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好きなもの語りvol.04 - 共感の扉が開いた「タビと道づれ」

他人へ「共感」することを閉ざしたことはありますか?
また、再び「共感」をできるようになったことがありますか?

僕はどちらもあります

「共感」を閉ざしたきっかけは、子供から成長してゆく中での周囲の人間から受けた言葉や同調圧力
「共感」を再びできるようになったきっかけは、ある漫画を読んだことでした

そんな、「共感」の扉を開いてくれた漫画
「タビと道づれ」について語ります

尾道がモデルの「緒道」を舞台にして、そこに閉じ込められた人達の心を言葉にする

主人公の「タビ」は電車に乗って、
昔大切に想っていた「航ちゃん」という人に会いに、幼少期を過ごした「緒道」へ訪れます
辿り着いた「緒道」は同じ1日がループする閉ざされた空間になっていました
ループものですね

タビは非常に内向的な性格で自分の気持ちを他人に主張することが苦手です
なぜなら「言葉」で傷つくのが怖いから

自分の「言葉」も他人の「言葉」も、私を痛く傷つける

言葉なんて無くなってしまえばいいのに
と言います

緒道では、限られた数人(話の中では「セキモリ」と呼ばれます)だけが記憶を次のループへ持ち越すことができます

坂と海以外は何もない港町…
そこに暮らすセキモリたちとタビが「言葉」で心の内を伝えあってゆく

状況がね…似ていたんだよね…自分と
僕の育った街も、坂と海が多く閉塞感のある街…人口も同じくらいかな…
僕も言葉でのコミュニケーションが上手くいかなくてずっと悩んでいました

連載期間は2006年〜2010年のようです
僕が読んだのは、2012年〜2015年くらい、23〜26歳くらいの時に何度も読み返していたのですが、
タビにもセキモリの人たちにも全員、共感し、自己投影できるポイントがある

読み返すたびに、
また、読み返さなくてもこの漫画を思い出すたびに、
共感できる人、言葉が増えていったのです

なんかね、すごく共感できるものと出会えた後、
「共感の扉が開く」
感覚になれた

それまで他人に共感する力が弱かったのが、急にできるようになったというか…

そして、今その約10年後、
タビ達から受け取ったものを自分なりに育ててきた今、読み返して当時と変化した感じること…

登場人物への共感ポイントという切り口で語ってゆきます

カノコ

一番最初に読んだ時に、自分が過去にこう思っていたことが丁寧に言葉にされている…と感動したのはカノコでした
そして読み返した今また違う気持ちを抱いたのがカノコです

カノコは、
「普通」である自分に苦しんでいます
普通の頭、普通の容姿、普通の運動神経、普通の才能…
自分の親が、祖母がそうしてきたように、周りと比べて優れたところのない他人に誇れるものなんてない、譲れないほどの思い入れのあるものもない自分は、一生を緒道の海に看取られるだけの人生を送るのだ
と中学生ながらに思っています

2巻 program08 カノコと道づれ より
2巻 program08 カノコと道づれ より

セキモリはループに閉じ込められる時にひとつだけ願い事を叶えてもらえますが、自分には何もないと思っているカノコはそもそも何も願えませんでした

それゆえに、東京に行って劇団に入るのだと主張する幼馴染のユキタくんに、
東京に行っても無駄
学校でも浮いてしまっているユキタくんに他の人の何倍もの努力や才能が求められる俳優になんてなれっこない
夢という言葉で現実逃避しているだけだ、ユキタくんにも何もない
という言葉をぶつけます

この気持ち、わかるんですよね

僕も同じことを思っていました、大学生のはじめくらいまではほとんど同じように思っていたかもしれない

周りの人と比べてもさほど突出していないと自分でもわかっている
自分の周りの人たちも、今まで自分のことをそのように扱ってきた
ゆえに、成功したり夢を追うことのできる人は自分とは遠いところにいる関係のない人で、自分の身近にいる人達も自分と同じように本当は何もない人間なのだ、いやそうあってほしい

