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前もって準備され、可能性が培われていた“魔法”。ブローデル『物質文明・経済・資本主義』を読む(11)

ブローデル『物質文明・経済・資本主義』の読書会第11回のメモ。今回から第1巻の第2分冊に。第5章「技術の伝播」のうちのエネルギー源を中心に読みます。

しかし、この『物質文明・経済・資本主義』全6巻はすべて品切れ。翻訳は再刊が難しいと思いますが、こういった古典的な名著はできれば継続的に刊行してほしいなと願ってます。

第2分冊の前半は、技術に焦点が当てられている。今回のところも示唆に富む。

摘 読。

inventionとinnovation(私に題を附す)
すべては技術である。これは、人間が外界に対しておこなう努力であり、蓄積した知の果実である。この技術の幅広さは歴史の幅の広さのものであるがゆえに、歴史と同じく緩慢かつ曖昧なものとならざるを得ない。しかも、その動きは多種多様な行動と多種多様な逆戻りと、多種多様な「歯車仕掛けの連鎖運動」とからなる。したがって、一筋の線型の歴史ではない。いかなる発明も、ドアをノックしてから実生活に導き入れられるまでには、何年も、何世紀も待たなくてはならない。発明がなされたずっとあとに、社会の受容力が所用の程度に達したところで応用がなされる。この意味において、技術とは、ある場合には、すでに可能事となっていながら、とりわけ経済的・社会的理由により、そのうえ心理的理由も働いて、人類がまだそこまで到達できず、完全に利用するには至らなかったものである。それはまた、あるときには天井の役をしてもいた。つまり、人類の努力が物質的・技術的に突き当たった限界である。後者の場合、ある日天井が突き破られ、この技術的突破がその後の勢いづいた加速の出発点となる。ただ、19世紀以前にはこういった加速が内的発展から生じることはなかったのである。

鍵となる問題としてのエネルギー源
人 力:15世紀から18世紀にかけて、人間が利用できたエネルギーは人力、家畜の力、風・流水・薪・木炭・石炭であった。これらは、まことに貧弱なものであった。人力は、原動力としては取るに足りないものである。ただ、道具を用いることができ、かつきわめて柔軟であるところにその特質がある。ただ、ここには一つの陥穽がある。それは、人力が度を越えて他のエネルギー源をしのぐのは得に見えても、まやかしの利益だったという点である。人間に一定の価値を認めない限り、進歩はない。人間が一定の原価を有するエネルギー源である場合には、その手助けをしたり、あるいはむしろその代わりを勤めたりするものを探さなければならないのだ。

家 畜:人力の代わりとしての役を担ったのは家畜である。ただ、その配分にはムラがあった。ここではブローデルが目を向けている馬に焦点を当てよう(他の家畜も興味深いのだが、文字数を抑えるために省略する)。

ヨーロッパには馬が古くから住み着いていたために、馬具などの進展も緩やかではあったが、徐々に仕上げられていった。といっても、ローマ時代の馬具が改良され、まさに馬力を活かすことができるようになったのは12世紀になってからのことである。これによって、耕作や輸送に馬の力が飛躍的に活用されることになった。これは、人口が増進し、重い犂が普及し、北方で三圃制が広まり、収穫率が増大した時期と重なっている。

ただ、ヨーロッパでは騎馬民族の世界と向き合っていながら、なかなか自前の馬資源を発達させることができずにいた。17世紀になってようやく北アフリカとの通商が容易になり、北アフリカのバルバリア馬がフランスに数多く入ってくるようになった。イギリスやフランス、ドイツでは、さらに輸入したアラビア馬でもって純血種の馬の飼育を試みるようにもなった。こういった馬の量産が、騎兵隊や軍の補給兵站のための挽馬、さらには農業に従事する馬の増加へとつながった。こういった日常生活、とりわけ都市生活への馬の参入は18世紀に顕著なものとなった。1789年ごろ、パリには21,000頭の馬がいたという。ここまで都市生活に馬が深く入り込んでいると、当然ながら都市には厩舎や餌のための倉庫などが立ち並ぶことになる。ロンドンでも似たような光景がみられた。

