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モノと現状が欲望をかきたてる。兵器、印刷、航海。ブローデル『物質文明・経済・資本主義』を読む(13)

ブローデル『物質文明・経済・資本主義』の読書会第12回のメモ。第1巻の第2分冊。第6章「技術革命と技術の遅れ」のうちの「三大技術革新」を中心に読みます。

摘 読。

火薬と銃砲、武器。能率的生産と企業家的利益。
火薬そのものの発見は、中国に始まる。9世紀の頃には、硝石・硫黄・粉炭でもって火薬が製造されていた。火器も11世紀にはつくられていたという。

ヨーロッパで大砲がみられるようになったのは14世紀のことであるが、本格的に活用されるに至ったのは15世紀のことである。一方、艦船に大砲が備えられるようになったのは、1338年のクレシーの戦闘以前のことである。そして1373年ごろには、イギリスの艦船に大砲を備えることが通則となっていた。が、あらゆる船が武装するようになったのは、16世紀になってからのことである。この時期、海賊行為が盛んになるにつれて、あらゆる船舶に火器が備えられ、専門の砲手が乗船するようになった。さらに、同じころ、小型船も大型船並みの大砲を載せることができるようになった。オランダとイギリスが世界の七つの海で盛運を誇ったのは、小型船と中型船の強化による。

さて、銃に関しては、火縄銃が15世紀末ごろに、実際には16世紀初頭に出現した。ただ、この火縄銃も一気にヨーロッパ中に広まったわけではなく、ドイツ、イタリア、スペインなどには大きく遅れを取っていた。ヨーロッパじゅうの歩兵隊が剣付き鉄砲を備えるに至ったのは、じつに17世紀末のことだった。

こういった軍事的準備は、富める国だけがなしうることであった。とかく、兵器や火器といった武器の生産や維持にはカネがかかった。それゆえ、支出と効果の関係性が煩く問われたわけである。同時に、その使い方=技術も重要な点であった。ただ、そういった技術は交流によって諸国に広がる。それゆえ、国ごとの優位性が大きく異なることはなかった。結局のところ、国家の能率、そして企業家の利益の増大がもたらされたわけである。数々の進出や後退を考慮に入れると、いくつかの重要文化集団の境界が大砲によって覆滅したわけではないのである。

印 刷。知識や思想の伝播。
紙もまた、中国で生まれ、イスラムを介して西方に伝わった。それがヨーロッパに製紙産業として根づいたのは、14世紀になってからのことである。製紙には水が必要だったため、工場は川の上流、急流のほとりに設置されることが多かった。紙は羊皮紙に比べて、腰の強さも美しさもなかったが、何より安かった。紙はしなやかだし、表面が平滑なので、印刷にもうってつけであった。12世紀以降、大学のみならず、多くの場所で本を読みたいと欲する人が増えていた。それゆえ、写本の工房は飛躍的に発展した。

↑まだ立ち読みしかしていないが、このあたりは関連する内容として興味をそそられる。

そこから生まれてきたのが、活字である。活字の発明はグーテンベルク(もちろん、20世紀半ばにドイツ語圏の経営経済学をリードしたErich Gutenbergではないw)だと一般的に言われているが、そのあたりは必ずしも明確ではないし、そもそもそこは重要な問題ではない。中国や日本では、9世紀や11世紀から仏典などの印刷がすでに行われていた。15世紀前半には中国や朝鮮で金属活字が完成した。

ちなみに、日本でも古活字版は存在するが、漢字とかなの連綿体での筆記ゆえに、活字印刷から木版印刷に逆行したというのは、いささかおもしろい技術の展開ではある。

ヨーロッパで金属活字の印刷術が根を下ろしたのは、15世紀中ごろであった。合金活字と行、インテルを締めつけ、インクをつけ、用紙に押し付けるという方法である。これが18世紀までほとんど変化なく、受け継がれた。この方法が、世界を駆け巡った。ヨーロッパでは爆発的に出版数が増大した。さらに、インド、広州、マカオ、そして長崎へと技術も伝播していった。

書物は贅沢品ではあったが、利潤・供給・需要の法則にしたがわされた。そして、商品としての書物は街道や交通、大市とも深くかかわっていた。この活版本の流通は、西ヨーロッパの思想を早く、そして広く伝えることに貢献した。たびたびにブレーキを掛けられたにもかかわらず、その伝播は加速していった。宗教改革やそれに対する対抗運動も、活版本を利用して展開された。17世紀の数学革命もまた、同様に印刷技術の普及とつながっている。

