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犬牽と行く美術館・博物館⑧江戸東京博物館・後編『縄文2021―東京に生きた縄文人―』2021/10/9〜12/5

※この記事は日本の伝統的なドッグトレーナー〝犬牽〟の目線で美術館・博物館の展示品をピックアップして紹介する連続シリーズですが、初めて読む方にもわかりやすいよう鷹犬タカイヌの説明など他記事と重複する箇所が多々ございます。ご了承ください。

〇はじめに

 前編に続いて、今回も江戸東京博物館にて開催『縄文2021―東京に生きた縄文人―』の展示品をピックアップして解説していきます!

外観1

 現地に着いたならば、ちょっと分かりにくいのですが階段を上がっていけば常設展、上がらずそのまま進めば特別展へ行くことができますよ☝

江戸博物館ロゴ

 ちなみに、特別展の看板後ろには江戸東京博物館の看板が。
 ここまで大きく、しっかりとシンボルマークを見たのは初めてですね。
 そもそもこのシンボルマークは、江戸時代の浮世絵師である東洲斎写楽作『市川鰕蔵の竹村定之進』の〝左目〟をもとに佐藤晃一氏がデザインされたそうな。見得をきった目が来館者の驚き&好奇心を示し、同時に江戸時代の目線が現代→未来の東京を見守っているという意味が込められているそうです。
 私も犬牽という職業柄、江戸時代(より前から)続く視点で現代そして未来を見通さなくてはなりません。
 しかしその作業をしている私の背中も、こうして先人たちに見守られている、というより見張られている気持ちで日々精進しないとですね。
 さぁ、ではいよいよ後編に参りましょう!

○縄文時代の丸木舟たち

 今回取り上げるのは、題名通り縄文時代に使用されていた丸木舟たちです。
 狩猟や植物利用がピックアップされやすい縄文時代ですか、貝塚に代表されるように実は水場との関連性も強い時代でした。
 そのために丸木舟が多々制作&使用され、その特性も相まってこうして現代まで残っているわけですね。
 特別展でも丸木舟が2艘と、櫂が1本展示されています。

画像3

 まずはこちら、北区中里遺跡から発掘された丸木舟
 中期頃に制作されたと推測される丸木舟で、ニレ科ムクノキから作られていました。

画像4

 もう1艘は、千葉県落合遺跡から発掘された丸木舟
 こう見ると、2艘とも大変大きいですねぇ。
 説明が遅れましたが、名称が示すように1本の大木を伐採し切り抜いて完成するのが丸木舟です。
 機械もない時代に多くの労力そして時間を使ってでも作りたかった代物、それだけ水場に出る必要性つまり利益があったことが窺い知れますね。

オール

 そして最後は新潟県新津市青田遺跡から発掘された櫂、いわゆるオールです☝
 あまりにも綺麗に残っているので、縄文時代の遺跡から発掘されたことを忘れてしまいそうになります。
 この櫂を懸命に漕いで、縄文時代の人々は水上を行き来していました。

 そもそも冒頭でも触れたように、縄文時代は貝塚に代表されるように水産物を多く食べていた期間。例を挙げるとキリがないくらいに、沢山の海産物痕それを捕獲するための釣針や石錘(漁網等の重しに使う石器)などが発掘されています。
 例えば横須賀市夏島貝塚からは大量の牡蠣殻+鰹や鱸や黒鯛などの魚骨、同じく横須賀市は平坂貝塚からは鯖や鰯などの小魚骨が発掘されました。勿論、捕獲のための釣針も出土しています。
 そして千葉市加曽利北貝塚からは大量の蛤等の貝殻、そして鱸や黒鯛や鰯や鯵の骨が。こちらでは漁網用と考えられる石錘が発掘されています。
 ちなみに出土例は少ないですが岩手県は盛岡市萪内遺跡からは魞漁エリリョウ(障害物に沿って泳ぐ魚の習性を利用→人工的に作ったコースに魚を侵入させ行き止まりに誘導して捕まえる漁法)の跡が、東京都は東村山市下宅部遺跡からはウケ(魚が入ると逃げられないよう細工された水中籠)が発掘されていることから内陸地域=淡水でもしっかり水産物の捕獲が行われていたことがわかってきました。
 