でも、それがたまらなく苦しい

それならせめて、自分と同じ何もない人間が欲しい
一緒に苦しんでくれる何もない人間の道づれが欲しい

2巻 program08 カノコと道づれ より

これも、過去の自分だなと思うんです
テレビやインターネットの先の人達は突出した才能や、譲れないものがあってそこに向かって一直線に努力ができる
でも自分にはそんなものはない
自分の周りの人も同じだと思っているから、身の回りの人で無謀とも思える夢を唱える人のことを斜めから否定的にみてしまうんですよね

しかし、カノコはユキタくんに上記の話をぶつけて自己主張することができるのです

自己主張の苦手な主人公のタビにとっては、
自分の気持ちを他人にぶつけることのできることはすごいことだとカノコに言います

2巻 program09 カノコと傷跡 より

僕はタビの気持ちもとてもよくわかります
自分の気持ちを相手にぶつけるのは怖いことです
なぜなら受け入れてもらえないことも多いから
受け入れてもらえないことは傷つくことだからです

相手に自分の気持ちを躊躇わずにぶつけることのできる人のことを羨ましいとも思います


そのタビに対して、
カノコは、違う、自分はユキタくんに自分の傷を押し付けたかっただけだと言います
ユキタくんを傷つけてユキタくんが平気だったら自分の傷も平気になる気がしたと

そこでタビは気づきます
他人への言葉は全て、受け取る側からすると刺激なのだと
人は刺激を受けると痛みを感じます

人とコミュニケーションを取ることは、傷つけあうことなんだ
痛いことなんだと

でも、刺激の中には心地よい刺激もある
優しい言葉や素直な自分の気持ちをただ伝えることもある
それも確かに痛みだけれども、優しい痛みなんだ
と気づいたことをカノコに伝えます

そこでカノコはユキタくんに自分の傷を押し付けるような言い方でなく、素直な言い方で自分の気持ちを伝えるのです
すると何もないと思っていた自分の押し込めていた気持ちが涙となって表に出てきました

2巻 program10 タビと傷跡 より
2巻 program10 タビと傷跡 より


この話がとても好きでした
人とコミュニケーションを取ることは、それどころか生きることは外部からの刺激を常に取り入れることであって、
それは大なり小なり傷つくことなんだ
という視点がそれまで無かったのですよね

人とのコミュニケーションで傷つくことが多かった
自分の何気ない言葉で人を傷つけることも怖かった
でも、コミュニケーションはそもそも傷つけ合いなんだ
それでも、優しい痛みに出会えるように期待しよう
と捉えると、前向きな気持ちになれました



一方、10年経った今読み返すと、若干この話、複雑な思いを抱きます

自分はどこにも行けない
一生、何も無いままここで生きていくしかない
仕方ないと受け入れてはいるつもりだがそれが苦しいことでもある

昔は気づかなかったけれども、自分の周りにいた田舎町に育って住んでいた人達は同じような気持ちを持った人も多いのではないかと今は思っています

自分もそうだったし、自分の周りにもカノコがたくさんいた

自分には何もないことへの道づれをお互いにし合う、がんじがらめです
ユキタくんの足を引っ張ろうと一生懸命になるカノコを見ると、心がざわざわしてしまう…
あの、港町のあの感じを思い出してしまう

みんながカノコちゃんのように素直に気持ちを表出できるようになればいいんだけどね…


ニシムラさん

ニシムラさんは初めは、大人としてタビ達を諭す保護者的な立場として登場しますが、
後々、とても拗らせて屈折した人間だということが判明します

昔、ネットミームになってたらしいね…どうしようもないロリコンの末路として…

ニシムラさんは学生時代、
「自分はいてもいなくても良い、誰の記憶にも残らない存在だ」
と思ってしまいます

学校のクラスはみんな楽しい仲良しクラス
ただし、そう感じているのは中心にいる人たちだけ…

同じように中心にいない立場の友人との愚痴り合いにも、
「自分はその他大勢の人間だから」と最初から諦めています
妬みや羨望・不公平な状況への不満の感情を共有することもできないのです

そんなニシムラさんは、
「人の存在は記憶に依る」
「自分は誰にも今後、覚えていてもらえないのだろう」
「そんな自分は存在していると言えるのだろうか」
と思っています

