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「AIによって仕事を奪われる世界」はディストピアか?

AIやロボットによって仕事が奪われる、という考え方に対して、これまでの歴史を振り返ってみても古い仕事の代わりに新しい仕事が生まれるから、仕事が無くなるようなことはない!という考え方があります。

もちろん新しい仕事も次々と生まれるだろうけど、仕事が無くなることはないというのは本当でしょうか?

現時点のAIはまだ見た目ほど賢くはないですが、今のAIの進化スピードを踏まえると、おそらく10-20年後の仕事は、
①一部の人にしかできない高度な知性または感性が求められる仕事
②AIやロボットに代替される仕事(人がどう頑張ってもAIやロボットに勝てない仕事)
③AIやロボットでも出来るけどROI(投資対効果)が見合わないので残る仕事
の3種類に分かれます。

このうち①の仕事ができるのは、おそらく全労働人口の20-30%程度。
今ある仕事の多くは②になり、ここには人間が入る余地が無い。
なので全労働人口の8割くらいが③の仕事をすることになるけど、これは付加価値が低くかつ仕事量よりも人の方が多いので賃金もかなり低くなります。

特に大変な目に遭うのは、高い給料をもらってる割にろくに付加価値を生んでいない高学歴人材でしょう。
彼らが得意な記憶や計算や情報処理はAIの得意領域で、かつ彼らは給料が高いので、AIに置き換えることによるROIが高くなるからです。

ではこれはディストピアなのか?

労働人口の大半が就職できない、できても低収入しか得られない、という部分だけにフォーカスするとディストピアのようだけど、そもそも就職できないのは不幸だ、給料が低いのは良くない、というのが強固に刷り込まれた思い込みです。

日本にサラリーマンという職種が生まれてからまだ100年くらいだしね。

思うに、中途半端に就職する先があるから、やりたく無い仕事を我慢して安月給でやり続けるのだと思う。

本当に就職先が無くなったら、観念して自分で仕事を始めるか、または自然に回帰して自分が食べる分は自分で育てたり、お互いに助け合ったりするんじゃないか。

別に現金収入が少なくても、コミュニティの中でお互いに助け合えばいいわけで、その方が余程豊かで、多様性があって、喜怒哀楽があって、人とつながり大地とつながり天とつながりながら、人間らしい生活を送れる可能性が高い。

そのためにはコミュニティ内において土地や水や生産手段を共同所有にしていくことが望ましく、幸いにしてそのような事例は世界中に多数あります。

現代社会はあらゆるものが商品になってしまい、お金が無いと生きられない状況を人為的に作られてしまったことで、お金のために長時間労働し、余裕を失い、ストレスを解消するためにまたお金が必要になり、健康を害して治療のためにまたお金が必要になる、という悪循環に陥らされています。

そうしないと生きられないと多くの人が思い込んでいるがゆえにその状態から抜け出せないけど、就職先が本当に無くなることで、その洗脳から目覚めるのではないか?

ちなみにそういうコミュニティや農作業が嫌な人は、メタバースの中で仕事をして、メタバースの中でお金を稼いで消費して、というのもありだし、その方が幸せな人もいるでしょう。

もちろん、知性または感性を磨き続けて、AIではできない仕事をしていくのもありだけど、これはこれで競争が激しく常に努力できる人じゃないと厳しいと思うので、競争や努力が好きな人向けですね。(僕は好き)

要は、就職しないといけない、給料は高い方が良い、という思い込みから自由になれば、そしてお金が無ければ生きていけないという思い込みから自由になれば、いくらでも幸せに生きられるということです。

そしてそうなると、法定通貨を使う人が減るので、必然的にGDPも減少します。

でも全体の幸福度はむしろ上がるので、何も問題無い。

GDPが減っているのに幸福度が上がっている、という現実が普及することで、ようやく人類はGDP成長という呪縛からも目覚めるでしょう。

そう考えると全然ディストピアではなく、むしろ望ましい進化(というか本質回帰)なんじゃないかなーと思います。

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