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野球と非日常(2024.04.13)

遠くの町の、初めて行く球場で、知らない高校同士の野球の試合を見た。

大きな切り株みたいな山が外野の向こうに大きくそびえていて、その山の周りをいくつものパラグライダーが旋回しながら少しずつ降下している。

それがどういう試合だったのか分からないけど、球場は誰でも入れるようになっていた。「あれ?いけるぞ」と思ってなんとなく球場に入っていったところ、普通にバックネット裏の良い席に座ることができた。私がそうやって誰のお咎めもなく野球を見ているのを見て、妻や子供たちも私の横に並んで座った。

いつも落ち着かなくて、うるさくしている子供たちだが、何かの間違いじゃないかと思うくらい大人しく試合を見ていた。試合はすでに8回。点差は2点。どちらの高校のスタンドも、応援する人数こそ少ないが、大いに熱が入っていた。だから何かしら公式な試合だったのだろうと思う。

球場の裏手には大きな川があった。風がその川の上を撫でるようにして球場に吹き上がってくるので、球場全体が涼しい風に包まれていた。

そして球場は無機質な真新しさがあった。そこに切り株みたいな山のせいも相俟って、風景全体が大掛かりな嘘みたいに見えた。

しかし試合自体は紛れもない現実で、当の高校生たちにとって試合結果は切実だ。その熱気や情熱をまともに受けてしまった妻は、全然関係ないのに泣いている。「情緒不安定か」と思った。共感するにも程がある。

さっきまで川べりで小さなアリに夢中だった次男も、今や私の膝の上で真面目に試合を観戦していた。そして小さな声で「がんばれー」と言っている。長男と長女も、訳が分からないまま、真剣な表情で試合の行方を見守っている。

やがて試合はあっさりと終わった。ドラマティックな展開などなかった。礼儀正しい選手たちが相手チームやスタンドに深々とお辞儀をして、それぞれのベンチに帰っていく。試合の終了を告げるけたたましいサイレンがすぐ頭上で鳴り響いて、この世の終わりでもこんな大きな音を聞くことはないだろうなと思う。

私たちにとって全く関係のないチーム同士の試合だったけど、球場で野球を観戦するというのは皆にとってとても貴重な体験だったと思う。

あの2チームにはすごく感謝している。当人たちの中にどう残るか分からないけど、私たちの中の誰かの記憶には、とても鮮烈に刻み込まれたのではないかと思う。

ありがとうございました。

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