わなければ、スマホは勉強や学生にとって最高の武器になるのではないのでしょうか。

自分が中学生の時に、スマホマナー講座で講師の先生がこんなことを言っていました。

「スマホは鋭い包丁と一緒です。なんでも切ることが出来てとても便利ですが、一歩使い方を間違えると自分や人を傷つけ、最悪人を殺してしまう。だからこそ、間違った使い方をしないために正しい使い方を知らないといけない。だからこそ、私たちが来て教えてるんです。」


今、オンライン授業やIT教育がコロナにより一気に普及し、学校によっては一人一台タブレットPCを持つ、ということもあります。(うちの高校も自分が卒業後、一年生が一人一台タブレットPCを買うようになりました)

教科書や資料集といった分厚く重たい本類がデータ化することでタブレット1つになることで荷物の負担が減り、課題や学校からのプリントもデータ化すれば、なくすことも家に忘れることもなくなります。

現在、自分は大学での講義のノートや資料はほとんどiPadでまとめています。教授に勧められる参考著書も電子書籍で見ています。iPadさえ持っていけばノートも資料も課題のレポートも、すべてが解決するようになって大変便利ですし、狭い一人暮らしの部屋でそういった紙媒体の管理をしなくていいのは助かります。

しかし、先ほども言った「正しい使い方」を知っている人やそれを教える先生が少ないことが現実です。自分も正しくスマホやインターネットが扱えているかは微妙なところです。

これからそういったIT教育やスマホの使い方のガイドラインのようなものが整い、教えることのできる先生が現れるようになり、“正しい使い方“でスマホやインターネットを使えるようになれば、スマホは悪影響というより勉強や学生にとって最強の武器になるのではないでしょうか。


賛否のGoTo、自分は助けてもらいました

10月下旬、いよいよ入試本番の時期がやってきました。

試験は京都の大学で行われたため、コロナの第三波の前兆があったものの、感染対策をして京都に向かいました。

最初の試験は第二波が収まりだした10月下旬だったため観光客や外出者は少なく、新幹線もホテルも、合格祈願で訪れた北野天満宮もガラガラでした。

GoToトラベルキャンペーンがちょうど始まり、ホテル代が本来一泊1万5千円のところがコロナで1万円安くなっており、さらにGoToで半額になり、クーポン券もあわせて実質2千円で泊まることが出来た。

本来は、紅葉でにぎわう秋の京都で、ホテルをとることも困難な時期にこれほど安く泊まれたのは驚きでした。

ただ、1回目の試験(推薦入試)は落ちてしまったので2回目の試験(公募試験)に行かなくてはならず、11月中旬にもう一度京都に向かいました。

しかし、この時は前回とは違いGoToトラベルが普及し多くの観光客が京都に訪れ、街もホテルも人だかりができていました。

ホテル代も前回より値段も上がっていましたし、宿泊客も前回より格段に増えていました。

受験が終わり、せっかく京都に来たんだからという訳で帰る2時間ほど前に自分は伏見稲荷大社に行きました。そこで目にしたのは緊急事態宣言解除後すぐでありながら、考えられないくらいの人とその半数以上の人がマスクをしていない、という光景でした。


今では考えられない光景ですが、当時は「コロナは1年で終息する」とどこかで思っていたかもしれません。

でも、この政策がなければ、この第3波、第4波はここまで多くの感染者が出たでしょうか。

少なくとも、自分は受験の費用が安く済んで助かりました。


だって人は、人生の受験生だから

12月、大学に合格し、受験勉強から解放され自由にできる時間が増えた。

最初は部活にコーチとして出たり、友達の家に遊びに行ったり、母型の祖父の家に挨拶行ったり(去年は父型の祖母が倒れて行けず。ちなみに県内)としていたが、再び第3波が訪れ家にいることが再び多くなった。

そんななか、TVやインターネットを見ていると香港や中国ウイグル自治区の問題、ミャンマーのクーデターの映像が流れてきた。

また、欧米における黒人やアジア人の差別問題、LGBTQ、女性蔑視や「老害」といった差別発言など、自分が意図していなくても情報が入ってきます。

そしてその原因や状況も、同じように意図してなくても入ってきます。

自分はよく芸人で現在はYouTuberとして活躍しているオリエンタルラジオの中田敦彦さんのYouTube大学を見ています。(https://www.youtube.com/channel/UCFo4kqllbcQ4nV83WCyraiw)

もともと文学作品を多く取り上げていたり歴史を取り上げていたことが多かったので、高校の定期試験の対策で見ることが多く、そこから興味のあるコンテンツを見るようになっていきました。

そのことからYouTubeの「あなたのおすすめ」にYouTube大学関連の動画が流れてくることがあります。そこで、香港、中国、ミャンマーの歴史、LGBTQについて動画で学び、いまの問題はなぜ起こっているのか、日本とどうつながっているのか、今自分たちにできることは何か、理解を深めていこうと思いました。


大学生になり、いままで答えが1つだったものが複数になったり、自分で求めないといけなくなってきます。

でも、大学だけでなく、今の社会問題も答えは見つかっていないものがほとんどです。

今自分たちが苦しんでいる新型コロナウイルスもそうです。

ただ主張する、だた無知でいる、ただ目を背けているだけでは、情報が多く詰まっているスマホやインターネットのデバイスは無駄だと思います。

もちろん、面白いYouTubeやTikTok、おいしそうな料理のインスタ、バカげているTwitterの投稿も見て損はないと思う。むしろ、そっちの方に利用する方が楽しいです。

ただ、興味がわいたとき、あなたのおすすめ、タイムラインに出たとき、ふいに調べたくなった時でいいです。いまの社会に目を向けて学んでみてはどうでしょうか。

そして、社会という問題用紙にあなたの考えや主張を思いっきり書いてみてはいかがでしょうか。

だって人は、常に人生の受験生なのだから。

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