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読書感想文 「事故の哲学」を読んで 人工物は新たな可能性をしめすか

 事故の哲学と書名はなっています。しかし中身は複雑な人工物で溢れた現在における法的、哲学的な人工物についての問題点という感じのものです。

 ここでは従来問題の形とは違った問題が提出されています。従来であれば事件というのは当事者が主なもので加害者と被害者との問題です。刑事事件になっても加害者を処罰するという責任の問題となっていました。

 例えば、アメリカで起こったエアバックのタカタの事件では責任は部品を製造販売した会社にあるとされました。これは近代的な責任を追うべき個人という発想から大きく変わっています。さらに自動車の例が多いので自動車を考えれば自動車は自動車会社の社員の設計者が設計します。この段階で多くのことが決定されています。設計者は多くの知識背景を持っているがゆえに設計することができます。つまり知識と物の関係が問われている場面です。

 さらに自動車のような人工物は企業が作っています。橋のような人工物になるとその寿命は一人の人間の寿命を超えます。橋はメンテナンスして何十年も使うものですが、メンテナンスする主体として適当なのは一個人ではなく行政や企業が担うことになるでしょう。このように現在の人工物をめぐる環境は複雑化の一途をたどっています。一個人でどうにかできる問題を遥かに超えます。

 原子力発電のようなものになると、そこで起きる事故の影響も巨大で、もはや国家レベルも超えているかもしれません。原子力発電のようなものであれば、電力会社だけの問題で済むわけもなく、影響がある人々(消費者、地元住民、地方自治体、国、電力会社、施設の設計製造会社など)をまとめていくのは気の遠くなるような話です。

 人工物というのは具体的な物があります。物理理論のような知識の体系ではありません。それが故にスマホのような一部には量子力学の理論を使ったようなものでも、一般消費者が使うことができるという優位性があります。工学と理学の違いとして現れる部分でもあります。また理論が完璧でなくても使える具体的なものをつくることができます。技術というものの本質が現れているような気がします。

 人工物を改造するということは設計者の意図から離れることです。そこに自由の可能性を見ることもできると思います。サイバーパンクの世界観であるジャンクから生成される新たたものです。それは新たな知識をや部品をくわえ、大きく言えば世界を変えることを意味します。

 大げさに考えず、自動車に恋人の写真をかざるとします。それだけでこの自動車は一般の自動車とは違うものへと変わります。個別化し、一般化とは違う道をたどることになります。

 概念とは抽象化一般化する方向へと向かいます。それとは違う個別の言葉の使用によるものと近いです。言語の意味はどこから来るのかわかりません。無意識からなのかもしれません。でも理論を知らなくてもスマホが使えるように言語は使えます。個別化した言語使用、それは日記のようなものに近づいていくでしょう。


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