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テロメア。【再掲】

SF風味のヒューマンドラマ小説です。少女への虐待描写、猫の死の猫写を含みます。

 独りぼっちは、寒い。肌がひやりとして、ピリピリと引き攣れるよう。
 五十年前。この世界から、「ニンゲン」は消えてしまいました。

「……おはよう、メア」
「なーん」

 私は明るい日差しで、いつも目を覚まします。時計は必要ありません。だって、時間はニンゲンが勝手に作った概念なのですから。大勢の人々が混乱なく動くためのそれは、もう役目を終えていました。
 ベッドの上に飛び乗ってきた年寄りの猫・メアは、私の呼びかけに気だるげな鳴き声を返します。この子は「七匹目のメア」です。
 前足で布団を踏みながら、ゴロゴロと喉を鳴らすメア。私はそっとブランケットを捲りあげ、ベッドから抜け出しました。
 引き出しから固形の栄養ブロックを取り出して、床に置かれた皿に載せます。するとメアはすぐに駆け寄ってきてガツガツと食べ始めました。
 とても美味しそうには見えない(実際、味見をしても旨味は感じられませんでした)餌をぺろりと平らげて、満足そうに毛づくろいを始めるメア。グレーのふんわりとした尻尾がゆらゆらと揺れています。

「貴方の寿命、どんどん短くなっていくわね」
 
 一匹目のメアは十三年生きました。
 二匹目のメアは十年生きました。
 三匹目のメアは八年、四匹目のメアは七年……。

 同じ遺伝子を使い回して、生み出されたクローンは代替わりするごとに状態が劣化していきます。
 七匹目のメアはほんの三歳を過ぎたところで、認知症の症状を呈しました。既に歩く事もままならず、尿失禁もしょっちゅう。
 けれど、私はメアを永遠の眠りにつかせることを直ぐには決断できなかったのです。

 だって、そうでしょう?

 マッド・サイエンティストの烙印を押され、迫害されていた科学者は復讐のためにあらゆる命を滅ぼしてしまった。
 この地上で生き残ったのは、実験体として不老不死の体に作り変えられた私。そして愛するメアだけ。
 メアが消えてしまったら、悠久の孤独に溺れる運命――そんなのは耐えられない!

「ん、るる。ぐる……る」

 ある雪の夜。七匹目のメアの体は、とうとう冷え切ってしまいました。脈拍もなく、尻尾までカチカチに硬直していくメアを見て、私は泣きました。
 ……けれど、涙の量が死別の回数を追うごとに減っていく事に気付き、自分の薄情さを軽蔑したのも確か。
 メアを失うことに慣れ切って、感情が動かなくなっていく。――それでは最早私はただのモンスターではありませんか!

 どこまでも自分勝手な飼い主から解放されたメアは、もう生まれ直すことはありません。
 私は身を裂くような孤独に晒されても、ニンゲンらしさを守ることを選んだのです。

【もし、この手記が誰かの目に触れたなら。】
【その生き物は私をどう評するでしょうか?】

 最愛の妻・エミリアを失った僕はカレッジに入り直し、再生医療の研究を始めた。
 正直、現役時代の成績表は凡庸だったけれど。世の中を渡り歩いてきた今は、難解な学問の活用法も分かっている。

「一から人体を組み直す万能細胞を作る。……君を蘇らせて、もう一度この腕で抱きしめたいんだ」

 臓器を万能細胞で作り出すのは躊躇わないのに、どうして命――すなわち人間そのものを再生させるのは禁忌なのだろう? 技術者倫理の講義を聞く度、胸の内に広がるのは偽善者たちへの怒りだけ。

「僕には解らない。解りたくもない!」

 いつしか凡人達は僕を「マッド・サイエンティスト」と呼び、迫害するようになった。カレッジも三年時に退学処分を受けた。
 研究費用は貯蓄を切り崩せば捻出できたけれど、データを取るためには実験体モルモットも必要だ。結局、僕は人買いから「A」と呼ばれる女の子を買った。業者の人間はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべていたけれど、勿論妻以外の人間には欲情なんか出来やしない。

 ともかく僕の所有物となったAに、酸やアルカリ、放射線を浴びせた細胞を移植する。更に数え切れない劇薬を飲ませる内に、彼女は年を重ねなくなった。
 完成した奇跡のサンプル――常に影を漂わせる、あどけない横顔。それを見詰めると、いつだって僕は強烈な達成感に満たされる。

 出来るだけAを「長持ち」させたくて、僕は話し相手の猫を買い与えた。マンツーマンでの授業も行い、自己防衛の手段からゲーム理論、化学物質の命名法まで教え込む。
「いよいよ今日からは、生きた動物を使うよ。植物のクローンを作るより、手順には繊細さが要求される」
「元の細胞を採取する時、痛いんじゃないの……?」
「そうだね。けれど、それもほんの一瞬の事さ」

 デスクの上に置かれたケージには、まず小型のラットを入れた。次にインコやウサギを……。Aは優秀な生徒で、実験中には決して失敗しない。メスを握る右手が震えても、僕の指導には食らいつく。ベッドの中から時折聞こえてくる啜り泣きは、満ち足りた日々を過ごせる感動によるものなんだろう。

 また同時に、エミリアの再生に向けた研究もスムーズに進んでいた。生前の記憶の引き継ぎまでやり遂げて、僕はエミリアは無事蘇るものと信じた。まさか、失敗なんて思いもよらなかったのに。
 目覚めた「それ」は、ほんの数時間で僕からの愛情を投げ捨てたのだ。

「無理なの。今の貴方を、私は愛せない……」
「待ってくれ! まだ君は目覚めたばかりで、混乱しているんだ」

 取り縋る僕の手を払い除け、「それ」は泣き叫ぶ。無表情なAを何故か抱き寄せ、庇うようにしながら。

「どうしてだ! 何故ここまで拒む?!」
「解らないのなら、貴方はもう私が知っているダニエルじゃない! ただの『狂人』よ!」

 白布を素手で割くかのような、残酷な言葉。僕の頭は一瞬で真っ白になり、やがて――確信する。

「残念だ。……君はエミリアの形をした失敗作でしかない」

 持てる能力を、最大限活用したつもりだった。犠牲だって払った。それでも、結局生み出せたのはまがい物でしかないのなら。

「こんな世界に、もう意味などありはしないよね……?」

 もうじき、ぼくはしんでしまうみたいだ。

 ぼくらは、ずっとふたりぼっちだったね。
 なきむしなきみをおいていくのは、ちょっとしんぱいだな。

 ……ねえ。ちょっとしかいきられなかったけど、どうしてだろう?きみとはずぅっとながいあいだ、なかよしだったきがするんだ。

 だから――もしうまれかわれるなら、ぼくはまたきみのもとをめざすよ。
 そのときは、いっぱいあそぼうね。やくそくだよ?

【いとしい「エイミー」へ】
【きみのしんゆう、メアより】

以前、小説投稿サイトをジプシーしていた頃に書いた作品をこちらに上げ直そうと思っています。
今度こそ長く続きますように。

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