農家になったわけ①

農薬メーカーでの仕事②からの続きです。

農家になりたいと思って農薬メーカーを辞めたわけではありませんでした。
結果的に農家になってたという言い方の方が本当は正しいです。

農薬メーカーでの仕事はそこそこ楽しく、そこそこお給料ももらえてました。
大企業ほどではありませんでしたが、一人暮らしをする分には全然困らないくらいでした。
結婚するまでは年に何回もライブに行ってましたし、なんなら奥さんとはライブ会場で知り合いました。

きっかけはいくつかありました。
①市場規模が小さくなっていることを肌身で感じることになった
静岡県の営業担当になったときは、茶価がどんどん下がっていっているときでした。
静岡県の主産業であるお茶の畑は年々500haくらい減っていき、お茶にかける経費もどんどん減り、すなわち農薬の売上もどんどん減っていました。静岡県担当を拝命する5年前の入社当時からは売上金額がほぼ半分となっており、こんな状況で受け持つのは嫌だと異動の内示の際に上司に言いました。
異動後に現場を回ると市場規模の縮小を如実に体感することになり、こんな環境下で売上を伸ばすのは大変過ぎるだろと強く思いました。
日本全国で見ても市場規模は縮小していってました。現在も変わりませんが、農業従事者と耕作面積は減り、国は減農薬や有機栽培を推奨している状況です。
大規模農家に農地が集約されていくので、農業従事者の減少に対して耕作面積の減少は多少はゆるやかですが、農薬購入者が減るということは営業の競走が激しくなるということなので、しんどくなる未来しかありません。また昨今の農協離れという言葉から分かるのですが、農薬購入に際して特に系統流通はシェアが下がっており、それは系統流通のみで商売をしている自社がいかに厳しい環境に突っ込もうとしているかを数字で表していました。
改めて文章にして、マジで絶望的だと思いました。

②仕事がより大変になった
環境が市場規模縮小なので、もちろん仕事は大変でした。大変というのは労働対効果(売上)が低いという意味です。
ですが会社という組織は市場規模縮小を理由に売上が下がることはしょうがないとしてくれません。
伸ばす、最低でも維持、と指示してくるわけです。
上手くいかなければ報告を求められ、「報告様式は何種類あんねん、多すぎ」とよく思いました。
もちろん普通に外回りはするので、帰ってからこういう事務仕事をして、寝るのは日付が変わる頃というのがざらでした。

③みんな体調が悪くなってきた
営業なので車に乗って移動するわけですが、腰が痛くてたまりませんでした。5,000km/月くらい乗ることも珍しくなかったので、かなり辛かったです。
また直接お客様からクレームがあったり、会社のミスを謝りにいったりという仕事もありました。クレームを抱えているときはまぶたが痙攣してたり、胃が痛くなったりと、結構辛かったです。
自分だけならまだしも社内の他の人も体調の変異がみられました。自分の上司もストレスからか顔がニキビだらけになっていったり、他部署の管理職の人が胃潰瘍になっただの、睡眠薬を飲まないと寝れないだの、そういった話まで聞こえてくる始末。
うちの会社終わりかけてるな、と素直に思いました。

④会社の体制が変わった
社長が変わりました。会社あるあるなんですが、社長は親会社からの出向者で、3~5年で変わってしまいます。
社長が変わるということは方針が変わるということで、これは自分にとっては非常に嫌なことでした。
具体的に言うと、「入社当時の社長は流通の言うことは気にするな。エンドユーザーの声を聞け」という方針、辞めたときの社長は「流通と協力してお客様に向き合え」という方針でした。
前者は自分好みだったのですが、後者は納得感が得られませんでした。そして会社の方針がコロコロ変わることに強い違和感を覚えました。

こんな状況でしたが、当時は必死で仕事をしてまして、少しずつですが売上を伸ばしていました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?