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好きなことの理由を深掘れ

2021年になったので

思考の整理をしてみていた。

時代の空気感としては「好きなことをして生きていこう」という風潮が続いてますよね。

ぼくも昔からこの主義。

これは真実に違いないはず。

もちろんそれは

「食っていく」=「生きていく」

とすると、甘くないのが現実なのも重々承知。

それでも


日常の過程の中に

好きな瞬間があったり、自分のことが好きでいられる機会があったりすることも含めると


「好きなこと」に身を置けている。
今どきの「生きる」をやれている。


と自覚してよし

と定義しやってきたつもり。


いまそれを

少し改めたくなっている…


なぜなら


コロナで「我慢」の許容量を超えた!?


ふたたび緊急事態宣言という昨今、

もう、約まる一年 with コロナ という生活の中、

諦めること、我慢することが当たり前みたいになっているけれど、


いい加減、限界だよ…


という感情に勝てない自分がいる。


仕事は負担も難易度も負荷も上がり、給料は減るのに時間はより奪われている。。

周囲の人も負のオーラを発する頻度が増えたようで精神的にも窮屈に。。

不安や不満にいつ終止符が打てるのか、先が見えないという現実が逆に際立っている。。


こうなってくるとさすがにぼくも

好きなことをやっていると自覚できる瞬間も、今の自分好きだなぁって浸る瞬間も

よりいっそう刹那的で気休めのような効能

としてでしか実感できなくなっている。



「好き」を深化させる


「好き」がモチベーションになりきらない現実。


さて、どうしたものか。


大事なのはこういうことかもしれない。


感覚的だったり自己暗示的だった「好き」にちゃんと理由があるならば、きちんと言語化すること


我慢や苦悩をいつもより多く強いられる日常なので、浅い動機の「好き」は、そこに触れられているという実感に気付かなくなる。

ならば、この我慢や苦悩さえも「好き」なことの一部ではないのか?ともういちど向き合える引き金が必要になってくるわけです。

「好き」な理由を明確に言語化できていれば、今の我慢や苦悩の「意味」や「報い」に前向きな解釈ができます。


それがなぜ好きか? なんでそういう自分が好きなのか?


ぼくは誰かの「前向きになるキッカケづくり」が好きです。

その手段に課題解決があり

その課題解決のために技術や能力を磨いてきたしいまも鍛錬している。


ぼくの働きかけによって誰かが笑顔になったり意欲的になったり、新たな行動を起こしたと聞くとめちゃくちゃうれしく、そんな瞬間に立ち会えた自分を誇らしく思うこともあります。


でも、

「誰か」ってもっとつっこむとどんな相手?
「前向き」ってどんな悩みがどういう風に晴れるさま?

ここを曖昧な直感的な達成感のままでは、生きる意欲はもちこたえられなくなってきているという危機感があるのです。


行き当たりばったりの相手や、雰囲気の貢献感のままだと「好き」というモチベーションに濃淡が出てしまう。

だからいまいちど、整理をしてみました。


すると、だいたいみんなそうかもしれないけど


今の自分と同じような境遇の人こそ前向きにしたいと思わないだろうか。


結局ね つきつめたら


「誰かを元気にする  勇気づけることが、自分が元気になり勇気をもてるようになる1番の方法なんだ」


ということです。

だから、自分と似た境遇の人を前向きにさせるキッカケづくりが、いちばん「好き」をキープできるし意欲的でいられるんだと僕の場合は腹落ちさせることができました。そういうことができている自分のことを好きでいられると自信をもって言えると。


最後に

もちろん自分と異なる境遇の相手にも本気で向き合い動機付けするし、それ自体も大好きだし、仕事でもこの機会は多い。

それでも「好きなことやれてる実感」を鮮明に感じ続けるのが困難な世の中になってしまっているとあらためて新年そうそう、慎重になってみたのです。

でもここで負けたくない。だからこそ改めて


何故好きか、どう好きか、何が好きか


この点を言語化することで、

いまを生き抜く充実感を維持できると

そう信じて明日もまた

「好き」を謳歌しよう。

意識して好きなことやれてるんだと実感しにいこう(取りにいこう)と思います。

2021年、どうかみんなが充実感を得て生き抜ける年になりますように。

(ブログで自己分析について書いているのでこの記事ともとても親和性の高い重要な視点だと今でも考えています。いや今だからこそかもしれない。お時間ある方はぜひ目を通してみてください。↓)


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