【第5回】「啓蒙思想」ってなんだっけ? #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話
国王の権力は神から授かったもので、神聖不可侵だという王権神授説ですが、そんなもの、当時の知識人が「はぁ、さようですか」と唯々諾々と納得していたはずがありません。自然法とか自然権とかを想定し、国家は人民が契約によって作ったとする社会契約説が唱えられるようになります。
「啓蒙」という言葉は、もともとは無知からの解放を意味する言葉で、いささか上から目線のようにも思われます。ただ、自然科学の世界では、ニュートンがその例として挙げられるので、ここでは従来の常識を疑う合理主義的な考え方、としておきましょう。政府の見解が王権神授説であったとしても、そりゃ違うんじゃないのと理屈で反論しようとした人たちの思想・考え方です。
まず、社会契約説の源流として紹介されるのが、イギリスの思想家でホッブズ(1588~1679)という人です。その著書「リヴァイアサン」には、こんな考え方が述べられています。
人間は本来、自由、平等で独立した存在である、と。このように国家が存在しない状態を自然状態、と呼びます。この自然状態の下では、「万人の万人に対する闘争」状態となり、自らを守るために各人の自由な意思に基づいて契約を結び、国家を創って秩序を維持することにした、というものです。
ホッブスが、このような一見リベラル風な考え方をしていたのにあまり有名でいのは、絶対王政も、このようなみんなの意思で創られたのだと擁護してしまったからなんですね。残念。
この点、ロック(1632~1704)が有名なのは、現代でも参考になる思想を唱えたからです。その著書「市民政府二論(統治二論)」で、王権神授説を批判します。ホッブスが言うような自然状態において、人間は生まれながら自由・生命・財産といった権利を持っていて、このような権利を「自然権」といいます。ここからがロックの思想の特徴的なところなんですが、人民はこの自然権を守るために社会契約によって国家を組織したのであり、政府が人民の自然権を侵害した場合には、人民に「抵抗権」がある、と考えたのです。
王権神授説が、神によって国王、つまり政府に権能が授けられたとするのに対して、自然権のほうが政府よりも先に存在し、政府はこの自然権を守るためにある、という理屈です。神はむしろ人民に自然権を付与し、そのために政府が存在しているという天賦人権論で対抗したといえます。
フランスの思想家ルソー(1712~78)の著書は、そのタイトルもズバリ「社会契約論」です。ロックの思想の影響を受けていますが、力点の置き方がやや違います。ロックは、自然権の確保という点に力点があり、だから抵抗権ということまで考えたわけですが、ルソーは、社会契約によって政府を構成したのであるから、政治の在り方は自分たちの手で決めなければならない、政治の担い手は全体としての人民である、と主張しました。
現代の憲法の概念でいうと、ロックは人権について、ルソーは国民主権に力点を置いて理論化した、ということができるのではないでしょうか。
ロックは、国家権力を立法権と執行権という2つの作用についての認識があったのですが、これを発展的に受け継いだのがモンテスキュー(1689~1755)です。有名な「法の精神」で、国家権力には立法権・行政権・司法権があり、それぞれを分離し、抑制と均衡(チェック・アンド・バランス)を図るべきだという権力の分立を説いたのです。
これらの考え方は、革命戦士にしてみれば、我こそは正義なりしと信じる理論的な支柱となりました。逆に、当時の体制、アンシャン・レジームにとってはとてつもなく危険な思想だったのです。実際、ルソーは流浪と迫害のうちに生涯を閉じています。
この人たちがすごいのは、何百年たった現在も、その考え方が世界で浸透しているということです。いまでも、国家の在り方についていわば標準的なモデルとされています。みなさんも、「あの国は人権保障が不十分である」、とか、「あの国は独裁国家だ」、という評価を聞いた時、無意識のうちにこのような考え方を物差しにしているのではないでしようか。
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