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【013】シーハイル!(スキーばんざい!)

■第50回大阪市障がい者スキー教室を開きました!

 写真は、信州・飯山市の戸狩温泉スキー場です。ここで、12年ぶりにスキーをしました。参加したのは、「大阪市障がい者スキー教室」。大阪市の市民交流姉妹都市である長野県飯山市のご協力を得て、今回が第50回となるスキー教室です。受講者、介助者、スタッフ、ボランティアを含めて、今回参加したのは87人。転職したばかりの私ですが、校長という立場で、この教室に初参加となりました!

■全国初の「スポーツ交流スキー姉妹都市」

 大阪市と飯山市とは、1974年12月6日に、全国初となる「スポーツ交流スキー姉妹都市」になりました。こちらのホームページには、大都市の大阪市と、自然豊かな飯山市のお互いが持つ魅力を活かし、スキーを中心に交流を深めていこうと結ばれた、という内容が紹介されています。
 スキー教室が始まったのが、その直後。1975年2月に、第1回が開かれました。途中、1995年の阪神大震災や、2021年のコロナ禍での中止があったものの、今回が記念すべき50年の節目となりました。それを記念して、【大阪市×飯山市】姉妹都市提携50周年記念事業ロゴマークが決まりましたが、そのデザインは雪だるまがモチーフになっています

■「雪足りる?」→「大雪だけど行けるの?」で揺れた第50回

 2023~24の冬は長野県でも雪がなかなか積もらず、「スキー教室ができるの?」という心配がありました。スキー教室には、「アルペン」「チェアスキー」「雪山まんきつ」の三つのコースがあり、特に雪山まんきつコースは、かまくらづくりをするので、雪が足りないと造れなくなる恐れがありました。
 ところが、出発直前に大寒波が日本列島を襲いました。今度は「列車が止まる?」「高速道路が通れなくなる?」という心配をすることになりました。準備のために前日の24日に現地入りした大阪市長居&舞洲障がい者スポーツセンターの職員計3人だけは、予定していた北陸回りから名古屋回りに進路を変更しました。でも、他の参加者は時間がかかったものの、幸いにも、無事に飯山に入ることができました。
 最も時間をかけて訪れたのは、25日早朝から長居のスポーツセンターに集まり、バスで9時間ほどをかけてたどり着いた約60人。そのメンバーを待っていたのが、飯山市の皆さんがひそかに準備してくれていたこのサプライズです!

 小雪の舞う信州の夜空に、何十発もの大輪が咲き誇り、参加者からは自然と歓声と笑みがこぼれました。

■開講式で伝えたこと~「安全に、楽しく」

 大阪に雪が積もることは、ほとんどありません。信州の雪深いスキー場で、これから始まるスキー教室を前に、教室の事務局を担当するF職員から「校長のあいさつを!」と言われました。道産子の私は幼いころからスキーを続け、二十代前半には、信州のスキー学校で3シーズン勤めていたことがあります。それで、私は一番大事だと思っていることを伝えました。

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 私がスキーをやっていたのは三十数年前。用具も、技術も、スキー場そのものも、大きく変わりました。でも、この間も、これからも絶対に変わらないことがあります。それは「安全に、楽しく」スキーをすることです。
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 そして、もう一つ。付け加えました。

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 世界中のスキー仲間が大切にしている言葉があります。「シーハイル!」と言います。ドイツ語で「スキーばんざい!」という意味です。4日間のスキー教室が「安全に、楽しく」終えられ、みんなで「シーハイル!」と叫べたら、うれしいなと思います。
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■スキー教室の様子は?

 講習日となった第2日(26日)、第3日(27日)とも、おおむね天候が良く、雪質も最高のパウダースノーでした。
 いえ、もちろん、何もかも完璧だったわけではありません。参加者の中には、初めてスキーをする人もいれば、長年やっていなかった人もいます。滑っている間に疲れてしまい、座り込んでしまった人もいました。転んでたんこぶを作った人や、スキーを片付けていた時に、エッジで手を切った人もいました。疲れが出て、同行したトレーナーの皆さんに、マッサージ等でケアしてもらった人もいました。スポーツセンターの職員や、ボランティアで参加した天理大体育学部の学生らの主導で設けたストレッチの時間には、多くの参加者が集まりました。ただ、何よりも、参加者に大きなけがなかったことは、本当にありがたいことでした。
 今回のスキー教室を振り返った時、私は一つの言葉を思い出しました。それは、インストラクターとして、3シーズンお世話になった白馬・岩岳スキースクールの校訓です。

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スキーについて智恵を出せ
智恵のない者は汗を出せ
智恵も汗も出ない者は、
静かに去れ
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■智恵も、汗も、いっぱい出してくださったスタッフ、ボランティア、地元のみなさん!