水力と風力:さて、ここからは自然資源によるエネルギーである。11世紀から13世紀にかけて、ヨーロッパでは水力を利用した第一次機械革命を経験した。といっても、その当時の初歩的原動機はまことに貧相なものであった。しかし、エネルギー供給量の少ない経済においては、相当の余剰原動力となった。水車が発明されたことで、歯車の運動伝達装置が利用されるようになった。そして、水車が普及していくことで、河川の流れに沿って工業都市が生まれていった。水車より遅く生まれたのが風車である。これはイランあたりから生まれたものであるようだが、ヨーロッパではとりわけオランダでの水の汲み上げと排水に大きな力を発揮した。いずれにしても、こういった原動機の生成はいくつかの道具へと運動を伝達できるという発見をもたらした。

木材と石炭:ヨーロッパにおいて、木材はひじょうに重要な燃料源であった。ヨーロッパは、とりわけ森林資源に恵まれていた。暖房のため、家を建てるため、その他諸々、森林は用途の別なく人の役に立っている。軍備にも用いられた。森林は、経済に組み込まれることで、その価値が認識されたのである。ただ、それだけに浪費も激しかった。資源が豊かな国でさえ、木材は徐々に減っていった。にもかかわらず、それを節約しようとする動きは起きなかったらしい。18世紀末に至っても、パリでは石炭はほとんど用いられず、もっぱら木炭や薪であった。18世紀初頭になってルール地方でようやくその役割が認識されるようになったくらいである。石炭を知らなかったわけではない。にもかかわらず、精錬技術が進展しなかったこともあって、19世紀になるまでは主たる地位を占めるには至らなかった。

私 見(ブローデルのまとめに寄せつつ)。

このように見てくると、技術そのものや資源そのものは古くから知られていたとしても、それが広く用いられるようになることと直ちに合致するわけではないことがわかる。さまざまな新機軸は打ち出されていた。しかし、それらを使いこなせるようになるには、剰余エネルギーが不足していた。ヨーロッパの場合、蒸気が登場することで、すべてのはたらきが加速されることになった。そのためのさまざまな技術やエネルギー源は、前もって準備され、可能性が培われていた。その意味で、緩やかな上り坂としての進化が長い期間にわたって続き、ついで革命的な加速が生じたわけである。この2つは結びついた運動なのである。

上のパラグラフは、今回の範囲の結論としてブローデルが述べていることを摘出したものである。冒頭にも記したが、今回の範囲はある意味でinventionとinnovationとの歴史的な運動を捉えていくという視座が明確に打ち出されている節である。そして、ブローデルの視座は技術とその普及だけにとどまらない。

当時は領主経済であったが、まさに領主が水車小屋を建てることで自給自足が可能な基礎単位を形成しようとした。ただ、現実はそれにとどまらず、交換経済を通じて商品の集散がおこなわれるようになる。これは都市の形成を促し、経済の多種多様な要求をもたらし、結果として新たな水車小屋が建てられるにいたった(33頁下段)。

これは技術を通じた物質生活の基盤拡張が、結果として交換としての経済の拡張・発展をもたらし、さらに技術への投資が重ねられていくことを指摘した言説として興味深い。

さらに、人間と木材(森林)に関して、「価値を認める」ということと「経済への組み込み」ということの関連が指摘されているのも注目したい。エネルギー源としての人間という存在を見るときに、そこに価値があるという認識が生まれることで、そのエネルギーを引き出すための原価が生じるという視座は、じつはきわめて重要な点である。というのも、「人間は商品ではない」と高唱するのはまことにもってたやすいことだが、人間が発揮するエネルギー ――ここではもっぱらエネルギーという側面だけに焦点が当てられている―― は、他の誰かにとって価値をもたらす源として扱われるのも現実である。この「価値を認める」という点が、じつは交換という営みにおいて、きわめて重要であることを、あらためて考えさせられる。森林の場合、経済に組み込まれつつも、対価を支払う必要のない資源だと考えられていたことが、結果として森林の破壊を招いた。しかも、これは世界的にみれば、現在進行形で起こっていることでもある。

↑前にもシェアしたが、これはなかなか興味深い。

ブローデルは経済(学)的視点だけで考えているのではない。これは明白である。しかし、それは経済(学)的視点を排除するものではない。これまた明白である。しかも、彼の議論の三層構成ゆえに、安易な学派分類を許さない。レッテル貼りの多い“社会科学”的な議論を省みるとき、ブローデルの雑然ともみえる分厚い考察は、あらためて現代において示唆するところが多い。経営学を考えるときにもまた同様である。

ブローデルの議論を咀嚼するのは、ほんとに骨が折れるのではあるが…。


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