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肩書は欲しいようで、無くていい

初めて会う人、久しぶりに会う人、頻繁に会っている人にも、最近は「今何してるの?」ということをよく聞かれる。

田舎の地で、「安定」と言われる仕事を辞め、どうしているのか(どうやって暮らしているのか)は、正直気になるのだと思う。「ちゃんと暮らせているの?」「一番の収入源は何なの?」「神奈川に帰ったかと思っていた」、そんな風に言われることも。

昨年4月。「こんな感じかな〜」と思いながら作成した名刺を最近ふと見返すことがあった。自分の名前が記載されているその上には、「Writing & Editing, Book cafe, Event Creater」なんて書いていたりする。独立当時に意気揚々と作成した名刺だが、先日、名刺を渡した方から「Event creater・・・イベントも色々やってるんですね」と言われ、自分で作った名刺にも関わらず、「あ、そんなことも書いていたか」とふと思い出し、少し恥ずかしくなった。


フリーになりたての数カ月間、初めましての相手には「ライターをしています」なんて断言してみたり、事情を知っているようで知らないような久しぶりに会う方には、「何か色々してます」と誤魔化したり。何かの道を極めたくて、極めている方がかっこいい気がして、極めている人ってすごいなという憧れもあったりして、まだまだ極められていない自分が何だか半人前な気がして、「何者か」になりたかった。だからこそ、極められているとは言えないけれど「ライターです」と言って自分を鼓舞したり、「やっぱり極めてはいないしな・・・」と遠慮して、控えめに表現したりしていた。

でも、その気持ちに少し変化が出てきたのは、昨年の夏、町内の一軒家に引っ越してきてからのこと。

私の名刺。表には作ってもらったお気に入りのロゴを。

私が引っ越しをした一軒家は、以前の記事にも書いたように、大家さんと大工さんに恵まれ、気持ち良く暮らせるよう大改修をしてもらった風情ある古民家だ。「あ、ここはこうしたらえいね。ちょっと材を取りに帰ってくる」、「これは○○んく(※)に頼んだらやってくれるわ」など、「こうしたらいい」「ここがもっとこうだったらいい」と考える度、大きな会社や業者に頼むことなく、知り合いやご近所さんなど、"内輪"の中でとても早いスピードで物事が進んでしく様子を見させてもらった。「あぁ、すごいなあ」と、引っ越しをする直前のその時は、ただただ大先輩たちのたくましさに感心するばかりだった。

夕方、家の裏から差し込む陽の光が究極にドラマチックな新居
このランプシェードが最高じゃないか
昔の生活がイメージできる「火の用心」

引っ越し後、残暑の中、町全体で行われた避難訓練。私の町の職員には「地域担当制」という役割があり、私も職員だった頃、自分が割り当てられた地区の担当としてその地区に赴き、住民の方々と一緒に訓練を行うということをしていた。その頃は、町の中心地の地区の担当になることがほとんどで、一箇所に避難してくる人数は50〜100人など、大人数での訓練を経験していた。一方、私が昨年から住み始めた地区は中心地とは異なり、住民の数も少ない場所。それでも、地区に住む全員が同じ場所へ避難し、大人数での訓練になると思っていた。しかし、家の裏山にある避難場所へサイレンの音とともに登り、10分ほど待って集まったのは、同じ班に所属する10人にも満たない数だった。

待っても待っても、「これだけ?」と、人数が一向に増えていかない。この地区はそういった行事ごとに消極的なのだろうかと思っていたが、「さぁ、ほとんど来たからもう終わろうかね」。

小さな地区に自分が越してきたのだということをこの時の避難訓練でようやく初めて自覚した。

ただ、神奈川にいた時にも、この町に来てから7年間住んだ以前の地区での暮らしの中でも感じなかったこと、それは、小さな地区であっても、何だか困ったことがあれば地区内で完結してしまいそうな気配があるということ。それが今の暮らしである。

避難途中の道から見える海
日常にこの景色がある

私がのほほんとした生活をしすぎているせいか、自宅の敷地内にある小さな畑は、夏の間に何度も荒れ果て、見かねたご近所の方があっという間に草を刈り、手入れをしてくれた。

台風の心配がされる中、時の経過とともに歪んでしまった家のせいで雨戸が出せないとなると、雨の降る中、大工さんがサッと駆けつけてくれ、その日のうちに雨戸を出せるよう直してくれた。

「ライターをしています」と伝えると、自分が過去に書いてきた詩やエッセイを掲載した詩集や文芸集を持ってきて、紹介してくれた方もいた。

その方と話をしていたら、「ふすまの調子はどうかね」と見知らぬ顔のおじさんが入ってきて、話に加わった。私が今の家に入る前にふすまの張り替えをしてくれた同じ地区の人だった。

「近所のあの物件が気になっている」と言えば、すぐに家主さんと繋げてくれて、借りることができなくても素晴らしい景色が広がる家を見学させてくれた。

「○○で困ったらあの人に頼めばいい」「○○おんちゃんに聞いてみちゃう」「何かあったらなんでも言うたや」

この地域に住んでいると、何かあった時に頼れる人がたくさんいて、みんな何かしらの特技を持っていることに気づかされる。「特技」と言っても、「絵が上手い」とか「サッカーが上手」とか「走るのが速い」とか、そんなことではもちろんなくって、生活力があって、地域で長い間をかけて育んできた繋がりがあって、「かっこいいな」と思う人が近所にいっぱい住んでいる。そしてもちろん、その人たちは「かっこいいこと」だなんてこれっぽっちも思っていない。普通の、当たり前のことで、昔からそうやって暮らしてきただけのことである。でも、「だけ」ではない。そんな暮らしをしてきたことが、すごくかっこいい。


私も、この地区に住むご近所さんたちみたいに、そうなりたいと思うようになった。

「ライター」だと胸を張って言ってみたり、「まだ自信もないし」と誤魔化そうとしたり、そんなことしなくても、大丈夫。

もちろん、文章を書く時には一生懸命やっているし、農家さんが「丹精込めて作る野菜」のように、私も一文字一文字に愛情をたっぷりと注いでいる。ライターとしての仕事を主軸にしていることには変わりない。

でも、何か困ったときに、「あ、岡本さんに頼めるやん」とか、「あの子やったらもしかしたらやってくれるかも」といった調子で、いつでも地域の人たちが、誰かが困ったときに頼める存在、思い出してもらえる存在になりたい。「なんでも屋でもいいのかもしれない」、そう思えるようになれたのは、夏から住み始めたこの土地で暮らし始めてからのことだった。

「ライターの岡本さん」として認識されなくても、焦らず、憤らず。地域の人が必要としてくれる存在であれば、それ以上に嬉しいことはないのかもしれない。

独立してすぐの頃、欲しかった肩書きは、今もこれからも使っていくけれど、そこにもう意味は無くなった。今はその肩書きは、無くたっていい。そんな心持ち。

ライティングの他にも、「これってお願いできる?」と言われたら、まずはなんでも話を聞いてみる、そんなスタンスでいるのも、やっぱりそういう気持ちがあるから。地域のすごい人たちを見ているから、「私でいいの?」「私よりもっと上手にやる人がいるよ」と思うこともあるけれど、それよりももっと。必要としてくれる人へ愛を込めて。

有井川という地が、私の肩書きを無くしてくれる


※「○○んく」=○○さんの家という意味。高知の方言。「ん」=「の」、「く」=「家」。


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