お笑いは人を不快にさせてもいい
どうも、センサールマンの山﨑仕事人(白いTシャツは着るのが怖い)です。
あえて言おう!!
お笑いは人を不快にさせてもいい!!
と!!
よくお笑い番組やネタに対して「不快だった」という論法で批判する人がいますが、だからなんだ?って思います。
不快になったかどうかなんてのは受け取り側の感性に左右され過ぎるもので、それを元に批判するなんてどうかしてるでしょう。
法を犯すものや差別的なものであったり、もしくは直接なにかしら被害があったりするのであれば別ですが、ただ単に不快なだけであれば誰かがどうこう言えることじゃないはずです。
もちろん「不快だった」という意思表示をするのは自由ですが、芸人や番組に攻撃をしたり、ましてや辞めさせようとするのは意味が分かりません。
繰り返しますが不快になったかどうかなんてものは受け取り側の感性次第です。
デートを題材にした漫才に対して「昨日彼女にフラれたから」という理由で不快に感じる人だっているかもしれません。
学校を題材にしたコントに対して「学生時代にイジメられていたから」という理由で不快に感じる人だっているかもしれません。
今めちゃくちゃ不幸のどん底にいる人は芸人がふざけている姿を見るだけでも不快に感じるかもしれません。
笑いに限らずですが、100人中1人だけが不快に感じるものを排除してたらキリがないでしょう。
それは極論だ!多くの人が不快になるものがいけないんだ!と言う人もいるかもしれませんが、じゃあ100人中何人までなら不快にさせてもいいんですか?
10人ですか?
50人ですか?
90人ですか?
そもそもその人数はどう数えるんですか?
て言うか「不快なものはダメ」という考え方なのに「少人数なら不快になってもいい」って凄い下品ですね。
所詮「自分が不快になるものはダメ」という自己中でしかないんでしょう?
そうでしょう?
自分の不快を押し付ける人は他人の不快も受け入れるんですかね。
ちなみに僕は不快を理由に他者を攻撃する人が不快です。
さて、どうしてくれます?
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