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人は少しずつでも変わっていく

ちょうど一年前にこの道を通ったわけではないのだが、風の匂いとか日差しの強さでふと過去の出来事を思い出すことがある。今日はそんなお話。

その日はいつものようにパソコンに向かって仕事をしていたのだが、同期からのメールが届いていることに気がついた。開くと「今日と明日、本社で研修です」と短いメッセージ。スケジュール帳を開いて2〜3分ほど考えて、「明日なら空いているけれど、飯でも食べようか。店は適当に予約しておくから」と返したら、すぐに「じゃあ、よろしく」と返事があった。人畜無害をモットーに生きているからだろうか、この手の誘いは多い気がする。

彼と会うのは久しぶりだったので、まずは近況報告から始まった。子供が何歳になったとか、上の子がこんな習い事を始めたとか、最近車を買い換えたとか。それから少しずつ、仕事に関する話が混じり出すようになった。
ちょうど研修を終えた直後だったこともあってか、彼は部下の育成についての話を切り出した。彼は僕と違って優秀なので、たくさんの部下を抱えている。個性の違う部下たちをどうやって育てていくか、それは当人だけではなく組織にとっても重要なことだと考えているようで、そのために彼が日々心がけていることとか悩んでいることを聞きながら、「こいつは俺と違って本当に優秀だなぁ」と感心するしかなかった。

その中でひときわ興味深く響いたのが、「とは言っても、こんなことを考えられるようになったのは最近なんだけれどね」という言葉だった。
実は彼が部下を持つ立場に就くのは二度目だ。一度目のときは彼曰く、「崩壊した」らしい。彼とは勤務地も職種も異なるので詳しいことはわからないが、彼が言うことと周りから伝え聞いたことを総合すると、彼はちょっと尖り過ぎていたようだ。優秀であるが故であろうか。

彼はグループリーダーを外されて、また人の下で働くことを余儀なくされたわけだが、再びグループリーダーに返り咲くまでの数年間に経験した、いろいろなことを僕に教えてくれた。そして「いま思い返すと、そのときのあれこれがいまの自分を作っているんだよなぁ」としみじみした顔で言った。
僕は赤星を飲みながら「そうかぁ、いっぱい苦労したんだなぁ」と感心するしかなかったのだが、彼が「けど君の方がすごいと思うぞ」と言ってきたから驚いた。

何がすごいのかと訊ねたら、「自分が経験したことを、もっと若いときに乗り越えているだろ。自分だったらその年齢で乗り越えられる自信はない」と言われた。まぁ確かに、僕は二十代のときに自己否定をして、そして一から自分を作り直さなければならない経験をしている。当時はどうにもしんどくて、逃げたくて逃げたくて仕方なかったけれども、あのときをどうにか乗り越えたことが自分を何倍もタフにした気がする。
でもそれは自分にしか分からないことだし、わざわざ誰かに言って「すごいね」って褒めてもらうことでもないと思っていたし、そもそも妻からはダメ出しされたことしかないので、「こいつはすごいなぁ」と思っている同期に「すごい」なんて言われて素直に嬉しかった。

そしてふと「同じ価値観を共有できているのなら」と考えた僕は、彼にこんなことを訊ねてみた。

「昔に比べて嫌いな人って減ってない?」

そしたら彼は「確かに!」と、何かを思い出したかのような顔で言った。
「Aっているじゃない」と彼はある同僚の名を挙げ、「実は俺さ、昔はAって好きじゃなかったんだよな」と続けたので驚いた。
実は僕もAは好きではなかったのだ。けれども彼はそんな素振りを見せなかったし、そんな相手にわざわざ「俺、あいつ嫌いなんだ」とか言いたくなかったので、僕はずっと黙っていたのだ。ところがこの告白である。

だから僕も思わず、「俺も! 若い頃はAは好きじゃなかった」と言った。そしてAの批評家めいたところを腹立たしく感じていたと言ったら、彼もそうだと答え、そして「けどさ、いつ頃かは忘れたんだけど、Aに対して嫌悪感を覚えなくなったんだよな」と言ったのでさらに驚いた。僕も全く同じだったからである。

じゃあAがいい奴に変わったのかと言うと、それは違うだろうというのが二人の出した結論だ(別にAをディスるつもりなんてこれっぽっちもないが、Aはいまも変わらず批評家だ)。
彼は「昔の俺や君の中には、Aと同じように批評するだけの自分がいたような気がするんだよな」と言ったのだが、まさにその通りだと思った。彼は続けて、「前の部署にいた君だけど、俺の目にはAみたいに批評するだけの人に映るときがあったけれども、いまの部署にいる君はそういうの一切なくなったよね。なんか心に余裕ができたと言うか、だからいまの部署って君にすごくあっていると思うし、楽しく仕事ができているんだろうなって思うんだよね」とも言ったのだ。
なんだか全てマルっとお見通しというか、やっぱりこいつは優秀だなぁと思った。