航海、海運。リスクを冒す精神。
もろもろの海洋文明は、はるか昔からそれぞれに知り合う仲として隣り合いながら、旧世界を横切っていた。ただ、隣り合っていたからといっても、混ざり合っていたわけではない。むしろ、船乗りたちは、自分たちのやり方を厳格に守った。地中海では三角帆を用いることが一般的であったが、これはもともとイスラムがオマーン海で使われていたインド風の帆を見つけて、それを地中海で使うようになったものである。これは、地中海におけるあらゆる民族がほぼ使用していた。それに対して、北ヨーロッパでは角帆が決まりであった。この地中海と北海の二種類の船団が、征服の途上で対決し、ついで混ざり合うに至った。この混淆は、ヨーロッパという一つの文明単位が確立していった一つの証左である。

さて、世界の海上航路の征服をなしとげたのはヨーロッパの民族であった。もちろん、中国人もアラビア人も、世界的な航路を切り拓いてはいた。にもかかわらず、大西洋問題を解決するという功績は、ヨーロッパの手中に帰したのであり、それはほかのすべての問題の解決につながった。では、なぜヨーロッパの民族はそれをなしえたのか。それは、ヨーロッパがより活発な物質生活に目覚め、北方と南方の技術を混合し、羅針盤や海図を利用し、本能的な畏怖を克服したからである。この、あえて冒険に挑むこと、大海原に乗り出すこと、これが異例の功業だったのである。まさに、この外洋航海の技術と精神こそが、ヨーロッパの世界征服を可能にした。

むしろ、より重要なのは技術ではなく、精神であった。技術だけをみれば、他の民族にもあった。たとえば、本書に名前は記されていないが、田中勝介なる商人は、フィリピン総督であったロドリゴ・ビベロの帰郷に際して、1610年に日本とメキシコのアカプルコのあいだの太平洋を往復している。その点で、技術を説明要因とするのは正確ではない。

では、何が枢要な要因だったのか。中国にせよ、イスラムにせよ、すでに富裕な社会であった。植民地と呼ぶことのできるような土地や物質を所有していた。ところが、西ヨーロッパはそれを持っていなかった。狭苦しい「アジア大陸の岬」に閉じ込められていたために、世界を必要とし、自分たちの圏内から出てゆくことを必要としていた。ここにこそ、西ヨーロッパの長所があったし、それが原動力となった。13世紀以降、長期間にわたって圧力が加わっていったために、西ヨーロッパ世界の物質世界が向上し、その心理が全体として変貌した。黄金への飢え、世界への飢え、香辛料への飢えといったものにともなって、技術の分野における新機軸への不断の探究や功利主義的な応用 ——すなわち、労苦の軽減と能率の最大限の向上という人間への奉仕のための―― が成し遂げられていった。それらが、実用的な発見とともに、世界支配への自覚的意思を明瞭に表す発見の数々の蓄積へとつながり、そしてそのエネルギー源をなす一切のものへの関心の増大を惹き起こした。ここにこそ、ヨーロッパの成功の所以がある。

私 見。

この章、なぜ兵器、印刷、航海という一見するとバラバラな要素を採りあげているのか、最初はその意図をつかみかねた。しかし、ここにヨーロッパが結果として世界を支配しえた要因が潜んでいる。それを、ブローデルはモノを起点として、それを扱うヒトの技術・能力や姿勢・精神へと視野を展開していくことで明らかにしようとしている。ここにこそ、物質文明を起点・基盤として歴史の展開相を解明しようとするブローデルの真骨頂がある。

ただ、こう述べたからと言って、ブローデルが物質的側面を後景に追いやろうとしているなどと理解してはならない。実際には全く逆であって、物質文明とそれを支える技術は、つねに表舞台に登場しつづけている。このあたりは、第1巻第2分冊142-143ページに出てくるので、また再論することになろう。

この物質文明と精神的領野 ——フランス語が原典の文献を読むのに、ドイツ語を持ってきて恐縮だが、Sachlich / Idealという言葉を宛がうのが適切であるように思う―― の相互作用関係、しかもそれぞれはかかわりあいつつも、独自のリズムで動いている、そういう把捉の姿勢を読み取ることができるように思う。その点で、一要因による決定論的な歴史把捉を拒絶している。

モノをさながらアクターとして扱い、かつそれがヒトという有機体的アクターとどうかかわるか ——しかも、それぞれは置かれている諸条件によって、モノとのかかわり方がさまざまに異なる―― という観点から、事象を描き出す。となると、ここで私の脳裡をちらちらよぎるのがラトゥールのアクターネットワーク理論(ANT)である。が、これ以上深入りすると、泥沼化しそうなので、これくらいで(笑)

もう一つだけ。
なぜヨーロッパにおける経済学の古典において、欲望に起点を置くのか、今まで何となくわかったような、しかし必ずしもクリアな理解には至っていなかった。ところが、この章あたりから、企業者的姿勢(Entrepreneurship)や欲望といった概念が、なぜ基軸に置かれるのかということもクリアに浮かび上がってくるように感じられる。


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