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サイクリングとポタリング

車輪はB.C.3千年期、人類最古の文明の一つであるメソポタミア文明が起こるとともに発明されたと言われています。
食糧以外には資源のないメソポタミアでは、それまで遠方から物資を運び込むために丸太のコロを使っていましたが、ある時天才的なイノベーターが現れて、丸太を薄く切り中心に芯棒を取り付けた車輪の荷車を考え出し、人類初の文明の礎を築きました。
その後B.C.17世紀にはアジア系のヒクソス人が馬に車輪を引かせる戦車を作り出しエジプト文明を蹂躙、B.C.3世紀には秦の始皇帝が戦車を使って中原諸国を統一、同じ頃ユーラシアの反対側では、ローマ帝国が馬車や戦車を走らせるために全長29万kmにも及ぶローマ街道を整備し始めていました。
このように車輪はまさに人類にとって「文明」とその発展の象徴とも言える発明品だったのです。

古代から使われていた馬車や戦車は、2つの車輪を横に並べて芯棒でつなげたものでしたが、時代も下った19世紀のドイツ・バーデン地方で、カール・フリードリヒ・クリスティアーン・ルートヴィヒ・フォン・ドライス男爵が、2つの車輪を前後に並べるという画期的なアイデアを思いつきました。
1815年インドネシア・タンボラ火山大噴火の影響で世界的な異常低温気象が起こり、作物が不作となって馬が大量に餓死したため、馬のいらない馬車として人力で動かす乗り物を工夫したのです。
ドライス男爵はこの二本足で地面を蹴って走る車輪付きの乗り物にまたがって駅馬車と競争してみせ、50kmの距離を駅馬車の4分の1の4時間という短時間で走り抜けて、史上初の二輪車レースに完勝しました。
男爵はこの発明品を「ドライジーネdraisine」と名づけ、1817年にバーデンとパリで特許を取っています。

19世紀を通じて、人力二輪車は進化し続けました。
1839年にはスコットランドの鍛冶屋カークパトリック・マクミランによって、地面を蹴らずに走ることができるペダル駆動式の二輪ベロシペードvelocipedeが考案されました。
1879年にはイギリスのヘンリー・ジョン・ローソンによって、チェーン式の駆動装置が取り付けられてビシクレットbicycletteと名付けられ、英語のbicycleの元となりました。
1885年にはスコットランドのジョン・ケンプ・スターレーが、ダイヤモンド型フレームを持つ「ローバー安全型自転車」の販売を開始し、以後これが自転車の基本形となりました。
1888年には世界的タイヤメーカーの創設者ジョン・ボイド・ダンロップが、空気入りのタイヤを実用化させ、乗り心地の良さと走行スピードを大幅に向上させました。
1896年にはペダルの回転を止めても車輪が回り続ける「フリーホイール」機構が開発され、現在に至る自転車の基本的仕組みが完成しました。

自転車はあらゆる地上の移動手段の中で、最もエネルギー効率の良いモビリティです。
重量1gあたり1km移動するために必要とするエネルギーは、牛が0.9カロリー、馬が0.7カロリー、ヒトが0.75カロリー、自動車が0.8カロリー、旅客機が0.6カロリーなのに比べ、自転車は0.15カロリーと、ダントツの高燃費を誇っています。
数百万年前に直立し、二足歩行を開始した人類の、移動に対する省エネルギー志向が行き着くところまで行き着いた、究極のゴールが自転車というビークルなのです。

自転車に乗って移動したり楽しんだりすることをサイクリングと言いますが、その運動効果や健康効果はランニングやウォーキングに比べても、勝りはしても劣ることはないものです。
サイクリングはランニングやスイミングなどと並ぶ有酸素運動の代表選手ですが、からだに過度の負担をかけないため、一回あたりのエクササイズを長時間続けられ、スタミナや体力アップには最適な運動です。
またサイクリングでは、大腿四頭筋など太腿の筋肉が集中的に使われるため、ロコモティブ機能を高める効果があります。
さらに身体活動の強度を示すMETs=Medical Evangelism Training & Strategiesの値が、一般的なサイクリングでは8.0 METsと一般的なランニング7.0METsやウォーキング3.5METsよりも高く、その分運動によるカロリー消費も多くなります。
そして何よりも、ランニングが膝や腰などの関節に負荷をかけすぎて痛めやすいのに比べ、サイクリングには怪我の心配が少ないという利点があります。

サイクリングのメリットは肉体的なものに限られず、精神的にも多大な貢献をもたらしてくれます。
自然の中を自転車で風を切って走る爽快感は、あらゆるアクティビティの中でもピカイチといえるでしょう。
自転車に乗って走っていると、副交感神経が刺激されて睡眠の質が向上するほか、幸福感やモチベーションを高めるセロトニンやドーパミンが脳内に大量に分泌されて、リラックスや脱ストレス、直観力や集中力アップといった精神的効果がもたらされます。
うつ病やパニック障害、社会不安障害、統合失調症、双極性障害などの精神疾患の治療にも、サイクリングが有効であるとされ、世界各国で自転車を使ったケアプログラムが実践されています。

自転車発祥の地であるヨーロッパでは、ロードレースやツーリング、ヒルクライムやトレイルライドなど、さまざまなサイクリングの楽しみ方があり、それぞれに特化した専用のバイクが売られていますが、一番手軽でどんな種類のバイクでも可能な乗り方がポタリングです。
ポタリングpotteringとはイギリス語で「ぶらぶらすること」。
自転車でぶらぶら走ることだけに限らず、ぶらぶら散歩することや、カヌーやヨットでのんびり楽しむことなどについても使われる言葉です。
自転車でポタリングするということは、要するにその辺りを走り回ることで、決まりごとにとらわれることのない自由な乗り方を楽しむことなのです。
道みちの途中で見つけたカフェに寄り道しても、目にした看板に釣られて映画館に飛び込んでも、誰からも文句を言われることはありません。

数百万年にわたって続けられてきたヒトの地球上でのぶらぶら歩きは、車輪というテクノロジーを得て、そのエネルギー効率とスピード、行動可能範囲を大きく進化させました。
この高度なテクノロジーは、自然環境を侵害せず、一人ひとりの感覚を広げ鋭敏にしてくれます。
頬を切る風の感触に包まれ、樹々や花々の彩を眺め、鳥の囀りや波風の音色を聴いて多様な自然の変化を楽しみながら、自分自身のからだやこころの働きを整え、街の人々とのふれあいも得られる、ポタリングというハイテク散歩を楽しんでみてはいかがでしょう。

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