4巻 program23 ニシムラさんと道づれ より
4巻 program23 ニシムラさんと道づれ より

そんな中、同級生にいじめられていたツキコという小さい女の子を助けます
ツキコにお兄さんは私のお巡りさんみたいと言われ、ニシムラさんは自分の役割を見出し、警察官になります

ここまでだと良い話なんですが、
ニシムラさんはツキコを守りたいという気持ちが、だんだん恋に変化してしまうのです
でも、成長したツキコは他の男性へ恋をしていて、ニシムラさんはツキコの隣にいられるのは自分じゃないということを突きつけられてしまいます

そうなると、せっかく見出せた「ツキコを守る自分」という役割が必要のないものになってしまい、
学生時代の
「自分はいてもいなくても良い、誰の記憶にも残らない存在だ」
という思いがまた復活してくるのです

その結果、ニシムラさんはツキコさんのことを遠くから観察して見守るだけという名目のストーカーと化すのです

僕は、ニシムラさんの学生時代の話に共感していました

学校のクラスって残酷ですよね
目に見えて楽しめる側と楽しめない側の格差が生まれてしまう
それがそのままその集団での強者・弱者としての力関係になり、強者は弱者を無邪気に虐げることを時にします
僕も楽しめない、弱者側だった

でも、僕の場合は妬みや羨望・不公平な状況への不満の感情を他の同級生と共有することはしていました
でも、そういう弱者同士の関係ってその先がないんですよね
カノコの、
一緒に苦しんでくれる道づれが欲しい
の縛り合いをするだけの関係になりがちです

別にひとりぼっちではない、だけれども誰とも心を通わせることができない

この状況が続くと、自分は誰の記憶にも残らない、いてもいなくても良い
という気持ちになる
それは絶望というよりはじわじわと少しづつ苦しみ続ける、真綿で首を絞められるような苦しみとなるのです

ニシムラさんの
ツキコを守るという存在意味を見出したが、
その後、自分が必要とされていないことを実感する気持ちは、
読んでいた当時はわからなかったけれども、今ならわかります
というか少し何かが違っていれば自分もニシムラさんだったんじゃないか…

ニシムラさんのその後は、結局カノコに怒られ、ユキタくんに諭され・必要だと言ってもらい、ツキコさんに告白をして振られてしまい、目が覚めます


同じような気持ちを抱きつつも、行動をしてタビとの話で前向きになれたカノコのニシムラさんへの言葉が好きでした

5巻 program27 タビとわるもの より

ニシムラさんは、諦めと苦しみの中で自己陶酔を続けることと、
現状を変えずに前に進まないことを選びました

そんな不健全な状態を否定して、
弱者が前向きに努力してゆこうって言葉ですが、こういうのって誰がいうかだと思うんです
ニシムラさんと同じ気持ちを味わったことのある上で、なお前を向こうとしているカノコが言うから意味があるのです

そんなニシムラさんですが多分何もかも諦めていたわけではなかったんですよね
学校でも浮いてしまい、夢も親に否定された時のユキタくんをニシムラさんは過去に励ましました

その言葉をユキタくんは自分なりの解釈をしてニシムラさんに励まし返すのです

3巻 program17 タビと同刻 より
5巻 program30 ニシムラさんと始まり より

この言葉も好きです

カノコとニシムラさんの共通点

カノコちゃんもニシムラさんも、共通点として
自分の育ってきた環境の中で自分のいる価値を見出せていないんですよね
もっと言うと他人に満足に自分の価値を肯定してもらえなかった
人は他人から価値を見出してもらえないと「自分には何もない」と感じてしまうのだと思います

最近、
今でもこの、「自分には何もない」マインドがまだ自分の中に残っていることに気づきました

僕の現状を客観的に見ると、
・自分で気に入っている都市に住んでいる
・ベストではないけれどもまぁまぁ気に入った仕事をしていて、職場の人間関係も悪くなく、一定以上の役職や評価をもらって認められている
・仲の良い人と結婚して家庭生活は円満。なんでも話しあえる
・趣味の分野でも表彰されるくらいの成功は果たした
・これらの得てきたものは環境に恵まれたのでなく、努力で成し遂げてきたと思える

