あの時、19歳の僕は「しゃべり場」で庵野秀明さんの隣にいたのに。
シン・エヴァンゲリオン劇場版を映画館で鑑賞した後、僕はエンドロールが終わって照明が点いてからもしばらく席を立つことができませんでした。
そろそろと退場していく観客が視界の隅に入ってきても、真っ白なスクリーンの真ん中を見つめている自分。
それは、いまだかつて体験したことのない、やり場のない気持ちを落ち着かせる時間でした。
僕自身はアニメーターではないし映画に携わっているわけでもありませんが、こんなにも圧倒的なものを見せられたら、自分なんかが何かを創作するということにこの先1㎜でも近づいてはいけないのではないか。そんなことを突きつけられているような気分になるほど、衝撃を受けました。
感動なんて言葉では安っぽすぎますが、アニメーションに限らず、ここまで気持ちを揺さぶられた「作品」は僕の人生の中で他にはありません。
完結するまでの26年というヒストリも含めて、きっとこの先エヴァンゲリオンを超えるものには出会えないのだろうという確信が、もう終わってしまったんだという虚無感と隣り合わせにいます。
3月22日に放送されたNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」庵野秀明スペシャルを観て、それは更に確固たるものになりました。
庵野秀明さんをはじめ、この作品に携わられたすべての方々に「ありがとう」以外の言葉が浮かびません。
いろんな方が既にたくさんの鋭い考察や興味深い感想を述べているので、作品に対して私見を述べるのは差し控えますが、自分にとってのエヴァンゲリオンは、残酷な天使のテーゼの歌詞にあるように、今回の終劇を持ってしてまさしく神話になった、そんな気がしています。
そもそもエヴァに対して否定的な人もいるだろうし、もっと面白いアニメーションがあるという人もいるだろうけど、とにかく自分にとっては心の底から「有難い」と思える作品です。
ちなみに、僕はリアルタイムでエヴァンゲリオンのTVシリーズを視聴していません。
放送が開始された1995年、その当時の僕はまだ10歳で、深夜再放送が始まった1997年でさえ、エヴァのチルドレンたちよりも年下の子どもでした。
もしかしたらテレビをつけた時に何度か目にしていたのかも知れませんが、幼すぎてエヴァンゲリオンというアニメをしっかりと認識できていなかったのかもしれません。
登場人物たちと同じ14歳でこの作品に出会って人生を並走してきた、僕よりちょっとだけ年上の人たちをいまは少し羨ましく思います。
実を言うと、僕がエヴァを観始めたのはまだ最近のこと。
このシンエヴァンゲリオンを観るために、TVアニメ版から旧劇場版、新劇場版、コミックス、様々な考察や解説までを短期間でいっきにさらいました。
コアなファンの方からはにわかだと罵られるかもしれませんが、自分なりにはエヴァをしっかりと読み込んでいるつもりです。
何より、この作品を知らないままでいなくて良かった、完結を映画館で観られて良かったと心から思っています。
それと同時に、これまでエヴァを観るタイミングは幾度もあったはずですが、なぜかブームが起きても傍観してきてしまった自分を悔いています。
何より一番悔いているのは、庵野秀明さんご本人と話す機会があったにも関わらず、その時の自分が庵野作品のどれにも触れていなかったことです。
30代半ばくらいの方は、2000年代にNHKで放送されていた「真剣十代しゃべり場」という討論番組を一度はご覧になったことがあるのではないでしょうか。
「台本なし、司会者なし、結論なし」というコンセプトで、全国から募った10代の若者たちがそれぞれ提案を持ち寄って自由に討論する、それまでに無かった形式で話題を呼んだ番組です。
放送クールごとにメンバーが入れ替わるのですが、14期生のメンバーのひとりが問題発言で降板となり、急遽自分がレギュラーメンバー以外で提案を持ち込む「道場破り」として出演することになりました。
討論には「元10代」として大人が1名加わることがあり、放送ごとに芸能人や文化人などがブッキングされていたのですが、自分の出演回のゲストが庵野秀明さんだったのです。
真剣10代しゃべり場
「“10代”というワクにとらわれるな!」
提案者は、道場破りの山本佑輔(19)。岡山県に住む山本は、高校生のころから青少年問題についての討論会など、さまざまなイベントを企画、実行してきた。現在もNPOで働く中で、同世代の「中高生だから、ここまででいい」という意識に歯がゆい思いをしていると言う。山本が、10代というワクにとらわれずに行動すれば、社会を変えられるはずだと訴える。