 岩岳スキースクールにいたのは、1980年代後半。振り返ると、私はこの「智恵を出せ」「汗を出せ」の意味を、きちんと分かっていなかったと思います。スキー学校のインストラクターとして、とにかく一生懸命やって、受け持った受講生の方に雪山を楽しんで帰っていただくことぐらいかなと思っていました。でも、今回は、スタッフ、ボランティア、そして地元・飯山市の皆さんが、心から献身的に考えて、動いてくださったと感じます。「智恵も汗も出さないと、スキーの楽しさを伝えきれないんだ」。今回のスキー教室で、私は、そう感じました。当時の私は、あそこまで、必死にはできていませんでした。

 私たちのスキー教室を、本当に、多くの方が支えてくださいました。ごく一部の紹介になりますが、例えば、飯山市役所の広報の方には、ホームページや、SNSで紹介してくださいました。
 ◆長野県飯山市イベント・フォトニュース

https://www.city.iiyama.nagano.jp/contents/iiyama/index.htm

 ◆長野県飯山市のX(旧Twitter)アカウント
https://twitter.com/iiyama_city/status/1750809241265578366

 ◆大阪市パラスポーツ情報のXアカウント
https://twitter.com/paraspo_info/status/1751828825850486849

■閉講式よりもずっと前に、もう「シーハイル!」

 飯山に着いてすぐ開いた開講式で、私は「最後にシーハイルと言えたら」と参加者に伝えていました。その時の私は、最終日の閉講式をイメージして言ったつもりでした。ところが、4日間のうちの第3日、上に載せた大阪市パラスポーツ情報の投稿の左下にある集合写真を撮った時、参加者はもう「シーハイル!」と言ってしまいました。それほど楽しく感じてもらったことは、運営する立場として、本当にありがたいことでした。

■雪と、また友達になれたかな。

 感想を聞くと、雪山まんきつコースに参加したDさんは「一生の思い出ができた」と笑顔を見せてくれました。アルペンコースに参加したKさんは、大阪に帰る直前に開いた閉講式の時、大きな声で「未来へ向かって頑張ろう!」と、他の参加者に呼びかけてくれました。チェアスキーコースに参加したTさんは、見る見るうちに、上達していく様子がわかりました。
 参加者の皆さんに、「来年も、このスキー教室に来たいですか?」と尋ねたら、多くの人がサッと手を挙げてくれました。「じゃあ、もう、絶対に来ない!っていう人は?」とも尋ねたら、笑い声だけが閉講式の会場に響きました。
 初めてこのスキー教室に参加した私は、ここに集まってきてくれた皆さんが、雪と友達になろうとしている姿を、何度も見せてくださいました。そういうシーンを間近に見て、長くスキーや雪山から離れていた私自身が「やっぱり、シーハイルじゃないか!」と再確認した日々でした。本当にありがたいことでした。
 ぜひ、来年また、戸狩に戻って来られたらなあと願っています。

◼️おまけ

 「12年ぶりのスキーで、大丈夫だったの?」と尋ねられるかもしれません。正確に言うと、「三十数年間、ほとんど滑ったことがない」私でした。
 何と、偶然にも、ちょうど1年前に、こんな取材を受けていて、「そう遠くない将来に定年となる私は、『ちょっとぐらいなら、また滑ってもいいかもな』と思い始めています」と答えていました。
 この取材を受けた段階では、前の職場を早期退職(制度上、「繰り上げ定年退職」)する考えはなかったのですが、ゲレンデの神様が呼んでくれたのかもしれません。行先は、記事の中で話したホームゲレンデ・岩岳ではありませんでしたが、同じ信州の北の方でした。
 そうしてやって来た戸狩温泉スキー場。実は、講習2日目の朝、こうやって滑る直前に、21年前に購入したスキーのビンディング(金具)の一部であるプラスチックが欠けました。この日の滑走には問題はありませんでしたが、三十数年来のスキー仲間から出発前から「実際に使った日数が少なくても、経年劣化していますよ。新車を買いましょう!」と言われていたことが、現実になりました。スキー靴だけは新調して、「板(とビンディング)は次の機会に」と考えていたことが、甘い考えだったと思い知りました。今さらながら、反省しています。
 来年も、このスキー教室に来るメンバーに職場で選んでもらえるかなあ。もし、参加できるならば、まずは「安全に、楽しく」滑ることを考えなければなあ。ならば、やはり、新車を購入しないとならない。さて、どんな新車にしようかなぁ。

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