- 運営しているクリエイター
2021年12月の記事一覧
私の好きな短歌、その36
受話器に友のいふこゑはうたがひなし三ヶ島葭子の命おはりぬ
大熊長次郎、『真木』より。(『日本の詩歌 第29巻』中央公論社 p236)
端的に事実を述べた歌で心に響く。初句と二句の破調が気の動転を表しているようだ。「いふこゑ」も、「声」だけでいいものを「言う声」としてありやはり狼狽を感じる。下二句の単純さ、「命おはりぬ」と言い切ったことで無常感が醸し出された。ああついに、という無念が、単純な
私の好きな短歌、その37
静にぞねむらせたまへ人間の命死にゆく時のをはりに
大熊長次郎、『大熊長次郎全歌集』より。(『日本の詩歌 第29巻』中央公論社 p239)
作者は結核にかかり、自殺した。その時遺書と共に残された歌のうちの一首。この時の一連の歌は、辞世の歌として穏やかながらも迫力を持つ。その中でもこの一首がおそらく最後の一首。我が生命ではなく「人間の命」とし、結句を「時のおはりに」としたことで、普遍的な意味を
私の好きな短歌、その39
仙台の冬の夜市をふたりゆき塩辛き鱈を買ひし思ほゆ
木俣修、『流砂』より。(『日本の詩歌 第29巻』中央公論社 p305』)
解説によれば亡妻挽歌という。背景を知らなければ作者の意図が分からない歌だが、その場合でも、「買ひし思ほゆ」に、何か含みがあるということは感じる。私にとって夜市とは夏の風物詩なのだが、一首の「冬の夜市」とは歳末の、年越し準備のための夜市なのだろうか。仙台という東北の地で
私の好きな短歌、その40
荒海の浪はにごりてくだけつつ水際の砂を平らかに這ふ
窪田章一郎、『六月の海』より。(『日本の詩歌 第29巻』中央公論社 p338』)
眼前の景をそのまま歌にして余すところがない。一心に景色を見て作り上げた一首なのだろう。大げさにしようとか、ことさら美しくしようという邪念がない。読者はそのまま受け取って風景をそれぞれ頭に描いて、そこに吹く風を、激しい波音を味わえば足りる。結句「平らかに這ふ」