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【雑考】仏教とわたし

仏陀(お釈迦様)は、苦しみから逃れるための考え方を説いたという。
執着を捨てることで楽になるとも。

実は私は仏教系の中高一貫校の出身だ。とはいえ、仏教の教育についてそこまで熱心なカリキュラムではなかったので、お釈迦様の説いたことの1割も理解できていないと思う。
最近a scopeというPodcastの、松波龍源さんの回を聴いて(以前に聴いていたが、本当に面白かったので最近聴き直している)、もっと仏教についてちゃんと学んでおけばよかったと後悔している。

COTEN代表の深井龍之介さんがホストを務め、第一線で活躍する研究者を招待。リベラルアーツについて語っていきながら、私たちが生きる「この世界」を捉え直していく音声企画。第13回からは「仏教」編。実験寺院 寳幢寺 僧院長の松波龍源さんをゲストに迎え、極めて論理的で、首尾一貫した世界認識を行っている仏教の中身を探索していく。

#13 実は極めて論理的。「仏教」の世界へようこそ(ゲスト:松波龍源さん)

まあそれはそれとして、浅学にして凡夫の身としては、お釈迦様の言う悟りの状態にはなかなか到達できそうもない。
だが生の苦しみはなるべく手放したい。

ただ、愛でも金でも名誉でも、何かに執着すると途端に苦しみが生まれる。
この執着を手放すのは難しい。

一時的にいろいろな執着がどうでもよくなる瞬間はある。
サウナ後の水風呂に浸かっている時、行きつけの指圧で施術されているとき、フルマラソンの後半20kmを走っている時など。

これらを適度に生活に組み入れていくことで、結果的に幸せの度合いを向上させることができるかもしれない。
仕事も大事だが、同じくらい上記のような時間も意識的に大事にしていきたい。

ちなみにフルマラソンはそれ自体がかなり苦しいので、果たして幸せなのだろうかとも思うが、仏教における修行に近いと考えると合点がいく。

修行(しゅぎょう、異音:すぎょう)は、仏教における精神の鍛錬に関する用語の一つ。 財産・名誉・性欲といった人間的な欲望から解放され、生きていること自体に満足感を得られる状態を追求することを指す。

Wikipedia より

はっきり言って仏教については完全な素人なので、適当なこと言ってるかもしれない。というか適当に書いてます。あしからず。

今回はこれにておしまい。

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