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負債を帳消しに:聖書をめぐる旅 2/17

2/17(木) 
ネヘミヤ記5章は、民に降りかかる問題に対してリーダーのネヘミヤがとった行動から学ぶことができました。また、箴言8章は、イエス様が語られているような言葉から、想像しました。

ネヘミヤ記5章 

4またある者は言った。「王が税をかけるので、畑もぶどう園も担保にして金を借りなければならない。 5同胞もわたしたちも同じ人間だ。彼らに子供があれば、わたしたちにも子供がある。だが、わたしたちは息子や娘を手放して奴隷にしなければならない。ある娘はもう奴隷になっている。どうすることもできない。畑とぶどう園はもう他人のものだ。」
6この嘆きと訴えを聞いて、わたしは大いに憤りを覚え、 7居たたまれなくなって貴族と役人をこう非難した。「あなたたちは同胞に重荷を負わせているではないか。」わたしはまた大きな集会を召集して、 8言った。「わたしたちは異邦人に売られていた同胞のユダの人々を、できるかぎり買い戻した。それなのに、あなたたちはその同胞を売ろうというのか。彼らはわたしたち自身に売られることになるのに。」彼らは黙りこみ、何も言えなかった。 9わたしは言った。「あなたたちの行いはよくない。敵である異邦人に辱められないために、神を畏れて生きるはずではないのか。 10わたしも、わたしの兄弟も部下も金や穀物を貸している。わたしたちはその負債を帳消しにする。 11あなたたちも今日あなたたちに負債のある者に返しなさい。
14アルタクセルクセス王の第二十年に、わたしはユダの地の長官に任命されたが、その日から第三十二年までの十二年間、わたしも兄弟たちも長官の給与を一度も受け取らなかった。


 この城壁の修復は、経済的にも大きな負担を人々に与えたようです。
王に税金を払うために借金をする、借金を返すために自分の子どもを売る。そんなことが神様が望んでいることなのか?
そんな叫びが上がります。

 リーダーであるネヘミヤの率先垂範に頭が下がります。城壁の修復はそもそも、ユダヤ人を外敵から守るための作業であるのに、経済的問題から自分の同朋の子どもたちを奴隷として売らなければ生活できない。
神様の計画は、エジプトの奴隷からイスラエルを解放したように、捕囚の民であったユダヤ人を解放することであるのに、経済の仕組みを優先させるために、身内を売らなければならない。そこで、ネヘミヤがとった行動が、借金の帳消しです。そして、すべての人がそれを行うことで、家族を売らなくても生活を保障します。
彼が無給でこの役割に取り組んだ期間は12年とあります。

 寝床も住むところもなく伝道したイエス様のスピリットを思います。

箴言8章

10銀よりもむしろ、わたしの諭しを受け入れ
精選された金よりも、知識を受け入れよ。
11知恵は真珠にまさり
どのような財宝も比べることはできない。
22主は、その道の初めにわたしを造られた。
いにしえの御業になお、先立って。
23永遠の昔、わたしは祝別されていた。
太初、大地に先立って。
30御もとにあって、わたしは巧みな者となり
日々、主を楽しませる者となって
絶えず主の御前で楽を奏し
31主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し
人の子らと共に楽しむ。
33諭しに聞き従って知恵を得よ。
なおざりにしてはならない。
34わたしに聞き従う者、日々、わたしの扉をうかがい
戸口の柱を見守る者は、いかに幸いなことか。


知恵と知識の違いを考えていました。知識は識別することを知ること、知恵とは神様の恵みを知ることなんじゃないかと想像します。そういう意味で知恵は命の木に由来するような気がします。

この章で知恵をかたられる「わたし」はイエス様ですね。
永遠の昔、大地がこの世に現れる前に、祝別されていたイエス様を想像します。
主の身元にいるイエス様を想像します。
主を楽しませるために楽を奏するイエス様、
人の子と共に楽しむイエス様を想像します。

そして、物事のはじまる前からおられる方が
私たちに知恵として語られていることを思います。
この時代に私たちが地上に生きていることの意味を考えます。
何故、この終わりの時代なのか?

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