外から見ると何も無いわけないだろうと見えるのですが、
・過去に他人とのコミュニケーションがうまくできなかった
・過去に他人に重要な存在だと思ってもらえなかった
という点で、他人への劣等感がまだ心の奥底にあり、それが今までの全てを否定してしまう

今まで他の様々なもので代替してこの劣等感を埋めてきたのですが、根本的に改善しないと何かのきっかけや代替のものがなくなった時に顔を出してしまうようです

それをどうにか払拭したい
過去でなく、今を見て受け入れたい
それでも足りないと感じる箇所はこれからの行動で補填したい
前向きな気持ちになりたいと思い、もう一度、タビと道づれを読み、この文章を書いています

タビ

タビは主人公です
緒道にやってきて、ユキタくんとニシムラさんに出会います
はじめは、二人のことを怖がって碌に話すこともできず、
ユキタくんとニシムラさんのサポートを受けながら、目的の航ちゃんを探しはじめます
そのようにしながらも、少しづつ周りに自分の意思を言葉で伝えていけるようになってゆくのです

タビがこのようになった要因は家庭環境と友人関係、
そして現実の物事を自分の内的世界の言葉で表現してしまう気質にありました

2巻 program12 タビと意味 より

学校で友達ができたこともあった、
その友達にこう伝えるのです、
自分たちの関係は授業で習ったうお座の正座の形に似ている教室の海の中で離れないように尾と尾を結んで離れないようにしているのだと

友達はタビの言葉にはいつもポカーンといった様子です
そして、その友達は
スクールカースト上位のグループに
ひとりでくるのなら入れてあげると言われ、
タビのことは正直何を行っているかわからなくて困っていた
と言います

そうして、タビは
ある日自分の弁当箱がなくなり、それがゴミ箱の中から出てきたことを発見しました
いじめですね

そんなタビにも心の拠り所がありました
それが航ちゃんです

航ちゃんは学校の臨時教員ですが、プラネタリウムの維持管理をしている仕事の人のようです
タビは嫌なことがあると航ちゃんに会いにゆきます
嫌なことの話をすると、航ちゃんはタビの内的世界と同じ感性の言葉でタビのことを慰めます
そして、航ちゃんはタビと一緒に作ったプラネタリウムの新プログラムを上映することでタビを励まそうとします

でもタビは母親に言われます
そのプラネタリムの新プログラム上映日は引っ越しするから見に行けない、と

タビはシングルマザー育ちで母親はタビに無関心なのです
おばあちゃんと母親が、子供さえいなかったらね
と電話で話していたことを聞いたことがあるとタビは言います

5巻 program28 タビと願い より

そんなタビは引っ越し後の街でも上手くいっていないようでした
それで学校に行く前に反対側の電車に乗って5年ぶりに航ちゃんに会いにきたのです


タビは、困ったことがあっても誰にも助けを求められない、
でも自分でなんとかすることもできない
そんな自分のことを嫌いだと思っていました
私が私じゃなければいいのに
と言います

そんなタビですが、
ループする緒道は不思議な力で通れない道が多くなっており、航ちゃんのいるプラネタリウムに辿り着くためにはセキモリの人達にテガタと呼ばれるものを分けてもらわなければいけません

タビの目的は航ちゃんに合うことですが、その過程でセキモリの人たちの悩みに一緒に巻き込まれます

セキモリの人たちやユキタくんには
タビが自分の内的世界の言葉で話しても、一生懸命にあれやこれやと困難を乗り越えながら言葉を重ねて最終的には言葉が伝わります

そうして、タビは「言葉」で伝えることの大切さ、ありがたみ、方法を身につけ、自信をつけてゆくのです

最終的には、
実はループする緒道はタビから見ると5年前の世界だった
航ちゃんは5年前に事故で死んでいた
タビが航ちゃんに会いたいと願ったから5年前の緒道にきた
という事実が判明して、
タビの絶望→セキモリやユキタくんの励まし→元の世界に戻る→緒道で得た「言葉」で現実の世界で頑張る→その結果を報告しに現在の緒道へ
で物語は終わります