というのも、前の部署と今の部署、背負う責任がまるで違うのだ。前の部署は「会社を良い方向に向かわせられたらいいね」みたいな、ちょっと無責任な部分があったように思う。だから社内から仕事への本気度を疑われていることに不満を感じつつ、その一方で、充分な協力を得られないことを理由に手を抜いている自分もいた気がする。

ところが今の部署は「必ず会社を良い方向に向かわせなければならない!」という責任が常に付きまとう。周りも「それがあなたたちの役目でしょ」って目で見るので、変な緊張感が半端ない。だから以前に比べて物事を慎重に考えるようになったし、誤った判断をしないために人の話をよく聞こうとか、人の行動の裏側にあるものをよく理解しようとか、そんなことを思うようにもなった。

でもこういった変化は人を知ると言うよりも、自分をよく知ることになった気がする。結局のところ、「あの人が嫌」とか「あいつのこの考え方が気にくわない」とかいうネガティブな感情は、もともと自分の中にあるものだからだ。

さっき出てきたAで言うなら、嫌いなのは”批評家ぶった態度を取るだけで行動に移さない(移せない)自分”だったと言うことだ。けれども異動をきっかけに”批評するだけでなく行動に移せる(移さなければいけない)自分”にならなければいけなくなったので、僕はようやく自分の中に批評家な自分がいることに気づいたのだ。そう、Aはたまたまそこにいただけで無関係だったのだ。そして批評家な自分の存在に気づいたのでAに嫌悪感を覚えなくなったのだ(同期の彼も、似たような経験を通して批評家の自分と向き合ったとのこと)。

こんなふうに周りの人を通して自分を見ているうちに、自分というのはいろいろな自分が集まってできていることがわかってきた。その中には「こんな自分は嫌だな」とか「こうはなりたくないな」と思う自分もいる。けれどもこいつを無理やり封じ込めようとすると、「あいつは嫌だな」とか「あいつみたいにはなりたくないな」と他人になすり付けて誤魔化そうとすることもわかったので、誰かに対して負の感情を抱いたときは、「ああ、俺もこういうところあるよね」と考えるように変えた。そうしたら、僕の周りから嫌いな人(自分)がどんどん減っていったのだ。

妻の「あなたはいつまで経っても変わらない、変わろうともしない」なんて小言に「本当にそうなのかな? 変わっていると思うんだけどな」と疑問を感じていたのだが、少なくとも同期の目には僕は変わったと映っているようなので、ちょっと安心した次第である。

ところでこれは余談だが、この話に出てきた同期や僕は自分と向き合う術を知って嫌いな自分を減らしているわけだが、これとは逆に、嫌いな自分を増やしていく人もいる。
ここではBとするが、数年ほど前から、彼といると不愉快な思いをする自分がいることに気がついた。悪意のような敵意のような、そんなものを向けられているような感じがするのだ。入社してからずっと仲が良かったので、彼の変化に僕は戸惑った。僕は彼と対立関係になるのを好まなかったので「きっと仕事が忙しいんだろう」と気にしないことにし、そして彼と一緒に飲むことはしばらくやめようと決めた。

ところがある飲み会でBと一緒になった。僕は嫌な思いをしたくなかったので距離を置いていたのだが、どういうわけか向こうから近づいてきた。嫌な予感がした僕は馬鹿な話ばかりして誤魔化していたのだが、Bは無理やり仕事の話に持っていこうとする。で、とうとう向こうのペースに持っていかれて、気がついたらまた不愉快な思いをさせられたのだ。

後日、同じ席にいたある人が「あれは変だったよね」と僕に言ってきた。
「ここしばらく、ずっとあんな態度を取られるんだけど、俺は何か悪いことしているのかな?」と僕が訊ねたら、「そんなことないと思うよ、だって彼、誰に対してもあんな態度取るようになっているから」と返ってきた。

これは僕の憶測だが、いまBは、自分の弱い部分と向き合うことができないでいるのではないだろうか。かつて僕がAに向けていた嫌悪感を、Bは僕や他の人に向けているのかもしれない。ただ怖いなと思うのは、Bの攻撃対象がどんどん増えているということ。
誰かが思わず口にする悪口や愚痴を聞いて、「俺、そういうのないな。他人に興味ないから」と冷ややかなコメントをするのがBだった。けれども本当にそうだったのだろうか? 「ああいうのは嫌だ」とか「ああはなりたくない」とか、逆に「ああなりたい」とか「どうしてああいうふうになれないんだ」とか、実はものすごいものが渦巻いているのではないだろうか? それを周りに悟られないために無関心なフリをしていただけじゃないのか。けれどもだんだん抑え込むことが出来なくなって…。

そう思ったらなんだかゾッとしてきた。
怖いから俺寝る。

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