「書くこと」が嫌になってしまう時もあったけど、100日間noteを続けてみた。
今日の投稿で、100日目をGETした。
正確に表現すると、書くことが「嫌」ではなく「書きたいけど書けない」という表現が合っていると思う。
とりあえず「毎日書いてみよう」と意気込んでチャレンジをして、続けられたことは嬉しく思う。
けれども、毎日満足のいく内容を投稿できたかと言われると疑問が残る。いや疑問しか残らない。
つぶやき機能でどうにか誤魔化した日も多々あった。(noteさん、それでも継続と判断してくれてありがとう)
なぜそんなことになってしまうのか。
いくつか理由がある。
心が疲弊している時があるのだ。
100日間生きていると、どこか疲れている時がある。「な、何も、考えたくなぁぁぁいいいい」と感情が爆発している日があるのだ。
そのような時は、文章を考えるための頭が回らないため、筆が進まない。
納得のいかない文章を書いてしまっては、気持ちは文豪になったていで、原稿用紙を丸めて投げ捨てている(紙に書くことは無くてスマホで打ち込んでいるだけだが)
その度に「満足いかない文章なら投稿しなくていいのでは?」と思っていたが、ある程度連続で掲げていると「ここで切るのは勿体無いかもしれない」と思ってなんやかんや続けていくことになる。
さらに、もう一つの理由として「書いたところで誰も読んでくれないのなら、投稿しても意味が無いのでは?」と思ってしまうことだ。
そんなことを考え始めると、書く気が失せてしまう。
しかし、これは早々に考えなくなった。なぜなら反応してくれる人がいるからだ。
拙い、しょーもない、どうでもよい、僕の文章でも、読んでくれる人がいる。
スキやコメントをくれる人がいる。
フォローしてくれる人がいる。
投稿を続けることで見てくれる人の数が格段に増えた。反応してくれる人が格段に増えた。
それだけで僕は嬉しいし、続けた甲斐があったなとしみじみとしてしまう(この文章は真顔で打ち込んでいるが)
結果、継続して100日までたどり着いたのだ。
他にも続けるために色々としたのだが、周りのみんなに支えられたことが1番大きい。繋がってくれた人がいることが1番大きい。
今ここで、感謝を伝えたい。
精一杯頭を地面に擦り付けてお礼を述べている。
そして、両手を重ねてすりすりと動かしながら「どうか今後も1つ、よろしくお願いしやすよ」と記事をこれからも読んでほしい旨を伝えている。
僕はこれから先も、できる限り投稿を続けていく。
皆さんから力をもらいながら。
そして皆さんに力を与えられるように。
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