タビへの共感ポイントはまず、その性質です
そして、自分の中では普通と思っている言葉が他人にとにかく伝わらないと感じる
そんな環境を引き当ててしまったことだと思います

その環境に居続けると人に物事を伝えること自体が怖くなってしまうんですよね
そしてその環境から逃げることのできない状態が辛く、世界全てがその環境のように感じてしまいます
そうなると、他人に助けを求めても助けを得られないと思い込んでしまう、むしろ助けを求めてより傷つけられてしまう可能性や相手に迷惑と思われる可能性にばかり目を向けてしまうのです

僕ははじめ読んだ時、この主人公のタビと自分が似ていて、自分みたいだなと思っていました

そんなタビは
5年前のループする緒道でセキモリの人たちに助けられて、助けて、伝え、伝えられ、自信をつけてゆきます
漫画であって現実にあり得ないこととはいえ、この状況が羨ましいなと思いました
ループするってことは現実の時間が進まないってことです
そんな状況で、自分にまともに取り合ってくれる人が何人もいて正しく成長するための機会が十分に与えられるんですよね
それって理想的な環境じゃない??
タビにとってはやっと必要な環境が得られたんです

なんにせよ、タビは緒道でも現実世界でも一生懸命頑張ったのです
タビと一緒に傷ついたことから立ち直る経験を追体験できたような気がしました

僕はタビにとても勇気つけられました
ループする緒道も、セキモリの人たちもいないけれども
自分も頑張ってみようと前向きな気持ちになれました

その延長線上に今いると思います

ツキコさん

ツキコさんは、地元の大学2年生、タビ達から見るとほんわか系のお姉さんです
タビの航ちゃんは、ツキコさんから見ると、高校生の時の家庭教師、航一さんです
航一さんのプラネタリウムをよくお手伝いしていて家にも入れる仲で、ツキコさんは航一さんに恋愛感情を持っています
しかし、明言されていないけれどもおそらく付き合っているわけではなく、ツキコさんの片想いのように見えます

決定的な関係になっていない理由は、ツキコさんから見ると航一さんはツキコさんだけでなく、みんなに平等に優しいからなんですよね
みんなに平等に優しいということは自分に特別興味があるわけではない

しかし、ツキコさんは自分だけの特別な居場所が欲しいと内心渇望しているのです
これは自然な感情だと思いますが、ツキコさんの場合はその感情が大きすぎる、でも表に出さないように抑圧している
なので、航一さんと居たいけれども、いてもちっとも幸せではないのです

ツキコさんの自分だけの居場所が欲しい感情が大きすぎる理由は、親との関係にあります

ツキコさんには幼い頃に死んでしまった姉がいました
自分より優秀でなんでもできる姉だとツキコさんは感じていました
ツキコさんの親はその姉が死んでしまった悲しみからツキコさんのことをその姉だと思い込みます
ツキコさんは親が自分より優秀な姉のことを愛していると感じていました
そこで、親に愛されたいがためかその姉を演じることにしたのです
本当の名前はヨウコですが、今の今まで姉の名前のツキコを名乗り続けてきました

航一さんのことが好きな理由は、自分のことを名前で呼ばないからです
それをツキコでもヨウコでもないただの自分として受け止めてもらえそうだと感じたのでしょう

そんなツキコさんに別の視点をもたらしたのは、なんとストーカーのニシムラさんです
カノコちゃんとユキタくんの叱責・励ましによって前に進もうという気持ちになれたニシムラさんは、今までのことを全て話し、ツキコさんに告白します

ツキコさんはそんなニシムラさんを気持ち悪いといって拒絶します

しかし、同時に
今まで誰かに受け入れてもらいたいとばかり思っていたけれども、
自分が他人を受け入れることで自分自身で自らの居場所を作れるかもしれない
ということに気づきます
ニシムラさんの恋が成就したかは明言されていませんが(多分ダメな感じのような…)、ツキコさんはニシムラさんの思いを形はどうあれ受け入れたのでしょう
それはツキコさんに重要な気づきをもたらし、ツキコさんはそれで少し救われました

