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神のもの:聖書をめぐる旅 11/20

11/20(土)
列王記下16章は、イスラエルの民が異邦人の神殿を真似るという暴挙から考えてみました。
詩編69編は、家族から理解が得られない時どうするか、私の場合傘をさすか、屋根の上で昼寝をするですね。 

列王記下16章 

10アハズ王は、アッシリアの王ティグラト・ピレセルに会おうとしてダマスコに行き、ダマスコにある祭壇を見た。アハズ王が祭司ウリヤにその祭壇の見取り図とその詳しい作り方の説明書を送ったので、 11祭司ウリヤはアハズ王がダマスコから送って来たものそっくりに祭壇を築いた。しかも祭司ウリヤは王がダマスコから帰って来るまでにそれを仕上げた。

→南ユダのアハズ王は、強国アッシリアに助けをダマスコに行きます。しかし、彼がしたことは、その地の祭壇の見取り図を送り、ソロモンの神殿があるのに、異国の祭壇を作ってしまいます。
 アイデンティティ(自分が何者であるか)は、人を動かすと思いますが、この行為は神様の民であることをすっかり忘れてしまった行為に思います。私たちは、自分たちが思うからキリスト者なのではなく、神様の言葉である「あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です」(1ペトロ2:9)を受け止めて前に進みたいと思いました。

詩編69編

6神よ、わたしの愚かさは、よくご存じです。
罪過もあなたには隠れもないことです。
7万軍の主、わたしの神よ
あなたに望みをおく人々が
わたしを恥としませんように。
イスラエルの神よ
あなたを求める人々が
わたしを屈辱としませんように。
8わたしはあなたゆえに嘲られ
顔は屈辱に覆われています。
9兄弟はわたしを失われた者とし
同じ母の子らはわたしを異邦人とします。

→神様を信じたときにおこることの一つは、家族からの猛烈なバッシングかもしれません。クリスチャンホームでない方には、多かれ少なかれ摩擦はつきものです。
一番近いと思っていた家族の信頼が得られないことの衝撃は大きいです。
しかし、この家族関係こそが最も難しいものかもしれません。
人類最初の人殺しが、カインとアベルという兄弟の間で起こったこともそれをあらわしています。そして、王が変わる度に、王権をめぐって家族の間で血なまぐさい争いが起こっていることを歴史はあらわしています。
 でも私は、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒言行録16:31)という御言葉を信じています。雨の日は傘を、吹雪のときはフードをかぶって、晴れるのを笑顔で待つことにします。

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