ゲスト:庵野秀明(映画監督)
-NHKアーカイブス 2004年06月20日-
19歳の僕。
今思えば、急遽の出演とはいえ提案内容がしょうもなさすぎて当時の自分を一喝してやりたいような気持ちになります。
まぁ、だいたい似たようなレベルの提案が多かったような気もするので際立って程度が低かったというわけでもないとは思うのですが。。。
とはいえ、もはや自分にとっては消し去りたい黒歴史のひとつには違いありません。YouTubeなどに番組がアップロードされていないのがせめてもの救いです。
村上龍の「希望の国のエクソダス」に影響されていたのか、当時の自分は若気の至りでとにかく大人に中指を立てまくる、イタい奴だったのでしょう。
実力の無さや認められなさを自分自身が年齢のせいにしていたのかもしれません。
はい、自分を納得させるためにトラウマを回想するのはこのくらいで終わりにして、収録本番がどんな様子だったのか記憶を掘り起こしてみました。
討論の内容は17年も前のことなので断片的にしか覚えていませんが、この番組で印象的だったのは素人による本当のガチ討論だったということ。
スタッフさんが途中で誰々に振ってとか、この話題にしてといったカンペを頻繁に出すのですが、10代の若者たちはガン無視で、大人たちが何度もセットの脇で頭を抱えていました。
そして、「道場破り」というポジションがいかにアウェイだったかということもよく覚えています。
レギュラーメンバーは何度も収録を共にこなしているので仲間意識もあり、本番前に和気藹々と談笑していましたが、自分はその輪の中に入ることはできません。
僕は岡山からこのために上京してきた道場破りなのです。
イレギュラーとはいえ同じ提案者なのに道場破りという立ち位置とネーミングのせいで孤独感は増すばかり。
挨拶もろくにしないまま、いざ本番が始まると完全にメンバーたち共通の敵かのように自分に冷たい視線が集まっているのを感じました。
そんなことを裏付けるかのように、僕が討論の皮切りとなる問題提起をし終えるとメンバーのひとりが開口一番、
「興味ないんで」
と、討論におけるマナー違反どころかタブーとも言える、非情なフレーズをいきなりぶっこんできました。
恐ろしすぎていま思い出しても背筋が凍ります~_~;
開始早々から手荒い歓迎を受けましたが、始まってみると、
「学生は社会の一員なのか」
「学生が社会の一員と胸を張るためには何が必要か」
「社会という漠然性」
「社会と世間の違い」
「世代に“枠”はあるか」
といった感じでなんとなく論点が転がっていき、討論が進んでいったと思います。記憶が曖昧ですがたしかこんな感じだったはずです。
僕の提案の内容をものすごく簡略化すると、
「10代という枠組み意識が可能性を押しつぶしている!」
「子どもだからって大人になめられてちゃだめだぜ!」
「もっと大人を脅かすぐらいティーンが世の中を牽引しようぜ!」
といったような主張です。
正直、同じ10代のメンバーからはもう少し支持されるかなぁと思っていたのですが、あまり共感は得られませんでした。
同世代が共感してくれないのなら大人に助け舟を求めるしかありません。
しかし、この時の僕は、庵野秀明という人はエヴァを作った人らしい、くらいの情報しか持ち合わせておらず、さらにそのエヴァを見ていないという状態。
つまり、庵野さんのことを何も知りません。
大人のゲストが誰かというのは本番までメンバーにも明かされていなかったので、事前にどういった人物なのか調べることもできませんでした。
周りの反応をみていると、おそらく僕以外のメンバーも庵野さんやエヴァについて何もわかっておらず、庵野さんにどう話を振って接していいのか、スタジオには微妙な空気が漂っていたような気がします。
この時の庵野さんは、僕たちにとっては突然現れた何者かよくわからないただのおじさんでした。
どんな考え方の人なのかさえさっぱりわかりませんが、とにかくその時の僕にとっては味方になってくれそうな人が庵野さんただ一人なのです。
ところが、庵野さんからも
「10代に拘りすぎている。今いっているようなことは、20代でも30代でも40代でも言われる」
「山本くん、そんなに生き急がなくていいよ」
と、諭されてしまいました。
かくして、孤軍奮闘した道場破りとしての収録を終えます。
現代社会に対する稚拙な問題提起を熱っぽく語る少年が完全に空回りしている様は、テレビの前のお茶の間にどのように映っていたのか。。。
想像したくないのでこれを書き終えたら思い出さないように再び記憶の奥底に沈めておきたいと思います。