僕は、はじめ読んだ時はツキコさんには共感ポイントは無かったです
ツキコさんだけよくわからないな〜と思っていました


しかし、その後、他人を受け入れる経験をしました
その時に、ピンと来たのです
「他人を受け入れることで自分で自分を肯定できる=居場所を作れる」
ということを言っていんだなと思いました

タビとツキコさんの共通点

ツキコさんとタビの共通点は、家庭になかった心の安全基地を求めたことではないでしょうか

どちらも自分のありのままを親が受け入れてくれなかったのです

そして、それを航ちゃん(航一さん)に求めたのですね

航ちゃん(航一さん)のスタンスは
自分が「気休めになるならよい」
です
逃げ道を作ってあげよう
ということですね

そして、タビもツキコさんにとっても航ちゃん(航一さん)は安全基地として機能しそうに見えますが、精神的に依存するにとどまっていたような気がします

そして、航ちゃん(航一さん)の死でどちらも自暴自棄になってしまう

安全基地としての適切な振る舞いや、航ちゃん(航一さん)の不足箇所を補う誰かが、他に必要だったのだと思います

クロネくん

クロネくんは5年前のタビの同級生です
5年前のタビのことを泥棒と言います

クロネくんはいじめられていて友達のいない、5年前、小学生のタビにとても親切にしていた男の子でした
学級委員長で優等生として振る舞ってきた延長でやっていたようですが、タビは親切に対して無視するような行為を繰り返していました

クロネくんはそれほど意に介さずに優等生として頑張ってきたのですが、なぜだかクラスの他の子たちに陰口を言われて仲間外れにされるようになってゆきます

そうなった時にクロネくんが怒りを向けたのは5年前のタビでした
僕があいつに親切にしてやったのにあいつは何も返さない
だからあいつは泥棒だ
とクロネくんは言います

クロネくんは他人に、もっというと親に認められかったのです
テストでいい点をとっても優等生と呼ばれて学級委員をやっていても、
それを報告しても親の対応が表面的だったから、満足に受け止めてもらえなかったと感じています

クロネくんはある日、タビが航ちゃんに優しくしてもらっている場面を見ます

自分が認められるためには頑張り続けらければいけない
でも、クロネくんから見て頑張っていない、与えられるだけで何も自分に返してくれない5年前のタビが、
クロネくんの欲しかった他人からの受け止めを何の努力もせずに得られている
という風に見えてしまいました

3巻 program16 クロネと道づれ より
3巻 program16 クロネと道づれ より

これ、わかるよね
今でもそう思うことが多い
自分から見て努力をしていない他人が何もせずに自分の欲しいものを得ている時の気持ち
自分はこんなに努力しているのにずるい、不公平だと思ってしまう

そんなクロネくんを諭すのは、
タビにとっての航ちゃん、ツキコさんにとっての航一さん、
クロネくんにとっての小津先生です

小津先生は、クロネくんにあの子(5年前のタビ)から欲しかったものがあったんだねと言います
でも、クロネくんは今手のひらをぎゅっと握りしめている状態だ
手のひらを開かないと相手から欲しかったものは得られないというのです
あの子はクロネくんに伝える勇気はなかったけれど、クロネくんに感謝していたよ
とも伝えます

そんなクロネくんに現在のタビが
その子は5年前の私だった
あの頃は世界の何もかもが怖くてクロネくんに差し出された手さえ怖かった
それがクロネくんを傷つける行為だったと今ならわかるからごめんなさい
と謝ります

クロネくんは小津先生に諭されたように、タビの謝罪を素直に受け取り許すのです

タビが可哀想な被害者なだけでなく、他の人から見れば加害者になることもあること、それに対して言葉で謝罪の気持ちを伝えて許してもらう過程が見えたのが良いですね


人との繋がりは、「与えること」と「与えられること」の相互関係という面もあると思います

まず誰かに与えてもらえることが必要で、誰かに与えられたものと同量を他人に与えることができる
与えてもらえずに与えることばかりすると辛くなります
与える量の方が大きすぎても辛くなるのですね

ただし、与えられたものを受け取れるか、与えても嬉しい気持ちになれるかは
与えられる/与える側にも準備ができているかが必要となるのではないでしょうか?

