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【島の歴史と自然にふれる徒歩旅行!】友ヶ島|『京阪神発 半日徒歩旅行』1コース全文無料公開!

歩いて、見て、知って、ちょっぴり心がリッチになる半日徒歩旅行ガイドの決定版!
2021年11月刊行『京阪神発 半日徒歩旅行』(佐藤 徹也)より、「友ヶ島 明治から昭和にかけて、数々の戦争遺跡を残す島をプチ探検」を全文無料公開!
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「友ヶ島」明治から昭和にかけて、数々の戦争遺跡を残す島をプチ探検

友ヶ島は紀伊半島と淡路島の間、紀淡海峡に浮かぶ島だ。沖ノ島、地ノ島、虎島、神島の四島からなり、いずれも基本は無人島。そのうち沖ノ島だけは定期船が就航しており、季節営業の宿やキャンプ場など観光施設も用意されている。

島の歴史は古く、神功(じんぐう)皇后が海難を避けたという伝説が残されていたり、修験者の行場ともなってきたが、やはり特筆すべきはこの島の立地が大阪湾の喉元に位置するとあって、明治から太平洋戦争にかけて数々の砲台や探照灯、聴音所が構築され、今もその痕跡を残していることだろう。そんな戦跡を巡りながら、この島を歩いてみた。

最寄り駅は南海電鉄の加太駅。改札を抜けた瞬間に穏やかな潮風が頬をなで、南へ来たことを実感する。港へ向かう加太の街並みも、古きよき漁村の面影を漂わせていて魅力的だが、まずはフェリーの時間があるので港を目指す。

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加太と友ヶ島を結ぶ船上から西を望む。友ヶ島の背後に長く横たわる巨大な山並みは淡路島。同じ島でありながらスケールの違いに驚かされる。かつては両島の要塞が大阪湾口への睨みを利かせていた。

加太港の眼前に見える大きなふたつの島が地ノ島と沖ノ島だ。虎島と神島は沖ノ島に付随する立地なので、近づくまではなかなか判別できない。船はそんななかを縫うように進み、やがて沖ノ島の野奈浦桟橋へ着岸。桟橋から島内へはいくつか道が分岐しており、乗客はそれぞれ三々五々に散っていく。今回は主に戦跡を巡りたかったので、島の西側を巡るルートを選ぶ。島内には指導標がしっかり整備されていて、それだけでも歩くことは可能だが、やはり地図を持っていたほうが探検気分は盛り上がるだろう。

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島の北側に向かって視界が開けた展望台には、多くの人が立ち寄っていた。目を向ければ西には大きな淡路島、眼前には大阪湾が広がり、その奥には六甲の山並みがくっきりと見えた。

歩き始めていきなり、道端の樹上をかけ登る生物を発見。目を凝らしてみるとタイワンリスだ。タイワンリスはその名の通り外来種。関東でも伊豆大島などで繁殖して問題になっているが、ここにもなんらかの方法で上陸したのだろう。ちなみにこの島には、ほかにもシカやクジャク(!)もいるそうだ。シカはともかくなんでクジャクがと思ってしまうが、過去にこの島をリゾート・アイランドとして開発、挫折という歴史があったそうで、クジャクはその置き土産らしい。当時はまだ今ほど生態学的な見地は普及していなかったとはいえ、クジャクかー。昭和にはエキゾチックな生き物の象徴だったんだろうな。

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友ヶ島西端に位置する第2砲台跡。外敵の大阪湾侵入を防ぐため、明治政府はここに強力な砲台を設置した。現在は崩落などの危険から内部に入ることはできないが、それでも当時の様子はうかがえる。

そんなことを考えながら歩いているうちに、第2砲台跡、そして第1砲台跡と呼ばれる場所に到着。これらはいずれも明治時代に外国艦隊の襲来を警戒して構築されたそうだ。第2砲台跡内部は現在立入禁止。横にいたおじさんによると「昔は入れたんやけどなー」とのこと。裏手というか海側へまわると、無残にも破壊されたコンクリートの巨大な塊が散乱していた。これは戦後に爆破処理された結果だそうで、砲台を守るコンクリートは厚さ2mもあったそうだ。第1砲台跡も内部には入れないものの、レンガ積みによるトン
ネルや階段は当時の様子を偲ばせる。

この第1砲台跡の近くにそびえ立っているのが友ヶ島灯台。明治3年に建てられたもので今も現役。夜になれば周囲の海を照らしているそうだ。2008(平成20)年には近代化産業遺産の認定も受けている。このあたりから道は次第に登り基調に。とはいってもこの島の最高地点は120mにすぎないので、のんびりした山歩きといったところだ。

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島の南側の小径を辿っていくと現れる旧海軍の聴音所跡。ここから海中の異音を感知して、敵潜水艦の接近を警戒した。分厚い壁で強固に建てたぶん、現在も崩壊することなく残っているのだろう。

次に現れたのは旧日本海軍の聴音所跡。ここは大阪湾に侵入しようとする敵潜水艦の音を感知する施設だったそうで、崖の上に建てられたトーチカ状の建物にはいくつもの覗き穴が開いている。内部はざっくりとした間取りしか判別できないが、それでも「ああ、ここはトイレだったんだね」などと推測でき、こんな戦跡にも生活感が感じられる。

この先で島の一等三角点を越えれば、いちばんの見どころである第3砲台跡だ。尾根を削るような形で構築されたレンガ積みの構造物は、今もしっかりとその形を残していて迫力がある。友ヶ島を紹介する記事やテレビなどでも必ずといっていいくらい紹介される「お約束」の場所だ。戦時はここで「いざ本土決戦!」だったのだろう。

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友ヶ島で最も有名な戦争遺跡といえる第3砲台跡。実際の砲座は当時海側にあり、このレンガ造りの構造物は弾薬支援庫だった。一部は内部にも入れるが、照明はないのでヘッドランプ等が必要。

あとは九十九折りの道を下って起点の野奈浦桟橋へ。この島の道は概して幅広くしっかり造られており、これももともとは軍用道路として整備されたためだそうだ。

桟橋まで降りてきたとき、本当は売店で一服するつもりだったのに、今まさに出航しようというフェリーからの「急いでくださーい!」という声に、急いでもいないのに思わず「待ってー!」と意味もなく乗り込んでしまったのは、昔観た離島を舞台にした映画の離別シーンがついつい浮かんでしまったからだろう。

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