見出し画像

深夜徘徊のすすめ

こんにちは、山乃辺 ゆう です。きょうは、わたしの大好きな徘徊について。

みなさん、歩くことはお好きですか?なんだか刑事ドラマの合間に流れるCMの出だしみたい。
日々生活のなかにはいろいろな「歩く動機」があると思います。通勤通学。近所のコンビニに買出し。運動不足解消、などなど。
もちろん歩く時間帯なんかもさまざま。わたしは家からぼーっと往来を眺めていると、あの人はどこに向かって歩いているのかな・・・なんて思ったりしちゃいます。観察癖があるのでしょうか・・・笑

わたしはそんな「歩く動機」なく、目的なく、ふらっと家をでることが多々あります。それもきまって夜。ご飯を食べて一服したあと、22時とか。

暇人かよ、なんてよく言われます。たしかにヒマです。ひとり暮らしを始めてから、ゲームをしたりテレビを見る習慣がめっきり消え失せましたし。だから、実態としては「持て余した時間」に対するなんらかの消費意欲が根本にあるのかもしれません。

では、歩いているときなにをするの?ただ黙々と歩き続けるの?
さすがに、無心にひたすらどこまでも、ではありません。歩くことへの「動機」はなくても、「楽しみ」は自分の中にちゃんとあるのです。あれ、その楽しみってのが動機なのか?それについては、いったん持ち帰って検討します・・・笑

深夜徘徊の楽しみ

簡潔に言うなれば、それは「営みの観察」です。
なんかエロチックな響きがありますね。べつにのぞき見、みたいな話ではありません。ご安心を。
ただ、すれ違う人たちや遠くから聞こえてくる生活音。電車の走り去っていく音。国道を走る車の排気ガスや河川敷の青臭かったり湿ったりした匂い。そんな五感を使って、世の中の生活、営みを感じとること。それが「営みの観察」であり、わたしの楽しみなんです。たとえば、

環八を走る見慣れない道路清掃車。黄色い、車輪の前方にホウキというかブラシがついていて、路上のごみを掃きそうじしている車両。はたらくのりもの、昔からずっと興味の対象なんですよね。ふだん見慣れない特殊車両とか見るとそわそわしちゃいます。

独特な熱気とにおいを漂わせた無人のコインランドリー。いまの家に住んでからたまに行くようになりました。といっても、梅雨以降、外装工事なんかがあったもので。好いですよね。深夜のコインランドリー。誰もいないからグルングルンと回る乾燥機をじっと覗き込んでても大丈夫。通りからは丸見えなのかもしれませんが。

フルスロットルで第三京浜に飛び込んでいくライダー。近所に「玉川」ていうインターチェンジがありまして。料金所がなくそのまま有料道路に入っていく構造。だから「飛び込む」という表現がぴったりかと。ライダーさんも、一旦減速してから一気にスロットルを開けてるようで。その高回転の排気音が快感でした。

ハッピードリンクの「飴サイダー」。あれ、なんていうんですかね。清涼飲料で、ときおり飴玉を溶かしたようなチープ(ポジティブ)な味がする飲み物。ご存知の方いらっしゃったら教えてください。または缶コーヒー。レッドブル缶より、缶コーヒーを開ける時のカコッという音の方が、なんだかオツ。夜のレッドブルは課題レポートの〆切前夜を思い出してしまって。

コロナ禍でいろいろな働き方が浸透しても、まだ大勢のひとは昼、勤務先で働き、夜になると家に帰ってくる。学生だって朝から夕方まで学校にいる。その生活スタイルは依然として主流なのかな、と。そうした、仕事をする。勉強をする。家事をする。それに費やす「昼」の時間と対称的な「夜」の時間。

その日の仕事から解放された。宿題が、予備校が終わった。夕ご飯の後片付けが終わった。子供が寝付いた。
そんな日々の「シゴト」から解放された時間。それが「夜」なのかなと。そんな「夜」はジブンの好きなことを思い思いに過ごすために残されている時間だと思います。

そんな楽園的な時間の流れを、一歩引いて、部外者/傍観者として眺めてみること。感じてみること。あれやこれやと結びつけて記憶を遡ってみたり。それがわたしの「夜」の楽しみ方であり、わたしの深夜徘徊のすゝめです。わたしは今夜も徘徊します。秋の夜長というものは意外にも短いから。


読んでいただきありがとうございます。
また、気になる記事があったら読みにきてください。
それでは!





この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?