 貝塚は知っていても、正直そこまで印象になかった縄文時代の漁業。
 こうして帰宅してから調べるくらい、今回の丸木舟たちによって私の中の印象がガラッと変わりましたね。
 変わったのと同時に、私の中では1つの思い付きが浮かんできました。
 それは、あったかもしれない縄文犬のお仕事について・・・

○縄文犬と漁業

 そもそも縄文犬は貝塚から発掘されることが多く、それこそ枚挙に暇がありません。
 関東だけでも茨城県は於下貝塚・千葉県は有吉北貝塚+西広貝塚・神奈川県は宮谷貝塚+上ノ宮貝塚+羽根尾貝塚、更に東北地方を入れると大変多くの貝塚から縄文犬たちが発掘されてきました。
 つまりこれは、縄文犬たちの活動地域で漁業が行われていたということを示しています。
 ここで私が思ったのは、縄文犬たちも漁業に関わっていたのではないか?という疑問でした。
 実際に世界を見渡せば対鳥や対哺乳類の猟犬だけでなく、漁業に関わる犬も見られます。漁犬/フィッシュ・ハーダーと呼ばれる犬種としてポルトガルではポーチュギース・ウォーター・ドッグが、チリではフィージアン・ドッグなどが魚を網に追い込むなど漁業をサポートしていました。
 ちなみにオバマ元大統領がファースト・ドッグとして選んだのはポーチュギース、名前はボーです☟

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 そして国内では室町時代、犬牽の前身である〝犬飼/犬養〟が担当した鷹犬(鷹狩にて獲物を追う専門猟犬)である獺丸オソマルがいました。
 獺丸は名前の通り犬と獺/カワウソの間から産まれた犬です。その出自から、水中を自由に泳ぎ獲物である鯉を追い回すことが出来ました。
 相棒は、魚類を狙える珍しい猛禽類であるミサゴと大鷹のハイブリッドである〝鯉丸〟です。
 はい、皆さんも勿論わかるように獺丸は室町時代から鷹狩説話に登場するようになった架空の鷹犬です。
 しかし、まったくの作り話かと言えばそうではありません。元ネタ、オリジナルがいたと考えられています。
 説話に記された獺丸誕生の地は〝大津の浦〟=現代の滋賀県大津市
 大津市で有名と言えば、琵琶湖ですよね。
 そんな琵琶湖には、元来多くの二ホンカワウソが生息していました。
 カワウソを使役して魚を獲る〝カワウソ猟〟が実際に中国などにありますから、獺丸の正体はカワウソとも考えられます。
 しかし「犬との間に産まれた」という逸話から、この案は却下でしょう。
 ここから導き出されるのはオランダのオッターフーンやイングランドのオッター・ハウンドそしてエアデールテリアなどの対カワウソ猟犬同様、二ホンカワウソを追って同じように水場を駆けまわり時には飛び込む犬たちがいたのではないか?ということ。彼らこそ、獺丸の正体なのではないでしょうか。
 実際にカナダはブリティッシュ・コロンビア州沿岸部のタイリクオオカミ泳ぐことで島々を移動しながらカニ・フジツボ・サケ・カワウソ・アザラシを捕食しています。ここから獺丸のモデル犬も二ホンカワウソだけでなく、川魚等を捕食相手にしていた可能性は十分に考えられるでしょう。
 ちなみに鶚もイギリスでは訓練して鷹狩に登場していたので、この説話自体が完全に作り物ではないということがわかりますね。

 長らく書いてきましたが、つまり縄文犬も漁業に関わっていた可能性はまるっきりの絵空事ではないということです。
 網に魚を追い込む、実際に自ら魚を捕らえる、貝などを収集する、そんな行為を縄文犬たちがしていたのかもしれません。
 ただ犬飼~犬牽の資料に在来犬たちが大の水嫌いという記録が多く記されているということ、そして現代の日本犬も水が苦手な個体が多く見られることから、漁業に関係した縄文犬も獺丸のモデル犬もかなりの少数派だったことは確実かと思いますね。

○最後に

 私は獺丸について多々論文を書いてきましたが、縄文犬との関連性についてはまったくもってノータッチでした。
 だからこそ今回の展示を観て新しい発想が育まれたことに、大変感謝しています。
 しかしまだまだ考古学的な証拠は少なく、後世の資料によって当時を補完するに留まることは事実。
 いつの日か新たな発掘+技術が進歩して、縄文犬の更なる姿が見えてくることを願うばかりですね。
 ではまた、どこかの美術館・博物館で。 

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