ですが、あの時にいまくらいの熱量で自分がエヴァを語れたら。庵野秀明さんが何者かを理解していたらと思うと、本当に悔やまれます。
収録のあった2004年当時は、『新世紀エヴァンゲリオン』の制作終了後、庵野さんが実写方面へ進出され、『ラブ&ポップ』『式日』を経て監督・脚本を手がけられた『キューティーハニー』が公開されたばかりでした。
わずか2年後の2006年には、株式会社カラーを設立され、ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序の製作が発表されます。
現在の自分の本業である編集者・インタビュアーとしてあの収録日に戻れるなら、答えていただけるかはわからないけれど伺いたかったことがたくさんあります。
きっと、討論もそこそこに、収録の前後や合間でご本人にいろいろと質問をぶつけていたでしょう。
ファンにとって、こんなチャンスはなかなか巡ってくるものではありません。
知らないということは、こんなにもったいないことになる。
しゃべり場への出演は自分にとってそんな教訓となりました。
また、これとは逆に、知らないことは最強だ。
そんなことを実感したエピソードがあります。
ご縁のあったファッションデザイナーの方をデニムの聖地と言われる倉敷・児島の工場へご案内したときのこと。
この人はアーティストでもあり、ファッション好きなら誰もが知っているかなりの著名人です。
しかし、工場で働く年配の職人さんたちはこの人がどんなにすごい人なのかまったく知らない、もっといえば、誰が来ようと関係ないといったスタンス。そもそも、職人さんには割と気難しいタイプの人が少なくありません。
そこで、心配していたことが現実になってしまいました。
見学しているデザイナーさんにかなり上から物申す感じで服作りとはなんぞやということを説教じみた感じで力説し始め、あまりの勢いにアテンドしていた自分はたじたじに。
萎縮したり物怖じしないのは結構なのですが、もう少し言葉遣いなんかを配慮してくれないかなぁと心の中で呟いていたのですが職人さんはさらにヒートアップしていきます。
まるで素人を相手にしているように、相手が有名デザイナーでも一向にお構いがありません。
結局、終始に渡って職人さんがデザイナーさんを叱責するようなかたちで見学が終わりました。
このデザイナーさんがすごく謙虚な方だったので事なきを得ましたが、随行している周りの人間にはヒヤヒヤものです。
当たり前ですが、どんなに有名な方であれ、ものすごい偉業を成し遂げられた方であれ、知らない人にとってはただの人なんだなぁということです。
このように、知らないということはある意味で最強と言えるかもしれません。
しかし、それは同時に、人生において計り知れない損失でもあると思います。
そのことを端的な言葉で教えてくれた方がいました。
それは、株式会社トランジットジェネラルオフィスの代表 中村貞裕さんです。
カフェブームの立役者として知られ、レストラン事業、ケータリング事業、ホテル事業、海外ブランドの運営受託、ライセンス、シェアオフィス等の不動産事業など、幅広い事業をグループで展開しており、カフェやレストランなど約100店舗を運営されています。
「ICE MONSTER」や「bills」などが特に有名ではないでしょうか。
数年前、中村さんにインタビューさせていただく機会があり、人生で大切にしていることは何かという問いへの答えが、
「才能とともに生きる」
という言葉でした。
中村さんは、ジャンルや分野を問わず、その時代の才能とされるものをリアルタイムで、時代の空気とともに、できることなら直に体感しておくことが望ましいのだと考えられているそうです。
確かに、私たちはもうマイケルジャクソンのライブをこの眼で見ることはできないし、志村けんさんの舞台を観劇しようと思っても、それは絶対に叶いません。
その才能は、同じ時代を生きる自分たちだけが享受することを許された特別なものだということです。
中村さんの言葉は、それぞれの絶対的な価値観は大事だけれども、相対的に評価されているものにも分け隔てなく積極的に触れることが、自身の成長にもつながるのだ、ということでもあると思います。
いろんなところに話題がとっちらかってしまってシン・エヴァンゲリオンからずいぶんと逸れてしまいましたが、庵野秀明さん、スタジオカラーは、まさしくいまの時代を象徴する才能に違いありません。
DVDになってから見てみようと思われている皆様。
ぜひ、シン・エヴァンゲリオンを劇場でご覧ください。
ありがとう、全てのエヴァンゲリオン。
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