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WEBライター12年目、稼ぐ限界についてのリアルな話

最初にHPを作ったのは1990年代

いまやWEBの世界も1.0、2.0を超えて「web3」になるといわれておりますが、小生が最初に「インターネット」に触れたのは1995年の、第一次ブームのときでした。

当時、出版社のサラリーマンであり、雑誌の編集部員という立場でした。紙媒体にとってインターネットというのは、さほど価値あるものとは思われていなかった時代でしたが、せっかくなのでhtmlを手打ちして担当雑誌のHP(ホームページ)を作ったのがネット文化との最初の関わりだったでしょうか。

その後、フリーランスとなって広告媒体としてのWEBからは距離を置いていたこともあり、インターネットビジネスで稼ぐということはなく、仕事として関わるようになったのは2010年代となります。

いまも残る最古の記事は2011年3月

最初に書いた記事がなんだったのかは、もう忘れてしまいましたが、いまでも残っている自分が書いた最古の記事がこちら。2011年3月に公開されているものです。

驚くべきことに、こちらの媒体とはその後もずっとお付き合いを続けることになり、現在では通算で3800本近い記事を公開するに至ったのは、本当に不思議な縁だったと思うことしきり。

また、ほかにも1000本を超える記事を掲載いただいた媒体もあり。長くWEBライターと続けるのであれば、自分の得意ジャンルと求める媒体との出会いが非常に重要だと思う次第です。

自動車コラムニストという肩書で活動中

というわけで、2022年時点では主に「自動車コラムニスト」という肩書により、自動車関連のコラムを署名で書くことを売文業のメインとしているのでありました。

2011年にWEBライターをはじめたのだとすると12年目となるわけです。WEBメディアの黎明期からライターをされている諸先輩方からすると、まだまだ経験不足でしょうが、10年以上はこの業界で食ってきたのも事実。

その中で、自分から営業をして仕事を得た経験というのは、ほとんどないのですが、自分なりの営業スタイルは「仕事が仕事を呼ぶ」というもの。ひとつのメディアで書いた記事を見た他媒体からオファーがくるの繰り返しで、いまに至るといったところでしょうか。

もう一つポイントといえるのは、2005年からずっとブログを続けていること。ブログにメールアドレスを載せていることもあって、ブログ経由でのオファーも少なからずあります。

アフィリエイトブログで稼ぐというのも悪くないと思いますが、得意ジャンルのエントリーを上げるブログを維持しておくというのも営業ツールになるのでは、と思うのです。

手を動かして稼げる限界は年商800万か?

ところで、気になるお金の話です。

WEBライターとしてキャリアが10年を超えた自分の原稿料ですが、基本的には文字単価ではなく、記事単価となっていることが多くなっています。

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