見出し画像

幻がなければ:聖書をめぐる旅 3/10

3/10(木)
身に覚えのないことで、理不尽なことがあると人間はどうなるのでしょう。生まれた意味、生きている意味を問い続けるのかもしれません。箴言は、幻すなわちビジョンをみつけることについて、したためました。


ヨブ記3章 

16なぜわたしは、葬り去られた流産の子
光を見ない子とならなかったのか。
20なぜ、労苦する者に光を賜り
悩み嘆く者を生かしておかれるのか。
24日ごとのパンのように嘆きがわたしに巡ってくる。
湧き出る水のようにわたしの呻きはとどまらない。
26静けさも、やすらぎも失い
憩うこともできず、わたしはわななく。


あれだけ、主の前に正しい態度をとっていたヨブが、
この章では3人の友人の前で、こぼしています。

自分が何故生まれてきてしまったのか?
労苦と悩みある人生を生き続けなければならないのか?
嘆きが毎日おそってくる。
憩うこともできない。

今、敵に包囲され、逃げ場も食料も水も薬もないという
ウクライナの人々の涙ながらの叫びに重なります。
彼らが、ロシアを攻撃したわけでもなく、自分たちの国の在り方を決めただけなのに、なぜこんな仕打ちをされなければならないのか?

ヨブの気持ちも、ウクライナの人たちの気持ちも、
軽々しくわかるとは言えません。
私は想像することしかできません。
私にはそのような体験がありませんから。
でも、もし同じ境遇になったら同じように嘆き、叫ぶでしょう。
ただ、この嘆きを聞いて下さる方がいることを信じています。


箴言29章

18幻がなければ民は堕落する。
教えを守る者は幸いである。

私にとっての仕事のビジョンは、イザヤ43章:3-4です。
私がかかわった人たちが、やがて次のようになることです。
「彼らは主が主の輝きを現すために植えられた正義の樫の木と呼ばれる。」
この正義の樫の木の働きは
「廃墟の町々、代々の荒廃の跡を新しくする」
私が人に関わるモチベーションはここにあります。
聖書の御言葉の中にヒントがあると言われて、必死になって読み進めたところ出会った御言葉です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?