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悲しんではならない:聖書をめぐる旅 2/20

2/20(日)
今朝の札幌は、朝から雪が降っています。
ネヘミヤ記は民が律法の書の朗読を聞き、涙しています。箴言11章は、3つの聖書の訳を比較してみました。 


ネヘミヤ記8章 

3彼は水の門の前にある広場に居並ぶ男女、理解することのできる年齢に達した者に向かって、夜明けから正午までそれを読み上げた。民は皆、その律法の書に耳を傾けた。
6エズラが大いなる神、主をたたえると民は皆、両手を挙げて、「アーメン、アーメン」と唱和し、ひざまずき、顔を地に伏せて、主を礼拝した。
9総督ネヘミヤと、祭司であり書記官であるエズラは、律法の説明に当たったレビ人と共に、民全員に言った。「今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない。」民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた。
11レビ人も民全員を静かにさせた。「静かにしなさい。今日は聖なる日だ。悲しんではならない。」
16民は出て行き、枝を持って来て、各自の家の屋上、庭、神殿の庭、水の門の広場、エフライムの門の広場に仮庵を作った。

→Back to the BIBLE
聖書に立ち返って、仮庵のまつりを行ったのが、この箇所です。

7月1日水の門の前に民が集まり、朝から昼まで律法の書の朗読を聞いています。
エズラが聖書を読み、レビ人が解説しています。民は、律法の書を耳にして泣き崩れます。そこには、神様の祝福とのろいが書いてあり、モーセに渡された十戒も読み上げられたと推察します。神様が求めていたとはまったく違う歩みをしている自分たちを顧みて、おそらく民は涙を流したのではないでしょうか?

天国に行ったときに、人間は大きな悲しみに打ちひしがれるという話を聞いたことがあります。それは、自分のために準備されていたものが天国には、すべて備えてあり、しかし神様に祈ることを知らず、神様に求めることもせず、まったく違う人生を生きたことを悲しむという内容だったと思います。

しかし、今が恵みの時、今日が救いの日です。律法の書をみんなで聞いた日が聖なる日であると、ネヘミヤたちは宣言しています。そして、喜ぶことを勧めています。主を喜ぶことこそ、私たちの力である、と。これは、よく私たちの教会で語られていることです。

 そして、あらためてじっくり律法の書に目をとおしたところ、仮庵の祭というものがかつて定められていたことを知ります。エジプトからイスラエルが救われたことを祝う祭りです。このエジプトからの救いは、バビロン捕囚から帰還した彼らには響いたことでしょう。神様は救い主なる方です。感謝します。今日、私にとっては、自分自身からの解放という意味があるように思います。
 札幌は、音のない雪です。

箴言11章

新共同訳
4怒りの日には、富は頼りにならない。
慈善は死から救う。

リビングバイブル
4財産さえあれば大丈夫と高をくくってはいけません。
さばきの日には、
正しく生きる人だけが救われるのです。

新改訳2017
財産は御怒りの日に役に立たない。義のわざは人を死から救い出す。


新共同訳
14指導しなければ民は滅びるが
参議が多ければ救われる。

リビングバイブル
14良い指導者がいなければ国民は苦しみ、
良い助言をする人がいれば国は安泰です。

新改訳2017
14指導がないことによって民は倒れ、多くの助言者によって救いを得る。


新共同訳
25気前のよい人は自分も太り
他を潤す人は自分も潤う。

リビングバイブル
物惜しみしない人が裕福になります。
人を潤すことで、自分も潤うのです。

新改訳2017
おおらかな人は豊かにされ、
他人を潤す人は自分も潤される。

→今日は休みなので、3つの聖書を調べて比べてみました。

 他人にかかわる仕事を続けていますが、時に疲れ果てることがあります。はたして、自分は何をしているのか?その人の考えを変えることなどできないことに、いらだちと自分の力のなさに、情けなくなるときもあります。しかし、他人を潤す人は、自分も潤すという言葉は、私に不毛ともいえるコミュニケーションを途切れさせない原動力になります。

 まだまだ雪は降り続けます。

 


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