クロネくんにとっては、小津先生によって準備が、
タビにとっては、クロネくんに謝るまでの他の人との関係によって準備ができた
そこで初めてタビとクロネくんは繋がり合えたのだと思います

10年経って読んでみて

読んだ当時は、共感できるカノコやタビやニシムラさんが好きでしたが、
今はユキタくんが好きです

ユキタくんは単体で見ると、ただの向こう見ずな若者…なんですが、
タビやカノコやニシムラさんから見るとそれぞれが前を向くために重要な役目を持っています

タビからすると、
ひとりでは動けないところを強引にでも引っ張っていってくれる
それでも、ただ強引に考えを押し付けてくるのではなく、
自分の主張をするとちゃんと聞いてくれて自分の主張にも理解を示してくれる

航ちゃんは安全基地だったのですが、ユキタくんもまた安全基地なのです

航ちゃんはただ、受け入れてくれる、
本当に辛い時はそれが一番ありがたいのですが、それだけだと前に進めないんですよね
前向きになるためにはユキタくんのような人が必要なのです


カノコからすると、ユキタくんは自分の無力感を全力で投影してぶつけるという依存的な恋?の相手です
ツキコさんから航一さんへの気持ち似ているんですよね
でも航一さんはツキコさんの好意には多分気づかずに優しくし続けるという曖昧な関係を続けてしまっていたのでツキコさんは前に進めずにいました
カノコはしっかりとユキタくんへ気持ちをぶつけつつ、ユキタくんはその無力感の道づれにはなれないとはっきり否定するのです
結果がはっきりすると次に進めますよね

ニシムラさんからすると、自分に価値を与えてくれる相手です
ニシムラさんが何気なく言ったユキタくんへの励ましの言葉がそのままユキタくんからニシムラさんへの励ましの言葉として返ってきます
全他人にとって自分はどうでも良い存在だと感じていたニシムラさんにとって、ユキタくんは初めて自分の価値や意義を感じさせてくれた相手だったのですね
それを実感できたからニシムラさんは次の行動へ移せたのです

内向的で自己効力感の薄い、自分では動けない立ち止まりがちな人間にとっては
ユキタくんのように向こう見ずでやや強引、しかし、押し付けるだけでなく、こちらにもちゃんと寄り添ってくれる
そんな人が必要なんです!受け入れてくれるだけの航ちゃんのような人じゃあ不足なんじゃないかなと思います

そんな役割を担っているユキタくんが好きです

そういや話逸れるけど、
航一さん、小津先生こと、航ちゃん
だけ重要人物なのに内面が掘り下げられていないんですよね
絶対に闇深いだろこの人も…
五年後の緒道にきたタビがみんなと航ちゃんが本当はどんな人だったのか知っていく続き書いてくれないかな、たなかのか先生…


必要なタイミングで必要なものに出会えるのは珍しいのでは?

「タビと道づれ」は20代前半頃の自分の心の支えとなった漫画でした

でも、この漫画に出会うタイミングがそれよりも早くても遅くても、ここまで思い入れはなかったと思います

出会うタイミングが早いと人の心について考えることに興味を持てず内容を理解できなかったかもしれません

あの時のタイミングで「タビと道づれ」に出会い、
僕は他人と「言葉」で繋がることに前向きになれる、
その種を撒いてもらったような気がします

それがなく、出会うタイミングが遅いと言葉で他人と繋がることに前向きになれず、気持ちを閉ざしてしまっていて入ってこなかったかもしれません

ちょうど、孤独で、自分の今までの生育過程を考えたくて、自分と世界のギャップに悩んでいて、作中の登場人物と近い視点で物事を考えられるタイミングで出会ったのですね

当時のネットの口コミなどを見てもこの漫画は刺さる人と全然刺さらない人がいたようです

自分のちょうど良いタイミングで自分と合った内容の創作物に出会えることは多くない
今後もそういった出会いがあれば大切にできたらな〜と思っています


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